『イスラーム基礎講座』 渥美堅持 著

9月 4th, 2015

この本は例によって図書館の『新しく入った本』コーナーにあった本ですが、お勧めします。

今まで何冊かイスラム教やイスラム教徒とアラブの人達の本を読みましたが、この本が一番わかると思います。

特にアラブのイスラム教徒と日本の我々とでは、環境が異なり考え方が異なるので良く分からない所が多いのですが、それを著者が日本人であるだけ、日本人にとってどこがわからないのか、アラブ人・イスラム教徒はどのように考えるのかを日本人が分かるようにきちんと説明してくれています。

全体を5つに分け、最初の部分でその日本人に分かりにくい所を丁寧に説明してくれています。次はイスラム教ができてからいよいよイスラム教が世界に乗り出す所までを書いています。3つ目の部分で、その後世界的に広がったイスラム世界を説明し、4つ目の部分ではイスラム教全体について具体的に生活レベルにまでわたって説明しています。

最後に『今日の中東世界とイスラム教』として、アルカイダのウサマ・ビン・ラデンからいわゆるイスラム国まで、現在問題となっている様々なイスラムの世界の問題がどのような経緯で発生し、発展しているか、説明しています。

イスラム教の世界は、『イスラム教徒は全員、神の奴隷として神の下の平等が保たれ』ていて、その神の奴隷だということは『個々人の各瞬間の一挙手一投足までが全てその時々の神の意志によるんだ』という考え方で、個人の意思などというものは基本的にない世界のようです。

たとえばイスラム教徒にとってはラマダンの断食(日の出から日の入りまで一切の飲み食いが禁止で、唾をのみ込むことも禁止。だけれどその分日の入りから日の出までの時間はいくらでも飲み食いしても良いので、この1ヵ月にわたる断食で痩せちゃう人も多いけれど、却って太ってしまう人もいるようです。)は大事なおつとめなんですが、この断食の途中でイスラム教徒のAさんとBさんが会って話をしたとします。

Aさんが『断食はうまくいっているかい』とBさんに質問し、Bさんが『うまく行っている』と答えると、二人で『アラーの神のお蔭だね』と喜び合います。Bさんが『うまく行ってなくて断食ができないでいる』と答えると、AさんはBさんを慰めて『来年の断食はアラーの神がうまくできるようにしてくれるだろうからガッカリするな』と言います。

万が一AさんがBさんを責めて『断食は大事なおつとめなんだからちゃんとやらなきゃダメじゃないか』などと言おうものなら、すかさずBさんはAさんに対して『お前はアラーの神か』といって、BさんのほうがAさんを非難する、ということのようです。断食がちゃんとできるかどうかもアラーの神のおぼしめし次第なんだから、それができないのもアラーの神の意志で、それを非難するなんてとんでもない、ということのようです。

このような話はいちいち説明を聞けば、そんなものかと何となく納得することができますが、何の説明もなければ、何とも理解不能な世界ということになります。

日本では普通一人一人の行動はその人自身が決めることで、神様に何かをお願いしたりすることはあっても、基本はその本人の問題です。キリスト教などでは信者はどのように行動すべきかということは教えられますが、その通りに行動するかどうかはその本人の問題で、その行動については最後の審判の時に全部まとめて評価されるということになります。

イスラム教では信者はどのように行動すべきかということはもちろん教えられますが、その通りに行動するかどうかもその時の神様の意向次第であり、神様の奴隷である人間には行動の自由なんかなく、また責任もない、ということになるようです。

イスラム教にも最後の審判はありますが、その時『あの時の断食ができなかったのはアラーの神のせいだから許してもらいたい』などと言っても意味はない。人は全て神の奴隷として神の前で平等で、神が天国に行けと言ったら天国に行くし、地獄に落ちろと言ったら地獄に落ちるだけ、ということのようです。例外はジハードと言って、イスラム教世界を守るために戦って戦死した場合だけ、無条件に天国に行ける、ということのようです。

この本にはイスラム教の礼拝の時に礼拝の前に身を清める手順、礼拝の時の具体的な手順も具体的に図で丁寧に説明しています。これも面白いものです。

イスラム教は『神と人が直接結びついていて中間に立つ人はいない』ということで、信仰にしても礼拝にしても神と本人だけの問題で、他人が口を挟むことではないということです。礼拝所も単に『安心して礼拝できる場所』というだけで別に神聖な場所ということではないので、誰かが礼拝しているすぐ脇で誰かが本を読んでいても居眠りしていても、誰も問題にしないということです。

お金を持っていないのは何も悪いことではなく、イスラム教徒には喜捨(お金をあげる)という義務があるので、お金のない人がお金を持っていそうな人に向かって『自分に幾分かのお金を喜捨しろ』と要求することはごくあたり前の話のようです。実際、この本の著者自身、そうやって喜捨を請求してお金をもらったことがあるとのことです。

で、このイスラム教は部族対立でバラバラになっていたアラブ人をイスラム教徒という形でまとめることに成功したのですが、だからと言って部族意識が消えてしまったわけではありません。そこに第一次大戦でオスマン・トルコ帝国が敗け、イギリス・フランスが中東の地域の領土をバラバラにして植民地とし『国』という枠組を作ってしまいました。それから約100年、その結果アラブのイスラム教徒達は『部族』というアイデンティティ、『イスラム教徒』というアイデンティティ、『○○国民』というアイデンティティという3つの異なる自己規定を抱えて四苦八苦するようになってしまった、ということのようです。

○○国民というナショナリズムも定着しつつあるものの、それよりイスラム教徒というアイデンティティの方がまだまだ強い、ともすると部族意識もしっかり生き残っている、ということで、まとまったりバラバラになったりを繰り返しているのが現状だということです。

アラブの世界は本当に大変な時代には、新しい預言者が現れ新しい戒律を明らかにするということを繰り返してきた世界なのですが、イスラム教ではモハメット(マホメット)が最後の預言者だということになっているので、世界がどんなに大変になってももはや新しい預言者は登場しない。となるとできることは今直面している問題がなかったモハメットの時代に逆戻りするしかない、ということになるようです。これが『イスラーム運動』だということです。

で、このイスラーム運動について、サウジアラビアのワッハーブ派の話から始まって、アルカイダのビン・ラデンの話からいわゆるイスラム国の話まで、それぞれがどのように成立し発展してきたか説明されています。

イスラム教では『教徒は神の奴隷として平等だ』というのは一つのキーワードなのですが、そのため信徒と神との間に立つ、たとえばキリスト教であれば神父とか牧師とかいう存在がありません。高名なイスラム神学者が何だかんだ言ったとしても、そのイスラム神学者も神の前ではごく普通のイスラム教徒と同じ神の奴隷でしかなく、その神学者の言い分を聞くかどうかは個々のイスラム教徒の勝手、ということのようです。

さはさりながら、昔は『カリフ』という『預言者の代理人』とよばれる人がいて、イスラム教の法解釈のどれが正しくてどれが間違っているのか、多数のイスラム法学者の意見を聞いて最終的に取りまとめる、という役割を果たしていました。このカリフも第一次大戦のオスマントルコの滅亡と共にいなくなってしまい、今では誰もいない状況です。誰の言っていることが正しいのか判定してくれる人がいなくなってしまったので、とんでもない人の言うことでもはっきり『間違っている』と断言することができません。

このような混乱した状況で、いわゆるイスラム国が『新しいカリフがここにいる』『正しいイスラム教徒はこのカリフの下に集まれ』と一方的に宣言してしまったので、イスラム世界はびっくりしてしまったようです。

どこの馬の骨が分からないのがいきなり『我こそはカリフなり』と名乗ったとしても、そんな話には乗らない、という人もいるでしょうし、とはいえカリフを名乗るということはそれなりの何かがあるのかも知れないと思う人もいるようです。

やはり普通の人にとって常に神と一対一で向き合っていなければならないというのは辛いことで、誰かが間に入ってくれて、自分はその間に入ってくれた人の言うことだけ聞いていれば安心だ、その方が遥かに楽チンで暮らしやすい、ということでしょうか。

そんなこんなでこの本をお勧めします。

この本、もともと1999年に『イスラーム教を知る事典』というタイトルで出版されたものを、直近の状況も踏まえて大幅に加筆・訂正して2015年7月に出版された、ごく新しい本です。

安倍首相の70年談話

8月 21st, 2015

この70年談話、本ではありませんが、文章として読むことができるので、『本を読む楽しみ』のカテゴリーの中に入れることにしました。

先週、安倍総理大臣の戦後70年の談話が発表されました。閣議のあと記者会見で、この談話を安倍さんが発表するところはNHKで全て中継され、それを見ていました。

格調の高い声明で、感銘を受けました。その後マスコミ各社の紙面・ホームページにその談話全文が発表され、また記者会見での発表をネットでビデオで見ることができるようになったので、念のために文章になったものと実際の発言とを比較してみました。

文章の方は、
http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2015/150814danwa.pdf
で、
ビデオは
https://www.youtube.com/watch?v=adpQU1H3xEA
で、また文章の英語版は
http://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201508/0814statement.html
で見ることができます。

記者会見での発表は約25分とかなり長いものでしたが、ごく少しの読み間違いを除くと、安倍さんは忠実に文章を読んでいました。しかし文章と発表とが大きく異なる部分が2つありました。

一つは冒頭、文章の方では最初の文、pdf版だと最初の2行にあたる所ですが、声明では約3分にわたり発言があります。

その中で『政治は歴史に謙虚でなければならない』『政治的、外交的意図によって歴史がゆがめられるようなことはあってはならない』『21世紀懇談会で議論してもらい、一定の認識が共有できた』『これを歴史の声と受け止める』と語っています。

もう一つ声明と文章の大きく異なる所は、最後の所で、文章の全部が終わった後、さらに追加で約2分程再び歴史について言及し、『聞き漏らした声があるのではないかと常に歴史を見つめ続ける』態度が必要だとしています。

ここまで言えば、いわゆる歴史認識の問題で中国や韓国が何か言ってきても、これは『政治的・外交的意図によって歴史をゆがめようとする』要求ですから、もはや何の効果もないということがはっきりします。この声明で、そのような動きがなくなってくれると良いのですが。

50年の村山談話、60年の小泉談話が第二次世界大戦とそれに至る経過から始まっているのに対し、この70年安倍談話はもう少し前から始まっています。

すなわち西洋諸国が世界中を植民地にしようと競い合っていた時代から始まり、それに対抗して日本が明治維新で国の近代化をはかり、日露戦争で勝ったことにより、アジアの国も必ずしも西洋諸国の植民地になるわけではないことを実証し、アジア・アフリカの国々を勇気づけたという所から始まります。

第一次大戦の反省を受け、国際社会は戦争を違法化する不戦条約(これは正式には『戦争放棄に関する条約』といい、昭和4年に日本を含む当時の主要国により締結された条約です)を生み出したことを示し、憲法9条の平和主義が必ずしも日本独自のものではないことを明らかにしています。その後世界恐慌とそれに続く、欧米諸国による植民地を含めた経済のブロック化により、日本は第二次大戦に追い込まれたことを明らかにしています。と同時に日本の政治システムが軍国化を止めることのできなかった問題点も明らかにしています。

そして第二次大戦が始まるのですが、その結果として
『そして70年前。日本は、敗戦しました。』
とはっきり言っています。

日本で日本人に対して『日本は負けた』と言うのはかなりハードルが高いようで、普通は『敗戦』の代わりに『終戦』と言い換えたりします。

小泉さんの60年談話は『終戦』という言い方で一貫していますし、村山さんの50年談話でも『敗戦後』とか『敗戦の日』という言い方が『終戦』という言い方と混用されていて、正面切って『敗けた』と言うことを避けているようです。この意味で安倍さんの談話は画期的なものかも知れません。

その次に安倍さんは第二次大戦での我が国の300万人の犠牲者の話に移り、広島・長崎の原爆、東京その他の大空襲、沖縄戦などを具体的に列挙し、軍人以外の市民が多数犠牲となったことを指摘します。もちろん日本側だけでなく、戦った相手の国の若者の犠牲、戦場となってしまった国の市民の犠牲についても触れ、さらに『戦争の陰にいた深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち』についても言及しています。これはいわゆる従軍慰安婦だけの問題ではなく、戦争によって勝った方にも負けた方にも、戦中だけでなく戦後においても傷つけられた女性たちが大勢いた、という事実の指摘です。

このような多数の犠牲者の存在を挙げた後、『歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。』という言葉が出てきています。この『取り返しのつかない』という部分、英文では『What is done cannot be undone』となっていて、これを日本語に直すと『起こってしまった事は起こらなかったように戻すことはできない』ということです。すなわち『取り返しができない』という言葉がその元々の意味で使われています。

このような犠牲が伴ってしまうので戦争をしてはいけない、『事変・侵略・戦争。いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解消する手段としてはもう二度と用いてはならない。すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。』と主張しています。

そして今日、日本が国際社会に復帰し、未来をつないでいけるのは戦争で戦った国、戦争に巻き込まれて被害を受けた国々やその人々の寛容の心、善意と支援の手のお蔭だと感謝し、この歴史の教訓を未来へ語り継ぎ、アジアそして世界の平和と繁栄に力を尽くすその責任を表明しています。

しかしこの戦争について、いつまでも謝罪を続けることはできないし、すべきではありません。謝罪はもうやめる。だからといって、何が起こったのか、何をしてしまったのかを忘れてしまっていいわけではない。この戦争をしてしまった過去の歴史に対しては真正面から向き合い、未来へと引き継いでいく責任がある、ということを明らかにしています。

最後にこの談話の結論になるのですが、
『いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも守り、世界の国々にも働きかけてまいります。』
『唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶をめざし、国際社会でその責任を果たしてまいります。』
『21世紀こそ、女性の人格が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。』
『いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。』
『暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。』

と述べ、要するに、今までの『国際社会の一員として皆と協力して仲良くやります』という姿勢を改め、『世界のリーダー国の一つとしてその責任を自覚し、責任を果たしていく』覚悟を表明しています。

日本は戦前、世界のリーダー国の一員でした。リーダー国の一画として世界の平和と繁栄のために努力しました。しかしそのために結局は他のリーダー国と世界を二分する大戦争をすることになってしまいました。
日本はその戦争に負け、リーダーの地位を失いました。その後、戦後の復興、高度成長を経て、日本はすでにリーダー国の一員となる実力を備えるようになっているんですが、敗戦の経験から、今までリーダー国の役割を担うことを躊躇してきました。しかし、力のある国がそれを自覚せず、それにふさわしい行動をしないことは周りの国にとってははた迷惑な話であり、また政治的・軍事的な不安定要素ともなります。

今回の70年談話でようやく日本も自国の置かれた立場を認識し、リーダー国の一員であるだけの国力を備えた責任を自覚し、それにふさわしい行動をする覚悟を明らかにした、ということは、まさに画期的なことです。

ここまでの覚悟をするのであれば、もはやお詫びとか謝罪とかのレベルの話ではありません。

このような覚悟の表明の総まとめとして、安倍さんは『積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。』と高らかに宣言しています。

この積極的平和主義、というのは、日本国憲法の前文にある
『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。』
という部分を踏まえた言葉で、日本国憲法のもっとも重要なポイントの一つです。残念ながらいわゆる護憲派の人たちは憲法のこの部分が目に入らないようです。

もちろん宣言したからと言ってすぐに世界が変わるわけではなく、世界中いたる所でいまだに戦争が続行中です。また安倍さんがいずれ総理大臣をやめた後、次の人がこの宣言を引き継いでいくかどうかも分かりません。安倍さん自身にした所で、今後国際的、国内的な情勢の変化で自分の言葉通りに行動できるかどうか、分かりません。

しかし一旦このような宣言をしてしまったことにより、今後の政府はいずれにしてもこの言葉に縛られることになるでしょうし、国際社会もこの言葉によって日本の行動を評価していくことになるでしょう。

そのような意味で、戦後70年、画期的な総理大臣談話だと思います。

21世紀懇談会の報告書

8月 7th, 2015

『20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会』が、8月6日に報告書を出しました(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/pdf/report.pdf)。

本文だけでA4で38ページのものですが、非常に良くできています。

日本をとりまく近・現代史について、自分の認識を確認するために非常に参考になる報告書です。

全体が6つの部分に分かれています。
最初が『20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私達が20世紀の経験から汲むべき教訓は何か。』というタイトルで、全体の歴史の概観です。ヨーロッパ、後にアメリカも含む全体的な帝国主義的な侵略から始まっていて、アヘン戦争もアメリカがスペインから植民地としてフィリピンを奪ったこともちゃんと書いています。

日本が中心になっているため、ヨーロッパによるアフリカ・中東の植民地化、アメリカによる中南米の植民地化については書いていませんが、それはこの報告書の目的には必要ないということでしょうか。

2番目が『日本は、戦後70年間、20世紀の教訓を踏まえて、どのような道を歩んできたのか。特に、戦後日本の平和主義、経済発展、国際貢献をどのように評価するか。』というタイトルで、戦後70年の日本の歩みを総括しています。戦後の復興から次第に経済大国になり、国際貢献を求められるようになって、それにどう応えてきたか、のまとめです。

3は『日本は、戦後70年、米国、豪州、欧州の国々とどのような和解の道を歩んできたか。』というタイトルで、第二次大戦で日本が戦ったアメリカ・オーストラリア・ヨーロッパの国々(イギリス・フランス・オランダ)に対して、日本がどのように和解のプロセスを進めたかということを、アメリカと、オーストラリア・ヨーロッパの2つに分けてまとめています。

4は『日本は戦後70年、中国、韓国をはじめとするアジアの国々とどのような和解の道を歩んできたか。』で、中国、韓国、東南アジアの3つに分けてまとめています。特に中国、韓国については、和解がなかなかうまく進まない状況をうまくまとめています。

5は『20世紀の教訓をふまえて21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くか。日本はどのような貢献をするべきか。』というタイトルで、今後の日本が世界に対してどのように貢献すべきか、考え方をまとめています。

最後の6『戦後70周年に当たって我が国が取るべき具体的施策はどのようなものか。』では、以上を踏まえて具体的なアクションプラン16項目を4つの区分に分けてまとめています。

非常にバランスのとれた、素晴らしい報告書だと思います。

ちょっと不思議なのは、ソ連あるいはロシアに関する言及が殆どなかったことです。これは戦後70年間、日本はソ連あるいはロシアとは直接の交渉があまりなかったからなのかも知れませんが、ちょっと残念です。

特に第二次大戦で、開戦前日本(特に陸軍)が一番気にしていたのがソ連であり、終戦直前から戦後の何年にもわたって苦しめられたのがソ連なのを考えるとちょっと不思議ですが、この報告書が将来に向けてのビジョンを主体としていることを考えると、こうなるのかも知れません。

この報告書は安倍さんの『戦後70年談話』の参考資料として使われることになるわけですが、基本的なスタンスは第二次大戦のことというより、むしろ『戦後70年の歩み』に重点が置かれているので、戦争あるいは敗戦に対する謝罪を求める人には不満なものになるでしょう。

また世界全体に対する視野で書かれているため、中国や特に韓国などは、自分達に関する言及が不十分だ、ウェイトが小さ過ぎると不満だろうな、と感じます。

これだけの様々な分野にわたる十数人が集まって作られた報告書です。このテーマに関心がある人にとっては、読まないと損な報告書だと思います。

お勧めします。

2.26事件と天皇機関説

8月 5th, 2015

2.26事件と天皇機関説の関係、だいたい分かったのでまとめておきます。

元となった本はかなりたくさんになるので紹介するのは省略します。

天皇機関説は、明治の終りから大正の初めにかけて問題になった時、それは憲法学者同士の、憲法の解釈に関する議論でした。で、負けた方が『負けました』と宣言するなどという話ではありませんから、はっきりどっちが勝った、という訳にはいきませんが、その後の経緯からすると『天皇機関説の完勝』ということで、昭和の頃には殆ど誰でもが天皇機関説は当然の標準的な憲法解釈になっていたようです。

そのような状況で、昭和10年の少し前になって、この天皇機関説が再度問題になりました。今度は憲法学説の議論ではなく政治的な動きの小道具として天皇機関説が使われたということになりました。そのため表面的には憲法の議論のように見えますが、実質的には憲法の解釈とは無関係の『政争の具としての議論だ』ということを押さえておく必要があります。

昭和10年当時、国会では(いつものことですが)政党は内閣を倒し、あわよくば自分達が内閣を作る立場に立ちたいと思っていました。枢密院では副議長の平沼騏一郎が議長の一木喜徳郎を追い落として、自分が議長になろうとしていました。陸軍では、いわゆる皇道派が統制派を排除しようとしていました。また皇道派も統制派もどちらも、軍の行動の自由のために元老・重臣・政府・議会を自分達の言いなりにしたいと思っていました。

このような状況下、攻める方からすると、相手のほとんどは天皇機関説の支持者あるいは少なくとも天皇機関説を容認する立場でした。そこで天皇機関説の問題を口実に美濃部達吉を攻めたて、天皇機関説の違法性・違憲性を政府および国民全般に認めさせ、これをベースに今度はその天皇機関説の支持者あるいはシンパである政府・一木枢密院議長・陸軍の統制派、その他元老・重臣・財界その他を排除しようとした、というわけです。

特に陸軍では在郷軍人会を利用して騒ぎを大きくし、その騒ぎが抑えきれない、世論を抑えきれないということで、次第に政府および美濃部達吉を追い詰めて行ったわけです。

結局、美濃部達吉は著書を発禁処分にされ、貴族院議員を辞職させられ、大学の講義もやめさせられ、政府は二度にわたり国体明徴の声明をさせられることになったわけです。この『国体の明徴』というのは、国体について云々しているものではなく、『天皇機関説は日本の国体にはそぐわないもので違法・違憲なものだ』という宣言です。

このような宣言を裁判所がするのでもなく議会がするのでもなく、政府がするというのもある意味おかしなものですが、とにかく攻撃側はそこまで政府を追い詰めて完全な勝利を得たことになります。あとはこの声明をバックに、天皇機関説支持者あるいは容認派である自分達の攻撃相手をじわりじわり攻め立てていけば、いずれ辞めざるを得なくなる、というシナリオです。

昭和11年に入ると永田鉄山を殺した相沢中佐の軍法会議も始まり、この軍法会議は憲法に従って公開で行われたため、何のことはない、天皇主義者たちの格好の宣伝の場となってしまったようです。そこでのスローガンは、国体の真姿顕現とか昭和維新とか、2.26の時の青年将校の行っているのと同じです。

この動きを裏で煽っていた真崎大将は、昭和10年に教育総監をやめさせられ負けたように見えたものの、この天皇機関説問題で陸軍その他を動かし、黙って待っていればいずれは政府がニッチもサッチも行かなくなって天皇の組閣の大命が自分の所に来るに決まっている、と待っていたようです。

そこで2.26事件が起こってしまいました。事件を起こした青年将校達にしてみれば、自分達の側の勝利は間違いない。しかしこのままいけば、それが現実にはっきりして陸軍主体政権ができ昭和維新が行われ、国民が大喜びしている時自分達はその中にはいられず、遠く満州から指をくわえてそれを眺めているしかないということで、多分寂しかったんでしょうね。

ほんのちょっとフライングだけれど、自分達の手で天皇機関説の元老・重臣たちを殺害し、昭和維新が始まる所に立ち会い、国民的な歓呼の声に参加した後で満州に行きたい、と思ってしまったようです。事件の経過を見る限り、自分達の行動が失敗する可能性はほとんどない、と思っていたようです。

結局青年将校達のクーデターは、最後まで天皇機関説を守り続けた天皇によって失敗となりましたが、その結果は実質的にクーデターに成功したのと同じことになりました。陸軍では青年将校達の支持した皇軍派は完全に排除され相手側の統制派の天下となりましたが、皇軍派の代わりに統制派が軍主導政権を作ることになり、最終的に軍独裁政権ができる所まで行きました。

軍は天皇主権説と天皇機関説の両方を手に入れ、国民や政府に対しては天皇主権説で天皇に対する一切の反対を封じ、天皇に対しては天皇機関説で自分達に対する反対を封じることになりました。2.26事件の殺戮は、元老・重臣・政界・財界を震え上がらせ、軍に反抗する勢力はなくなってしまいました。国民のほとんど全てが天皇主権説になってしまった中、最後までガンとして天皇機関説を持ち続けたのが天皇ですが、天皇の自己規定は『現人神としての天皇』というよりも、『明治天皇の指示としての帝国憲法に従うのが天皇の役割』と考えていたようです。

で、軍が天皇主権説と天皇機関説の両方を手に入れてしまったので、もはやだれも軍の暴走を止めることができなくなりました。この状況を合法的に変えることができるのは、軍が自らこの二つのオールマイティーのカードを放り投げる時しかない、ということになりました。そこで昭和20年8月、軍人内閣の総理大臣の鈴木貫太郎と天皇との協力で、御前会議でそのような『軍(を代表する総理大臣)がオールマイティーのカードを投げ捨てる』というパフォーマンスを演じ、天皇直裁でポツダム宣言受諾に辿り着いたということです。

軍主導で天皇機関説が排撃され、国体明徴の声明で政府も天皇機関説を否定し、ほぼ全ての国民がそれに従っても、最後まで『天皇機関説の天皇』であり続けた天皇は立派といえば立派ですが、ちょっと柔軟性に欠けるのかも知れませんね。とは言え『機関』としての天皇は、それ位がちょうど良いのかも知れません。

2.26事件の青年将校が望んでいた天皇親政は、結局陸軍統制派による軍事独裁政権になったわけですが、それを見ることなく処刑された青年将校達は、自分達が望んでいたことが実現不可能な夢物語だったと知ることなく、自分達を罪人にした人達、自分達を裏切った人達を恨んで死んでいったというのは、かえって幸福なことだったのかも知れません。

その分、生き残ってしまった青年将校達は辛かったでしょうね。

国体と『憲法』

7月 31st, 2015

2.26事件や天皇機関説事件に関する本を読みながら、今の『安保法案』を巡る議論を見ていると、何とも良く似ているな、という感を禁じ得ません。

昭和10年の天皇機関説事件の際、憲法(その当時ですからもちろん『大日本帝国憲法』(以下、『帝国憲法』と略します)ですが)そのものの解釈について議論すると、大学者である天皇機関説の美濃部さんに太刀打ちできる人はいません。そこで天皇主義者(天皇を至高の存在として考え、天皇主権説を主張し、天皇機関説を排撃する人達を仮にこう言うことにします)達は、憲法の議論に『国体』を持込みました。

現在の『日本国憲法』に『憲法に反する法律の規定は無効とする』旨の規定があるのですが、これと同様に、『国体に反する憲法の規定は無効とする』と主張して、天皇機関説を否定しようというわけです。

天皇機関説に反対する人達は国会議員であったり軍人であったりするわけですが、その存在というか地位というかの基礎となっているのは『帝国憲法』です。この帝国憲法を丸ごと否定してしまうと、国の運営ができなくなってしまいますし、また自分達の、国会議員であるとか陸軍大将であるとかの存在自体を否定することになってしまいます。そこで帝国憲法のうち都合の悪いものだけを無効にする、良いとこ取りの憲法解釈をしようというわけです。

で、この憲法の有効・無効を判断する拠り所の『国体』とは何かということになると、これはいろんな所に断片的に書いてある物の寄せ集めということです。いろんな物というのは、『教育勅語(教育に関する勅語)』『軍人勅諭(陸海軍軍人に賜はりたる勅諭)』『五箇条のご誓文』から始まり、『古事記』『日本書紀』までさかのぼる様々なもので、この中の国体を表していると考えられるものを細切れに拾い集めて、これこそ『国体』を示している文章だ、ということにしているものです。

天皇機関説事件の時、『国体明徴の声明』というものが2回にわたり政府から発表されています。これを読めば国体がわかるか、と思って読んでみると、この宣言の中味は『天皇主権説が正しくて、天皇機関説は国体に違反している』と書いてあるだけで、ではその『国体とは何か』ということは何も書いてありません。

国会での天皇機関説の議論も、議論に参加している全員が国体をきちんと理解しているという前提で行なわれていて(もちろん『国体なんて良く分からない』なんて正直に言ったら相手にされなくなってしまうわけですから当然のことなんですが)、皆が国体がどうのこうのと言っているんですが、正式に『国体とは何か』というのを明確にしたのは、その2年後、昭和12年に『国体の本義』という教科書を文部省が発行した時です。

2.26事件は昭和11年ですが、反乱軍の青年将校達の要求事項の中に、『国体の真姿顕現』という項目があり、要するに現実の国の姿を国体にもとづく、あるべき姿の通りに変えろ、ということですが『国体の本義』の発行は、2.26事件の翌年です。

このようにして天皇主義者たちは『国体』をお御輿のご神体に祀り上げ、自分達で勝手にそれを振り回して現実の憲法や政治を動かしたわけです。

で、戦争が終わり帝国憲法が日本国憲法に変わり、天皇は天皇主権説の天皇でも天皇機関説の天皇でもなくなり、象徴天皇になりました。

これでもう『国体』などという訳の分からないものに振り回されることはなくなったのかと思うと、今度は立憲主義の憲法学者達が『国体』に代わって『憲法』というものを持ち込んだようです。この『 』で囲んでいるのは、現実の憲法とは別に『憲法』という新たなご神体を持ってきている、そのご神体というくらいの意味です。

そして前と同様、『憲法』に反する憲法の規定は無効だ、とやり出したわけです。もちろん『憲法』の中味は?と聞いた所で、ちゃんとした答が返ってくるわけではなく、意味不明な言葉が返ってくるだけです。彼らの頭の中でこれは『憲法』に合っているか違っているか勝手に考えるだけなのですが、その『憲法』の中に、たとえば『憲法の規定は変えてはいけない』ということが入っていると、現実の憲法にいくら憲法の改正手続きが書いてあっても『憲法は変えてはいけない』ということになるわけです。これが彼らの言う『立憲主義』ということになるわけです。

現実の憲法は実体がありますから、そう勝手に自分達の都合の良いように使い回すことはできませんが、ご神体の『憲法』であれば中味が不明なものですから(あるいは中味がからっぽなのかもしれません)、自分達の都合に合わせてどのようにでも言い張ることができます。誰か不信心な不敬な者がいて、そのご神体を見たいなんて言ったとすると、『罰あたりめ、お前らなんかのような不信心者に神様が見えるわけがあるか』なんて訳の分からないことを言って、ごまかすことができます。

このようにして、天皇機関説事件の時の天皇機関説排撃側のやり方と、今の立憲主義の憲法学者達の訳の分からない言い分と良く似てるな、という話です。

憲法学者は『憲法』と憲法を、どちらもケンポーと言って、その時々の都合に合わせて『憲法』と憲法を使い分けているわけですから意味を理解しようとしても理解不能な、支離滅裂な議論になります。

国体であれば同じようにわけのわからないことでも少なくとも憲法と国体と、言葉を分けているだけまだましですが、ケンポーとケンポーを使いまわしていると、多分自分でも訳が分からなくなるんでしようね。

夢野久作『近世快人伝』

7月 27th, 2015

少し前、杉山龍丸『我が父 夢野久作』を紹介しましたが、こんどは夢野久作がその父杉山茂丸を書いた『父・杉山茂丸を語る』を読んでみました。そのために夢野久作全集の第7巻を借りたら、『近世快人伝』というのが最初に入っていて、それも読みました。

この『近世快人伝』、まずは頭山満、次に杉山茂丸、さらに奈良原到、最後に篠崎仁三郎という4人の評伝というかエピソード集というか、を集めたもので、その4人の快人というか怪人ぶりが生き生きと描かれています。

最初の3人は玄洋社に関わりのある人たちで、3人目の奈良原到の所で、玄洋社というのは健児社の進化というか変化というか、なれの果てというか、そういうものだ、と書いてあり、この一言で玄洋社の何たるかが何となくわかったような気がしました。福岡の暴れん坊達が集まって、皆でいろいろ暴れまわった、そのグループということです。薩摩の健児達は多くが西郷さんと共に討死し、残りは東京で出世したけれど、福岡の健児たちはどちらにもならずに玄洋社になった、というところでしょうか。

頭山満というのはその玄洋社におとなしく担がれていたのが、杉山茂丸というのはその玄洋社に収まりきらずに一人離れて、訳の分からないことをした人だったようです。

最後の篠崎仁三郎の所は、伝記というよりはむしろ落語を読んでいるようなもので、このまま落語になりそうな話です。どこまで本当のことかわかりませんが、とにかく楽しい読み物になっています。

私は夢野久作というのは『ドグラ・マグラ』なるオドロオドロしい怪奇小説を書いた人だ、というくらいな認識で、読んだことはなかったのですが、初めて読んであっけにとられました。とんでもない作家のようです。

せっかく借りたので、ついでにいくつか読んでみると、『創作人物の名前について』という、小説の登場人物にどのように名前をつけるか、とか『恐ろしい東京』という、ふだん福岡の山の中に住んでいる自分が東京に出てきてとんでもない体験をすることとか、とても面白いエッセイでした。『スランプ』という、自分がスランプに陥って書くことができないんだけれど、スランプに陥っていることについてならいくらでも書けるなどという、人を食ったようなエッセイもありました。

小学校に上がる前に四書五経をそらんじていたという天才とはとても思えないような文才で、とんでもない人もいたもんだ、と思いました。

つい最近亡くなった鶴見俊輔さんにも『夢野久作』という評伝があるようなので、次はこれを読んでみようと、図書館に予約を入れました。

『集団的自衛権』と『包括的他衛義務』

7月 17th, 2015

安保法制の衆議院の特別委員会の裁決が終わり、昨日が衆議院本会議での採決でした。
これで参議院での議論が始まるまでちょっと一休みですが、個別的自衛権は合憲だけれど集団的自衛権は違憲だという議論は相変わらずですね。

で、これに関連して砂川事件の最高裁での判決書を読んで先日紹介したのですが、その続きでもう少し書いてみます。『包括的他衛義務』というのは、とりあえず私が勝手に作った言葉なので、以下の話を読んでみて下さい。

砂川事件の最高裁の判決書には『理由』、の本文の次に各裁判官による補足意見が付いています。この中で裁判長であり最高裁判所長官であった田中耕太郎さんの意見は次のようになっています。

まず自衛権について、国家がその存立のために自衛権を持つことは当り前の話で、憲法にそれが書いてあろうとなかろうと当然のことだ、と言います。さらに一つの国の自衛は、周りの国にも直接の影響を及ぼすので、『自営というのは権利であると同時に義務でもある』と言います。即ち、ある国家が勝手に自衛権を放棄してしまうのは、はた迷惑な話だからやってはいけない、ちゃんと自分の国は自分で守るのは義務だ、と言っています。

さらに国際協調の時代、自分の国の防衛だけ考えて他の国はどうなっても良いというのは間違っている、自分の国の防衛だけでなく、他の国の防衛もちゃんと考えて協力しなければならないとして、それは日本国憲法の前文にちゃんと書いてある、と言っています。
ここの部分を『包括的他(国)(防)衛義務』と言ってみました。包括的、というのは、特定の国だけ守るんじゃなくてどこの国でも守る、くらいな意味です。

憲法の前文が憲法の一部なのか、憲法とは別の作文なのかというのは色々議論のある所ですが、一般的な解釈では、多少の強弱の差はあるものの、憲法の一部だということになっています。

それで憲法の前文を読んでみると、驚いたことに、確かにそう読めるように書いてあります。こんな読み方、初めて知りました。こうなると、集団的自衛権が合憲なのか違憲なのかという話とはまるで別次元で、日本は他国の防衛のために戦う義務がある、という話になってしまいます。

ただでさえややこしい安保法制の議論の最中に、このようななおさらややこしい話を持ち出すのもなんなんですが、まあこのブログを読む人も殆どいないでしょうから、忘れないうちに書いておきます。

国民の理解

7月 16th, 2015

マイナンバー制度がいよいよこの秋から始まります。
これをビジネスチャンスとして、いろいろな会社があることないこと煽り立ててアドバイスを売ろうとしたり、不必要なシステムを売りつけようとしているようです。

で、このマイナンバー法制ですが、いつの間にできた法律なんでしょう。法律ができた時、国民は十分理解していたんでしょうか。

今、安保法案について『国民の理解が十分でないので採決すべきでない』という議論がさかんに行われています。このように言っている人は、マイナンバー法制について同様の主張をしていたんでしょうか。

確かに安保法制について十分理解が進んでいないのかも知れません。しかしそれは政府の説明不十分というだけのことでしょうか。民主党をはじめとする野党が国民の理解を妨げていたということはないでしょうか。ロクでもない質問を何度も繰り返し、国会の審議時間を空費したのではないでしょうか。

もし国民の理解不足が法案の採決をさせない理由になるとすると、今後国会の議論で法案に反対する側は議論をするのでなく、相手の説明を妨害し、国民に誤解・不信感を植え付けることが大いに有効な戦略となります。

今日そのような理由で採決が先送りされなくて良かったと思います。

さらに国会での立法に関して、国民の理解は必ずしも必要とされていません。国民もそれほど暇ではないので、一つ一つの立法案を全て理解しようなんて面倒なことはしたいとは思わないはずです。その代わりに国民の代表として国会議員を選挙で選び、高い給料を払って国民に代わって法律案を審議し、採決することを委託しているわけです。全てを直接国民に任すということであれば、国会議員の存在理由がなくなってしまいます。

このあたり、民主党の先生方はどう考えているんでしょう。
多分何も考えていないんでしょうね。

宮澤俊義『天皇機関説事件』

7月 14th, 2015

先週、この本についてコメントした時はまだ上巻の最初の方しか読んでませんでした。今でもまだ上巻の半分くらいまでしか行ってないんですが、ちょっとコメントします。

読むのに時間がかかるのは、引用されている部分が多いからです。
前回紹介した時はまだ1911年頃の話で、明治から大正に変わるあたり、天皇機関説に関する論争があったのですが、主として美濃部さんと上杉さんという憲法学者同士の論争で、その中に他の憲法学者その他も口を出すというくらいの話でした。

それが1935年、昭和10年になっていよいよ『天皇機関説事件』という事件になります。ここでの登場人物は国会議員(貴族院議員)、新聞、軍人、その他と多様になり、引用されているのも議会の議事録なり新聞記事なりで、なかなか時間がかかります。

美濃部さん側のものは『一身上の弁明』という有名な演説で、天皇機関説についてみごとに説明しているものです。

この演説があまりにもみごとなのでそれがかえって火に油を注いだような形になり、天皇機関説批判がその後大きく燃え広がり大騒ぎになるのですが、このあたり反天皇機関説の主張を読んでいくと、今の憲法学者が安倍さんの安保法案に反対しているのと良く似ていてとても面白いです。

この途中で、時の有名人の徳富蘇峰が介入して『自分は天皇機関説なんぞ読んでいないけれど、天皇機関説には大反対だ』とボロクソにけなす、なんてこともあります。今のいわゆる文化人とか有名人とか称する連中が安保法案反対で訳も分からず大騒ぎしているのと比べ、昔も今も同じだなと思います。

この本を読んでいる過程で、そういえば大日本帝国憲法(長いので以下『帝国憲法』ということにします)をまともに読んでいないなと思い、帝国憲法と今の日本国憲法の対比表などを作りながら読んでみました。比べてみると本当に良く似ていて、美濃部さんが『日本国憲法など作らなくても帝国憲法の解釈を変えれば十分だ』と言ったというのもなるほどナ、と思ったりしました。

で、帝国憲法の第3条には『天皇は神聖にしておかすべからず』というのがあります。これを見てなるほどなと思ったのは、日本国憲法では天皇は神様でなくなってしまったので、もはや『天皇は神聖にしておかすべからず』と言うことはできなくなってしまって、その代わりに憲法学者達は『憲法は神聖にしておかすべからず』という条文を暗黙のうちに日本国憲法に挿入してしまったんだな、ということです。

このように考えると、いわゆる立憲主義の憲法学者達が憲法改正に気が違ったように反対するのも良く分かります。『天壌無窮の天皇制』というのも、そのまま『憲法9条は永遠の真理であり、未来永劫大切に守っていかなければならない』ということになります。それにしても1935年(昭和10年)というのは、明治維新からたかだか70年位のものです。70年も経つとその前の江戸時代、天下の将軍様は誰もが知っていても、天皇など多くの人が知らなかったり意識もしていなかったなんてことが簡単に忘れられ、それこそ何千年も前から日本は天皇が統治する国であり続け、未来永劫そのまま続くということになってしまうんですね。

今年は戦後70年ですから、敗戦から今まで、明治維新から天皇機関説事件までと同じくらいの年数がたっています。これだけの年数がたつと戦前のこと、憲法9条ができる前のことなんてのも簡単に忘れられちゃうんですね。

この天皇制、日本独自で世界でもっともすぐれた制度だという主張と、憲法9条は世界に類を見ない日本だけのもので、こんな素晴らしい憲法の規定を持っているのは日本だけだという主張と良く似ています。さすがに憲法9条は何千年も前からというのは無理ですが、その代わりに聖徳太子の17条の憲法を持ち出して、『日本は大昔から平和憲法の国であり、この平和憲法は未来永劫変わらない、変わってはならない』ということになります。

ということで、立憲主義の憲法学者というのは、天皇機関説排撃を唱えて天皇主権を主張し、天皇の前では憲法など何ものでもないと言っていた連中と同じことだ、と考えると良く分かりますた。

で、天皇機関説に反対する彼らにとって、本当に大事なのは現実の天皇ではなく、彼らのオミコシに乗せてあるご神体の天皇であり、また立憲主義の憲法学者達にとって大事なのは、現実の憲法でなく彼らのオミコシに飾ってあるご神体の憲法です。

天皇機関説では、美濃部さんは帝国憲法に定める天皇について語っているのに対し、それを潰そうとする人達は自分達のオミコシに乗っているご神体の天皇について語っています。

安保法制で安倍さんの自民党の政治家達は現実の日本国憲法について語っているのに対し、憲法学者は自分達のオミコシに乗っているご神体の憲法について語っています。

ここで美濃部さんを潰そうとする人達が『オミコシのご神体の天皇と現実の天皇は別だ』とは一切言わないように、立憲主義の憲法学者達も『オミコシのご神体の憲法と現実の憲法は別だ』とは一切言わないことになっています。

このため常に議論がかみ合わないことになります。

まぁ別の話をしてるんだ、と言ってしまえばそれで話は終わってしまいますから、天皇機関説を排撃することもできないし、安保法制を憲法違反だと批判する事もできなくなってしまうので、分かっていながらご神体の天皇と現実の天皇、ご神体の憲法と現実の憲法をわざとごっちゃにして話しているんだということを隠しているんでしょうが、そのあたりの事情が分からない人がついうかうかと乗せられてしまって目を吊り上げて一緒に大騒ぎをするというのは、何やら可哀想な気がしますね。

天皇機関説事件、まだ昭和10年の3月あたりです。これから真崎大将の教育総監罷免、相沢中佐の永田鉄山殺害、と続いて昭和11年の2.26事件に続きます。そしていよいよ太平洋戦争に突入し、敗戦、戦後になるわけですが、この本、まだまだ当分楽しめそうです。

砂川事件の最高裁の判決書

7月 13th, 2015

安保法制で話題になっているので、まだ読んだことがなかったなと思い、砂川事件の最高裁の判決を読んでみました。

探すのがめんどくさいかなと思っていたのですが、ネットで検察すると一発で最高裁の判例のページからこの判決文のpdfファイルが手に入りました。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/816/055816_hanrei.pdf

全部52でページ、なかなか読みごたえがありますが、本文は大したことはありません。
主文は
  原判決を破棄する。
  本件を東京地方裁判所に差し戻す。
の2行だけですから、これだけじゃ何もわかりません。
これに続く『理由』の所が50頁あるわけですが、その本文は5頁半です。残りはこの判決に参加した裁判官の補足意見です。この裁判は最高裁の裁判官全員参加の大法廷の裁判なので、裁判官は全部で15人います。そのうち10人の裁判官が8つの補足意見を出しているので、それだけで45ページということです。

事件自体はどうということのない事件で、米軍基地に日本人が不法に入り込んだ、ということなのですが、それを最初の裁判で『もともと日本に米軍基地があるのが憲法違反だから不法に立ち入ったのは無罪』としてしまったため大騒ぎになった、という事件です。

で、この最高裁の上告審の結論は『憲法違反なんて何アホなことを言ってるんだ、頭を冷やして裁判をやり直せ』というだけのことなのですが、その結論を出すまで日本の自衛権と憲法の関係とか憲法と条約の関係とか立法(国会)・行政(政府)と司法(裁判所)の関係とか、いろいろ面白い議論が展開されていて、さらに現行の憲法の下での自衛権について最高裁が判断を示した唯一の判例だということで、有名になっているものです。

で、この判決文、ちょっと長いですが、非常に面白くあっと言う間に読めてしまいます。時間がなければ少なくとも最初の本文の所と、次の裁判長の田中耕太郎さんの意見の所だけでも読んでみて下さい。この2つで10頁半ですからすぐ読めます。特に田中さんの意見の所を読むと、今の自民党の案がいかにおとなしいものか良く分かります。

憲法学者や反安倍の政治家が、この判決では『自衛権と言って個別的自衛権か集団的自衛権か言っていないんだから、集団的自衛権は認められない』なんてことを言ってますが、それは明らかに嘘だということが良く分かります。この判決文には『自衛権』という言葉と『個別的自衛権』という言葉と『集団的自衛権』という言葉が出てきます。この三つが全て出てきて、その中で『自衛権』という言葉が出てきたら、それは『個別的自衛権と集団的自衛権を合わせた、全体としての自衛権を意味する』というのは、日本語の読み書きが分かれば当然の話で、ここに集団的自衛権と書いてないから集団的自衛権は除くんだ、なんてことはあり得ません。

もちろん憲法学者は日本語があまり得意じゃないようなので、そこらへんが分からない人もいるかも知れませんが、政治家でそこらへんを分からない人がいたら、その人はもう政治家をやめた方が良いと思います。

で、この判決の主旨は個別的であろうと集団的であろうと、自衛権は憲法9条に違反するものではないということと、その自衛権を具体的にどのように実現するかというのは政治的な話なので、裁判所が判断することではない、ということです。

この裁判の裁判官達はちゃんと三権分立の原理を理解しているので、裁判所が勝手に国会の立法権や政府の行政権に介入することは三権分立に反して憲法違反になる、と判断しています。その点、三権分立を理解しないで憲法違反の発言を繰り返す憲法学者や野党の弁護士政治家たちとは違います。

裁判長の田中さんの意見を読むと、もっと面白くなります。この人によると、自衛というのは権利であると同時に義務でもある。『一国の自衛は国際社会における道義的義務でもある。』と言っています。さらにその防衛する対象が自国なのか他国なのかというのは結果的に同じことになるので、『(従って)自国の防衛にしろ他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。』と言っています。

さらに『防衛の義務はとくに条約をまって生ずるものではなく、また履行を強制しうる性質のものでもない。』と言っています。すなわち、安保条約のような条約を結んでいる相手の国だけでなく、そんな条約を結んでいない国であっても、その国が攻撃される時には防衛に協力する必要があると言っています。

『憲法9条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まって不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。しかしこれによって我が国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。』と明確にしています。

そして最後に『要するに我々は憲法の平和主義を単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心を持たない態度も、憲法前文にいわゆる「自国のことのみに専念」する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとは言えない。』としています。

この他にも面白いコメントがたくさんある判決文です。
お勧めします。