宮澤俊義『天皇機関説事件』

7月 14th, 2015

先週、この本についてコメントした時はまだ上巻の最初の方しか読んでませんでした。今でもまだ上巻の半分くらいまでしか行ってないんですが、ちょっとコメントします。

読むのに時間がかかるのは、引用されている部分が多いからです。
前回紹介した時はまだ1911年頃の話で、明治から大正に変わるあたり、天皇機関説に関する論争があったのですが、主として美濃部さんと上杉さんという憲法学者同士の論争で、その中に他の憲法学者その他も口を出すというくらいの話でした。

それが1935年、昭和10年になっていよいよ『天皇機関説事件』という事件になります。ここでの登場人物は国会議員(貴族院議員)、新聞、軍人、その他と多様になり、引用されているのも議会の議事録なり新聞記事なりで、なかなか時間がかかります。

美濃部さん側のものは『一身上の弁明』という有名な演説で、天皇機関説についてみごとに説明しているものです。

この演説があまりにもみごとなのでそれがかえって火に油を注いだような形になり、天皇機関説批判がその後大きく燃え広がり大騒ぎになるのですが、このあたり反天皇機関説の主張を読んでいくと、今の憲法学者が安倍さんの安保法案に反対しているのと良く似ていてとても面白いです。

この途中で、時の有名人の徳富蘇峰が介入して『自分は天皇機関説なんぞ読んでいないけれど、天皇機関説には大反対だ』とボロクソにけなす、なんてこともあります。今のいわゆる文化人とか有名人とか称する連中が安保法案反対で訳も分からず大騒ぎしているのと比べ、昔も今も同じだなと思います。

この本を読んでいる過程で、そういえば大日本帝国憲法(長いので以下『帝国憲法』ということにします)をまともに読んでいないなと思い、帝国憲法と今の日本国憲法の対比表などを作りながら読んでみました。比べてみると本当に良く似ていて、美濃部さんが『日本国憲法など作らなくても帝国憲法の解釈を変えれば十分だ』と言ったというのもなるほどナ、と思ったりしました。

で、帝国憲法の第3条には『天皇は神聖にしておかすべからず』というのがあります。これを見てなるほどなと思ったのは、日本国憲法では天皇は神様でなくなってしまったので、もはや『天皇は神聖にしておかすべからず』と言うことはできなくなってしまって、その代わりに憲法学者達は『憲法は神聖にしておかすべからず』という条文を暗黙のうちに日本国憲法に挿入してしまったんだな、ということです。

このように考えると、いわゆる立憲主義の憲法学者達が憲法改正に気が違ったように反対するのも良く分かります。『天壌無窮の天皇制』というのも、そのまま『憲法9条は永遠の真理であり、未来永劫大切に守っていかなければならない』ということになります。それにしても1935年(昭和10年)というのは、明治維新からたかだか70年位のものです。70年も経つとその前の江戸時代、天下の将軍様は誰もが知っていても、天皇など多くの人が知らなかったり意識もしていなかったなんてことが簡単に忘れられ、それこそ何千年も前から日本は天皇が統治する国であり続け、未来永劫そのまま続くということになってしまうんですね。

今年は戦後70年ですから、敗戦から今まで、明治維新から天皇機関説事件までと同じくらいの年数がたっています。これだけの年数がたつと戦前のこと、憲法9条ができる前のことなんてのも簡単に忘れられちゃうんですね。

この天皇制、日本独自で世界でもっともすぐれた制度だという主張と、憲法9条は世界に類を見ない日本だけのもので、こんな素晴らしい憲法の規定を持っているのは日本だけだという主張と良く似ています。さすがに憲法9条は何千年も前からというのは無理ですが、その代わりに聖徳太子の17条の憲法を持ち出して、『日本は大昔から平和憲法の国であり、この平和憲法は未来永劫変わらない、変わってはならない』ということになります。

ということで、立憲主義の憲法学者というのは、天皇機関説排撃を唱えて天皇主権を主張し、天皇の前では憲法など何ものでもないと言っていた連中と同じことだ、と考えると良く分かりますた。

で、天皇機関説に反対する彼らにとって、本当に大事なのは現実の天皇ではなく、彼らのオミコシに乗せてあるご神体の天皇であり、また立憲主義の憲法学者達にとって大事なのは、現実の憲法でなく彼らのオミコシに飾ってあるご神体の憲法です。

天皇機関説では、美濃部さんは帝国憲法に定める天皇について語っているのに対し、それを潰そうとする人達は自分達のオミコシに乗っているご神体の天皇について語っています。

安保法制で安倍さんの自民党の政治家達は現実の日本国憲法について語っているのに対し、憲法学者は自分達のオミコシに乗っているご神体の憲法について語っています。

ここで美濃部さんを潰そうとする人達が『オミコシのご神体の天皇と現実の天皇は別だ』とは一切言わないように、立憲主義の憲法学者達も『オミコシのご神体の憲法と現実の憲法は別だ』とは一切言わないことになっています。

このため常に議論がかみ合わないことになります。

まぁ別の話をしてるんだ、と言ってしまえばそれで話は終わってしまいますから、天皇機関説を排撃することもできないし、安保法制を憲法違反だと批判する事もできなくなってしまうので、分かっていながらご神体の天皇と現実の天皇、ご神体の憲法と現実の憲法をわざとごっちゃにして話しているんだということを隠しているんでしょうが、そのあたりの事情が分からない人がついうかうかと乗せられてしまって目を吊り上げて一緒に大騒ぎをするというのは、何やら可哀想な気がしますね。

天皇機関説事件、まだ昭和10年の3月あたりです。これから真崎大将の教育総監罷免、相沢中佐の永田鉄山殺害、と続いて昭和11年の2.26事件に続きます。そしていよいよ太平洋戦争に突入し、敗戦、戦後になるわけですが、この本、まだまだ当分楽しめそうです。

砂川事件の最高裁の判決書

7月 13th, 2015

安保法制で話題になっているので、まだ読んだことがなかったなと思い、砂川事件の最高裁の判決を読んでみました。

探すのがめんどくさいかなと思っていたのですが、ネットで検察すると一発で最高裁の判例のページからこの判決文のpdfファイルが手に入りました。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/816/055816_hanrei.pdf

全部52でページ、なかなか読みごたえがありますが、本文は大したことはありません。
主文は
  原判決を破棄する。
  本件を東京地方裁判所に差し戻す。
の2行だけですから、これだけじゃ何もわかりません。
これに続く『理由』の所が50頁あるわけですが、その本文は5頁半です。残りはこの判決に参加した裁判官の補足意見です。この裁判は最高裁の裁判官全員参加の大法廷の裁判なので、裁判官は全部で15人います。そのうち10人の裁判官が8つの補足意見を出しているので、それだけで45ページということです。

事件自体はどうということのない事件で、米軍基地に日本人が不法に入り込んだ、ということなのですが、それを最初の裁判で『もともと日本に米軍基地があるのが憲法違反だから不法に立ち入ったのは無罪』としてしまったため大騒ぎになった、という事件です。

で、この最高裁の上告審の結論は『憲法違反なんて何アホなことを言ってるんだ、頭を冷やして裁判をやり直せ』というだけのことなのですが、その結論を出すまで日本の自衛権と憲法の関係とか憲法と条約の関係とか立法(国会)・行政(政府)と司法(裁判所)の関係とか、いろいろ面白い議論が展開されていて、さらに現行の憲法の下での自衛権について最高裁が判断を示した唯一の判例だということで、有名になっているものです。

で、この判決文、ちょっと長いですが、非常に面白くあっと言う間に読めてしまいます。時間がなければ少なくとも最初の本文の所と、次の裁判長の田中耕太郎さんの意見の所だけでも読んでみて下さい。この2つで10頁半ですからすぐ読めます。特に田中さんの意見の所を読むと、今の自民党の案がいかにおとなしいものか良く分かります。

憲法学者や反安倍の政治家が、この判決では『自衛権と言って個別的自衛権か集団的自衛権か言っていないんだから、集団的自衛権は認められない』なんてことを言ってますが、それは明らかに嘘だということが良く分かります。この判決文には『自衛権』という言葉と『個別的自衛権』という言葉と『集団的自衛権』という言葉が出てきます。この三つが全て出てきて、その中で『自衛権』という言葉が出てきたら、それは『個別的自衛権と集団的自衛権を合わせた、全体としての自衛権を意味する』というのは、日本語の読み書きが分かれば当然の話で、ここに集団的自衛権と書いてないから集団的自衛権は除くんだ、なんてことはあり得ません。

もちろん憲法学者は日本語があまり得意じゃないようなので、そこらへんが分からない人もいるかも知れませんが、政治家でそこらへんを分からない人がいたら、その人はもう政治家をやめた方が良いと思います。

で、この判決の主旨は個別的であろうと集団的であろうと、自衛権は憲法9条に違反するものではないということと、その自衛権を具体的にどのように実現するかというのは政治的な話なので、裁判所が判断することではない、ということです。

この裁判の裁判官達はちゃんと三権分立の原理を理解しているので、裁判所が勝手に国会の立法権や政府の行政権に介入することは三権分立に反して憲法違反になる、と判断しています。その点、三権分立を理解しないで憲法違反の発言を繰り返す憲法学者や野党の弁護士政治家たちとは違います。

裁判長の田中さんの意見を読むと、もっと面白くなります。この人によると、自衛というのは権利であると同時に義務でもある。『一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。』と言っています。さらにその防衛する対象が自国なのか他国なのかというのは結果的に同じことになるので、『(従って)自国の防衛にしろ他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。』と言っています。

さらに『防衛の義務はとくに条約をまって生ずるものではなく、また履行を強制しうる性質のものでもない。』と言っています。すなわち、安保条約のような条約を結んでいる相手の国だけでなく、そんな条約を結んでいない国であっても、その国が攻撃される時には防衛に協力する必要があると言っています。

『憲法9条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まって不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。しかしこれによって我が国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。』と明確にしています。

そして最後に『要するに我々は憲法の平和主義を単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心を持たない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとは言えない。』としています。

この他にも面白いコメントがたくさんある判決文です。
お勧めします。

天皇機関説と立憲主義の憲法学者たち

7月 6th, 2015

これまでいろいろ2.26事件関係の本を読んで、2.26事件に天皇機関説が大きな影響を与えていることがわかってきました。

この天皇機関説、私は天皇機関説問題ということで、美濃部達吉の天皇機関説と、それに反対する学者との論争という認識だったのですが、『問題』ではなく『事件』すなわち『天皇機関説事件』というのがあるんだ、ということが分かりました。

この事件、昭和10年に天皇主権説の議員が国会で天皇機関説批判の演説をし、その後いろいろあったあげく、その年の秋には天皇機関説は禁止になり、美濃部達吉は貴族院議員をやめることになった、という事件です。

これと同時に2.26事件の黒幕と言われる真崎大将が陸軍の教育総監をやめさせられ、それを受けて相沢中佐が永田鉄山を殺害し、最終的にその翌年の2.26事件につながっていくという状況です。

で、2.26事件についてはまた改めて書きますが、この天皇機関説事件について宮沢俊義著『天皇機関説事件』(上・下)という本があります。この宮沢さんというのは美濃部さんの弟子にあたる人で、芦部憲法の芦部信喜さんはこの宮沢さんの弟子になります。また日本国憲法の制定に関していわゆる『八月革命説』を言い出したのが、この宮沢さんです。

で、この本は、新聞や雑誌その他に書かれている美濃部さんの主張・反対派の主張・関係者の証言等をまとめて、それに宮沢さんがひとつひとつコメントしていて、なかなか面白いものです。

で、この本を読みながら一つ単純な疑問が生じてきてしまったので、忘れないうちに書いておこうと思います。

『天皇機関説』というのは『天皇主権説』と対抗したわけですが、天皇主権説というのは文字通り大日本帝国憲法では主権が天皇にあるという説で、天皇機関説はそれに反対して主権は国にあり、天皇はその国の機関だ、ということで、神様のような天皇陛下を機関とは何事だ、と大問題になったわけです。

で、今のいわゆる立憲主義の憲法学者というのは、皆芦部さんの弟子のようなもので、天皇機関説の美濃部さんからするとひ孫弟子みたいなものになります。

ところが芦部さんの憲法その他の本には、大日本帝国憲法は天皇主権の憲法だったのを日本国憲法では国民主権の憲法になった、と説明してあります。

これは一体どういうことだろう、というのが私の疑問です。先生の先生の先生である美濃部さんが命がけで否定した天皇主権説を、そのひ孫たちが寄ってたかってそのまま認めて天皇機関説を否定している、ということなんでしょうか。それとも美濃部さんが貴族院議員をやめ天皇機関説が禁止された段階で、大日本帝国憲法は天皇主権の憲法になった、ということでしょうか。それとも例によって何かわけの分からない憲法学者特有の屁理屈があるんでしょうか。

このあたり、このブログの読者で何か知っている人がいたら教えてもらえると嬉しいです。

普通の憲法の解説書や教科書では、このように美濃部さんの孫弟子の憲法学者が美濃部さんの天皇機関説とは反対の立場に立ってしまった理由は書いてなさそうですから。

まあ、どうでもいい話ではあるのですが、憲法学者の屁理屈を見てみるのも一興、というところです。

林 尚之『日本国憲法と美濃部達吉の八月革命説』

6月 22nd, 2015

このブログで『本を読む楽しみ』のカテゴリーで紹介しているものは、基本的に『本』なのですが、今回は本ではなく『論文』です。

2.26事件関係の本をいろいろ読むうちに、美濃部達吉の天皇機関説の問題がかなり重要なのかなと思うようになりました。

それで週末に何冊か図書館から本を借りてきて、これからそれを読まなければいけないんですが、遅まきながら初めて天皇機関説という問題があったということでなく、『天皇機関説事件』という事件があり、その事件が起きたのが昭和10年、すなわち2.26事件の前の年だということがわかり、なおさらちゃんと理解しなきゃと思っています。

で、図書館で本を借りる前、いろいろネットで調べていてぶつかったのがこの論文です。

『八月革命』というのは、この前衆議院の憲法審査会に出てきた憲法学者が3人とも『安保法制は違憲だ』と言った時も、そのうちの一人が話していたんですが、今の憲法学者の主流である立憲主義の憲法学者が日本国憲法の正当性を証明するためにむりやりでっち上げた革命です。すなわち昭和20年に日本が太平洋戦争に負けてポツダム宣言を受諾すると言った時、そのことによって日本では革命が起き、大日本帝国憲法は文字づらはそのままで国民主権の憲法に変化した、という説です。

この説を唱えたのが美濃部達吉の弟子にあたる宮沢俊義という先生で、その弟子にあたるのが芦部信喜という人で、この人の憲法学が現在の立憲主義の憲法学者にとってバイブルになっているという関係にあります。

この立憲主義の憲法学者というのは狂信的な新興宗教の信者みたいなものですが、その彼らの先生の先生の先生がどんなことを考えていたのか、と思ってちょっと読んでみました。

まぁ論文ですからちょっと堅苦しい所もありますが、非常に分かりやすく納得できる話ばかりで、面白く読めました。本文だけで21ページですから、その気になればすぐ読めます。

で、この論文によると美濃部さんの憲法学というのは今の憲法学者達の憲法学とはまるで違って、すんなりと受け入れられます。『憲法の条文は遠き将来に至る迄も容易に改正せらるることは無いであらうが、条文は其の儘であっても憲法の実際の運用は絶えず変遷して行くのである』、すなわち憲法の条文はそのままで解釈をどんどん変更していけば良い、というようなことを言っているようです。著者の言葉によると『社会の趨勢が憲法の実質を決定している限り、憲法解釈は条文に拘わずにその社会の趨勢を読み取ることが重要であるとされたのである。』となります。

で、この美濃部さんは戦争が終わって日本国憲法を作る時に、大日本帝国憲法のままで解釈を変えるだけで十分だと言って、新たに日本国憲法を作ることに反対していました。

それが日本国憲法ができた途端、今度は日本国憲法を強力に支持するようになり、これは『転向』と呼ばれるようになったようです。

で、この日本国憲法について、現在ではアメリカから押し付けられたものだから自主憲法として作り直さなきゃとか、押し付けられたとは言え国会で日本人が議論して作られたものだからそのまま守らなきゃとか、いろいろ議論がありますが、美濃部さんの立場はそのどちらとも違い、ポツダム宣言を受諾したことによるアメリカをはじめとする占領軍の圧倒的な力を背景として押し付けられたものであることが日本国憲法の正当性の根拠だ、ということになるようです。

ここの所、美濃部さんの
【法は実力である、と言ひ、事実において規範力が有るといふのは、この意味において、疑いもなく半面の真理を包含するもので、もとより実力が即ち法であり、総ての事実に当然に規範力があるとするのは誤りであるけれども、実力が完全に貫徹せられて、有効な抵抗は全く行われなくなり、事実上の状態が正当なものとして認めらるるようになれば、その事実は即ち法となったものである】
という文章を引用しています。美濃部さんというのは、憲法学者の教条主義とは正反対の現実的な考え方をする人だったようです。

で、その後占領は解かれ、占領軍はいなくなったのですが、現在の日本国憲法の正当性の根拠は戦後70年にわたって日本国憲法と日米安全保障条約によって日本は安定しており、その両方が日本国民にも受け入れられているからということになるようです。『だから日本国憲法の最高法規制と日米安保体制とは、美濃部の主権の自己制限論では矛盾するどころか、国際条約への従属こそが憲法の最高法規制を保証する根拠となったのである。』と書いてあります。日米安保条約が日本国憲法のうしろ立てになっているということです。

この説はとても分かりやすく、納得できるものです。

この著者の林尚之さんというのは、自身を憲法学者というより歴史学者として位置づけているようで、憲法学者達がこの論文をどのように評価しているのかは分かりませんが、私にとっては訳の分からない狂信的な立憲主義の憲法学者の言い分と違って、ごく真っ当な議論であり、現在議論されている安保法制にしても憲法改正の議論にしても参考となる論文だと思います。

インターネットが進んでこのような論文まで簡単に手に入るようになったというのは有難い話です。
この論文のpdfは

http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/10690/1/2010000071.pdf

で取ることができます。

ちょっとメンドクサイ議論でも嫌いじゃない、という人に是非ともお勧めです。

『わが父・夢野久作』杉山龍丸

6月 16th, 2015

先日の『グリーンファーザーの青春譜』の続きで、同じく杉山龍丸さんの『わが父・夢野久作』を読みました。

『夢野久作全集』の刊行に合わせて、肉親から見た夢野久作の姿を描くという趣旨なんですが、夢野久作を語るにはその父杉山茂丸、さらにはその父の杉山三郎平灌園、さらにはその父の杉山啓之進までさかのぼらなければ十分に語ることができない、ということで、杉山家の6代目(啓之進)から9代目(杉山泰道=夢野久作)までを主に、10代目の杉山龍丸が語る、という本です。

幕末・明治維新から昭和初期までの期間、日本の変化に振り回されながら日本の政治・社会を振り回した一族の物語です。中でも8代目の茂丸というのはまさに怪物とでもいうような人物で、日本あるいはアジアを振り回しながら家族をトコトン苦しめ、その最も苦しい立場を受けて立ったのが9代目の泰道、夢野久作で、8代目と9代目が相次いで死んだあと、まだ10代でその後始末をさせられたのが10代目の龍丸、すなわち著者です。

旧制中学5年、まだ10代の時、2.26事件の直後に父を亡くし、その後著者は士官学校に入りプロの軍人となるのですが、『グリーンファーザーの青春譜』に何気なく書いてある『日本にも杉山家にも絶望していた』という言葉の意味がこの本を読むと何となくわかるような気がします。

この本のはじめの部分の幕末・明治維新の頃の話としては、一般に『尊王攘夷派』と『佐幕派』の争いということになっていますが、それとは別に杉山家などでは『勤王開国』という立場を取ったために、その仲間の人達は両方から狙われてさんざんな目にあった、という話があります。この話は初めて知りました。

7代目の三郎平灌園という人は水戸学の先生だったという人ですが、杉山家の苦難の歴史にはこの神がかり的な水戸学が多分に影響しているのかも知れません。

8代目の茂丸が修猷館の仲間と玄洋社を作り、欧米列強によるアジア植民地支配に対抗するため家族をほっぽり出して走りまわっている間、9代目の夢野久作は幼児の頃から祖父の7代目三郎平灌園に四書五経を叩き込まれ、良くできたご褒美にタバコを吸わされて小学生の時にはもうニコチン中毒で、小学校でも中学校でも特別にタバコを許されていた、なんてのも凄い話です。

私は夢野久作という名前は知っていますが、作品は読んだことがありません。多分、この本の中味はその作品よりさらに奇想天外の怪奇的な話になっているのではないだろうかと思います。

普通の家に生まれ普通に生活できるということがどんなに有難いことか、考えさせられる本です。

さんざん苦しめられながら、著者は淡々と愛情を持って父・祖父・曽祖父・その他一族の人々を描いています。

お勧めします。

惑星の運動

6月 16th, 2015

先日、『ファインマンさん 力学を語る』という、ファインマンによるニュートン力学の惑星の軌道の話の本を紹介しました。
このファインマン流の引力の法則で面白かったのが、惑星の運動で、速度ベクトルの変化を見ると、速度ベクトルが円を描いている、ということでした。
もちろんそれが原点を中心として円を描いていると、元の惑星の軌道は円を描くことになるのですが、一般的には原点でない点を中心とした円を描く、ということになるわけです。
ファインマンはこのことを基に幾何学的に惑星の軌道が楕円になる、ということを証明しているのですが、この速度ベクトルが円を描く、ということを幾何学的ではなく解析的に書くとどうなるか、やってみました。
普通、ニュートン力学の惑星の軌道の計算ではrの逆数をたとえばu=1/rとして、rに関する微分方程式をuに関する微分方程式に変換して、いろいろやった挙句、軌道が楕円になることを証明しているのですが、この速度ベクトルが円になる、という方からアプローチするとごく簡単に角度と距離の式が書け、軌道が楕円になることが証明できてしまいます。また、その結果として楕円軌道の回転の周期が楕円の長半径の3/2乗に比例することもごく簡単に証明することができます。

うまくいってうれしくなってしまったので、これをまとめてメモしておきました。

惑星の運動.docx

もし、興味があったら読んでみてください。

憲法審査会のビデオ

6月 10th, 2015

衆議院の憲法審査会のビデオを見てみました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44973&media_type=

例の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った、と言って話題の憲法審査会です。

2時間半とちょっと長めのビデオですが、途中コマーシャルが入るわけでもなく、また国会のいろんな委員会の中継のように野次や怒号があるわけでもなく、落ち着いて楽しめます。

憲法学者に対して国会議員は『先生』と呼び、憲法学者は国会議員に対して『先生』と呼び、もちろん学者同士も相手を『先生』と呼び、憲法学者は質問されると質問した国会議員に対して『ありがとうございます』と言い、議員は質問に答えてもらうと憲法学者に対して『ありがとうございます』と言い、静かな雰囲気で淡々と質疑が進みます。

話題の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った場面でも別に騒ぎが起きるわけでもなく静かに淡々と質疑が続いています。

もともとこの憲法審査会は『立憲主義』と『憲法審査権』『憲法裁判所』をテーマにしたもので、安保法制が合憲か違憲かをテーマとしたものではありません。

それで、3人の憲法学者はその本来のテーマに従って持論を展開して説明しているわけですが、議員の質問に移ってから、民主党の議員が安保法制が合憲か違憲かについての見解を質問してしまったので、話がおかしな方向に向かってしまった、ということです。

最初の部分の『立憲主義』のあたりも、憲法学者がいかにとんでもない議論を真面目に展開するのか知るために見る価値があると思います。

民主党推薦の小林さんという先生はとことん改憲主義者のようで、憲法9条が諸悪の根源で、何が何でも憲法9条を改正することが重要だ、という、いわゆる護憲派の人々が聞いたら涙を流すようなことを主張しています。

この小林先生という人はなかなか面白い人で、憲法に関して本質的なことを平然と説明しています。例えば、法律にはそれに違反したときに罰則や刑罰が定められていて、行政や司法がその後ろ盾になっているんだけれど、憲法は法律を超えた最高法規なので、後ろ盾になる存在はない、誰か(例えば政府)が憲法違反をしたとしても、その憲法違反をとがめ立ててやめさせる力を持った存在はない、その場合は国民主権の投票行動によってそのような政府を変えるしかない、というようなことを平然と説明します。
国際法についても、国際法の世界は戦国時代のようなもので、何が国際法に適っていて何が国際法に違反しているのか最終的な判断をする権限のある存在はない、というようなことを平然と主張しています。

民主党の議員が質問しているのは、ビデオの右下の全部で1時間48分と表示されているところで1時間35分経過、と表示されているあたりですから、時間がない人はここのところだけ見てみても面白いと思います。質問している民主党の議員の隣には辻元さんも映っています。憲法学者たちが3人そろって憲法違反だ、と言ったところでは画面は憲法学者たちを映していて辻元さんがどんな表情をしていたのかは映っていませんが。

とにかく、楽しめるビデオで、お勧めです。

『回顧90年』福田赳夫

6月 9th, 2015

これはあの角福戦争をやった、福田さんの回顧録です。ふだんは図書館の本棚でもこんな本は見ないのですが、先日たまたまリサイクルコーナー(ご自由にお持ち下さいコーナー)にあったのでちょっと見てみました。

目次を見ると最初の方に2.26事件、と書いてあるので、その前後を読んでみました。

この福田さんという人はたいした人で、大学を出て高文試験に合格し、昭和4年に大蔵省に入っています。その翌年にはロンドンに行き、大恐慌後のアメリカ・ヨーロッパを直接見ています。昭和8年に帰国し、税務署長を2つやって昭和9年には陸軍省担当の、今でいう主計官すなわち大蔵省で『陸軍の予算をどうするか』という担当者になっています。その立場で昭和10年の相沢中佐が永田鉄山少将を殺した時も陸軍省に駆けつけ、昭和11年の2.26事件の時も上司の大蔵大臣を殺されています。

で、目に留まったのが相沢事件の所の
【私はすぐ今の憲政記念館のあたりにあった陸軍省に駆けつけたが、部屋はもうきれいに整理されていた。永田局長の遺体はテーブルの上に安置され、顔にはガーゼのような白い布がかけられている。犯人は皇道派の相沢三郎中佐だった。統制派と皇道派との対立が頂点に達した結果の惨劇であった。】
とあった後に、
 【かくして、軍内部では皇道派の立場が強化され、対ソ強硬論、従って軍事予算獲得に積極的な主張がにわかに強まった。】
とある所です。

2.26事件は、正義感溢れる純粋な青年将校が政府の要人を殺し正義を実現しようとしたのに、統制派の軍人達によって死刑にされてしまったというような話ですが、判官びいきというか、若い人が殺されてかわいそうにというか、青年将校の理想主義というか、何となく皇道派が統制派に圧倒され苦し紛れに蜂起した、みたいに思っていたのですが、ここに書いてあるのは相沢事件のあと、少なくとも陸軍の中では皇道派の天下になっていた、ということです。

だとすると、2.26事件の青年将校の蜂起も、やぶれかぶれで一発逆転を狙った一か八かの企てではなく、皇道派が有利な状況を利用してそれを決定的な状況まで持って行ってしまおうというイケイケドンドン的な、一方的な勝ち試合のダメ押しのホームラン狙い、みたいな話になります。もしそういうことだとすると、2.26事件の青年将校達の行動にしても皇道派の将軍達の行動にしてもいろいろ納得できる話もあります。

ということで、とりあえず福田さんの話はお預けで、この一言をもとにもう一度2.26事件を読み直してみようと思います。

『グリーンファーザーの青春譜』杉山 龍丸

6月 9th, 2015

この本は副題に『ファントムと呼ばれた士(さむらい)たち』となっていますが、第二次大戦の日本の陸軍航空隊の話です。

著者が部隊と共に昭和19年の6月に満州からフィリピンに移動し、何度も壊滅的な被害を蒙りながらその都度立て直し、昭和20年3月に異動によりボルネオに移るまでの話が書いてあります。

陸軍士官学校を出て飛行機の整備の将校になるというのも珍しい話ですから、その整備将校として日本軍をどう見ていたか、というのも興味があります。

『整備』というのは技術が基本となりますから、すべて物事を合理的に考え、部品がなければ飛行機は直せない、燃料がなければ飛ばせないということで、それを精神論で乗り越えさせようとする参謀達とは良くぶつかることになります。
アメリカがフィリピンに反撃をはじめ、突然壊滅的な打撃を受けたあと司令部が機能停止になってしまった話なども、あからさまに書いています。

話は満州からフィリピンに向けて船に乗る所から始まります。方々で必要な部品や工具を調達し、地上部隊と一緒にフィリピンまであと2,3日という所で魚雷攻撃を受け、人員の3分の1と部品・工具の全てを失って何とかフィリピンに上陸。その後また方々に手を回して部品や工具を手に入れ、飛行機を飛べるようにする。アメリカの攻撃は熾烈を極め次々に飛行機は壊れていきますが、使える部品・部分をかき集めて一機ずつ飛行機を作っていくわけですが、それも他の部隊に取られたりアメリカの空襲で焼かれてしまったり、このあたりの話を整備将校の立場から書いている、というのは非常に面白いです。

この人は士官学校にいるころ三国同盟に反対し、戦争をやめさせるために政府の要人に話をしに行ったり、東条英機の暗殺を企てたりということもしていたようで、そんな青年将校もいたんだ、というのも興味深いです。

この人は戦争を生き残り、戦後私財をなげうってインドの緑化事業を進めたりして、インドで『グリーンファーザー』と呼ばれ、その話をグリーンファーザーという本に書いているので、それをタイトルに使っています。

『ファントム』というのは、お化けとか幽霊とかいう意味ですが、アメリカからすると日本の飛行機は空襲で全部破壊したはずなのに、いつのまにか日本の飛行機がアメリカの飛行場を空襲に来る。あの飛行機はどこから来たんだ、ということで最初『ファントム』と呼ばれ、また日本軍(あるいは著者自身)にしても全滅させられたはずの飛行機を次から次に切り貼りして復活させていったことで『ファントムと言いたかった』、ということのようです。

400頁近くのかなり読みでのある本で、所々同じ話の繰り返しもありますが、あまり気にならずに読めます。

実は途中まで読んでちょっと違和感がありました。本の文体が、若いとはいえ、戦前の軍人が書いたものとは思えません。あまりにも今風の文体になっているということです。これは編集後記に書いてありますが、文章を誰もが一読して理解できるようにするために、著者の息子の杉山満丸さん(あるいは編集者)がリライトした、ということのようです。そのため確かに、今の人が読んでもすんなり読めるような文体になっています。
この著者の『杉山龍丸』という人は、父親が『夢野久作』という筆名の有名な小説家であり、その父親は『杉山茂丸』というアジア主義者で、公式の役職にはつかなかったものの、かなり広範囲に影響力を持っていた人です。この三人をまとめて『杉山三代』という言い方もあるようです。

とまれ、技術系の将校が見た太平洋戦争、戦争に反対して東条暗殺まで企てた青年将校が、日本に絶望したままフィリピンで勝ち目のない戦争で飛行機ごと死んでいく飛行士のために、飛べる飛行機を次々に作っていくという話、読み応えあります。

本の原稿は1983年に書き終えており、著者は1986年に亡くなっています。それから30年近くたってようやく2015年に出版された、ということになります。

他にない視点からの太平洋戦争の話、お勧めします。

『ファインマンさん 力学を語る』

5月 20th, 2015

歴史や経済・法律などの本をいろいろ読んでいると、時々数学や物理・生物学など人間に関係ない本を読みたくなります。

で、先日図書館でみつけたのが『ファインマンさん 力学を語る』という本です。

これはあのファインマンが大学の新入生に対して、ニュートン力学の、惑星の運動が半径の2乗の逆数に比例する引力により楕円軌道になる、という話を説明した特別講義の解説です。

ファインマンの大学生に対する講義は『ファインマン物理学』にまとまっているのですが、この特別講義はその中には含まれず、資料も行方不明になっていたのが、講義の黒板の写真を除いて原稿や講義メモや録音テープもみつかり、それを元にファインマンの講義の書き下ろし(英語の原著には講義の録音のCDも付いているそうです)に、その解説、原稿から改めて書いたいくつもの図が付いています。

ニュートン力学は今では微分方程式を書いてそれを解くことで説明されます。そしてニュートンは微分積分を作った人、ということになっています。ですからニュートンが万有引力の話と惑星の軌道の話を書いた『プリンキピア』という本も、当然その微分を使って説明してあるんだろうと思うと、何とこの本ではユークリッド幾何(いわゆる中学や高校で習う幾何学です)で全てが証明されていて、微分積分は使われていません。

で、この『プリンキピア』でどのような説明・証明がなされているかということに関しては、和田純夫著 ブルーバックス『プリンキピアを読む』という本に丁寧に解説があります。頑張れば何とか付いていくことはできますが、とにかく楕円に関する様々な幾何の定理が使われていて、付いていくのが大変です。

昔は数学をやる人は幾何を一生懸命やっていて、いろんな定理も良く知っていたのですが、デカルトのお蔭で今では『幾何』というのは図を式に書き直し、式を解くことによって証明するものになってしまっているので、そんなにたくさんの定理を知っている人は殆どいません。

で、ファインマンがやった説明はこれも幾何を使うのですが、途中からニュートンとは別のやり方に変え、非常に初歩的な幾何だけを使って(だからと言ってやさしい、というわけでなく『知識は要らないけれど限りない知性は必要で』などと説明がありますが)、惑星の運動を説明してみせます。

この説明・証明の見事さは読んでもらわないと分からないと思います。ファインマンらしい、具体的で直観的に分かりやすい説明で、見事に楕円運動が証明されています。通常の『時間あたりの加速度』という考え方の代わりに、『(回転)角度あたりの加速度』という概念を使うので、物理の得意な人にとってはかえって難しく感じるかも知れません。

もちろん数学的に厳密な証明というわけではないけれど、物理学的には十分正確で分かりやすい証明になっています。

たまには数学の本でも読んでみようか、などと思ったら、ちょっと読んでみて下さい。
お勧めです。