天皇機関説と立憲主義の憲法学者たち

7月 6th, 2015

これまでいろいろ2.26事件関係の本を読んで、2.26事件に天皇機関説が大きな影響を与えていることがわかってきました。

この天皇機関説、私は天皇機関説問題ということで、美濃部達吉の天皇機関説と、それに反対する学者との論争という認識だったのですが、『問題』ではなく『事件』すなわち『天皇機関説事件』というのがあるんだ、ということが分かりました。

この事件、昭和10年に天皇主権説の議員が国会で天皇機関説批判の演説をし、その後いろいろあったあげく、その年の秋には天皇機関説は禁止になり、美濃部達吉は貴族院議員をやめることになった、という事件です。

これと同時に2.26事件の黒幕と言われる真崎大将が陸軍の教育総監をやめさせられ、それを受けて相沢中佐が永田鉄山を殺害し、最終的にその翌年の2.26事件につながっていくという状況です。

で、2.26事件についてはまた改めて書きますが、この天皇機関説事件について宮沢俊義著『天皇機関説事件』(上・下)という本があります。この宮沢さんというのは美濃部さんの弟子にあたる人で、芦部憲法の芦部信喜さんはこの宮沢さんの弟子になります。また日本国憲法の制定に関していわゆる『八月革命説』を言い出したのが、この宮沢さんです。

で、この本は、新聞や雑誌その他に書かれている美濃部さんの主張・反対派の主張・関係者の証言等をまとめて、それに宮沢さんがひとつひとつコメントしていて、なかなか面白いものです。

で、この本を読みながら一つ単純な疑問が生じてきてしまったので、忘れないうちに書いておこうと思います。

『天皇機関説』というのは『天皇主権説』と対抗したわけですが、天皇主権説というのは文字通り大日本帝国憲法では主権が天皇にあるという説で、天皇機関説はそれに反対して主権は国にあり、天皇はその国の機関だ、ということで、神様のような天皇陛下を機関とは何事だ、と大問題になったわけです。

で、今のいわゆる立憲主義の憲法学者というのは、皆芦部さんの弟子のようなもので、天皇機関説の美濃部さんからするとひ孫弟子みたいなものになります。

ところが芦部さんの憲法その他の本には、大日本帝国憲法は天皇主権の憲法だったのを日本国憲法では国民主権の憲法になった、と説明してあります。

これは一体どういうことだろう、というのが私の疑問です。先生の先生の先生である美濃部さんが命がけで否定した天皇主権説を、そのひ孫たちが寄ってたかってそのまま認めて天皇機関説を否定している、ということなんでしょうか。それとも美濃部さんが貴族院議員をやめ天皇機関説が禁止された段階で、大日本帝国憲法は天皇主権の憲法になった、ということでしょうか。それとも例によって何かわけの分からない憲法学者特有の屁理屈があるんでしょうか。

このあたり、このブログの読者で何か知っている人がいたら教えてもらえると嬉しいです。

普通の憲法の解説書や教科書では、このように美濃部さんの孫弟子の憲法学者が美濃部さんの天皇機関説とは反対の立場に立ってしまった理由は書いてなさそうですから。

まあ、どうでもいい話ではあるのですが、憲法学者の屁理屈を見てみるのも一興、というところです。

林 尚之『日本国憲法と美濃部達吉の八月革命説』

6月 22nd, 2015

このブログで『本を読む楽しみ』のカテゴリーで紹介しているものは、基本的に『本』なのですが、今回は本ではなく『論文』です。

2.26事件関係の本をいろいろ読むうちに、美濃部達吉の天皇機関説の問題がかなり重要なのかなと思うようになりました。

それで週末に何冊か図書館から本を借りてきて、これからそれを読まなければいけないんですが、遅まきながら初めて天皇機関説という問題があったということでなく、『天皇機関説事件』という事件があり、その事件が起きたのが昭和10年、すなわち2.26事件の前の年だということがわかり、なおさらちゃんと理解しなきゃと思っています。

で、図書館で本を借りる前、いろいろネットで調べていてぶつかったのがこの論文です。

『八月革命』というのは、この前衆議院の憲法審査会に出てきた憲法学者が3人とも『安保法制は違憲だ』と言った時も、そのうちの一人が話していたんですが、今の憲法学者の主流である立憲主義の憲法学者が日本国憲法の正当性を証明するためにむりやりでっち上げた革命です。すなわち昭和20年に日本が太平洋戦争に負けてポツダム宣言を受諾すると言った時、そのことによって日本では革命が起き、大日本帝国憲法は文字づらはそのままで国民主権の憲法に変化した、という説です。

この説を唱えたのが美濃部達吉の弟子にあたる宮沢俊義という先生で、その弟子にあたるのが芦部信喜という人で、この人の憲法学が現在の立憲主義の憲法学者にとってバイブルになっているという関係にあります。

この立憲主義の憲法学者というのは狂信的な新興宗教の信者みたいなものですが、その彼らの先生の先生の先生がどんなことを考えていたのか、と思ってちょっと読んでみました。

まぁ論文ですからちょっと堅苦しい所もありますが、非常に分かりやすく納得できる話ばかりで、面白く読めました。本文だけで21ページですから、その気になればすぐ読めます。

で、この論文によると美濃部さんの憲法学というのは今の憲法学者達の憲法学とはまるで違って、すんなりと受け入れられます。『憲法の条文は遠き将来に至る迄も容易に改正せらるることは無いであらうが、条文は其の儘であっても憲法の実際の運用は絶えず変遷して行くのである』、すなわち憲法の条文はそのままで解釈をどんどん変更していけば良い、というようなことを言っているようです。著者の言葉によると『社会の趨勢が憲法の実質を決定している限り、憲法解釈は条文に拘わずにその社会の趨勢を読み取ることが重要であるとされたのである。』となります。

で、この美濃部さんは戦争が終わって日本国憲法を作る時に、大日本帝国憲法のままで解釈を変えるだけで十分だと言って、新たに日本国憲法を作ることに反対していました。

それが日本国憲法ができた途端、今度は日本国憲法を強力に支持するようになり、これは『転向』と呼ばれるようになったようです。

で、この日本国憲法について、現在ではアメリカから押し付けられたものだから自主憲法として作り直さなきゃとか、押し付けられたとは言え国会で日本人が議論して作られたものだからそのまま守らなきゃとか、いろいろ議論がありますが、美濃部さんの立場はそのどちらとも違い、ポツダム宣言を受諾したことによるアメリカをはじめとする占領軍の圧倒的な力を背景として押し付けられたものであることが日本国憲法の正当性の根拠だ、ということになるようです。

ここの所、美濃部さんの
【法は実力である、と言ひ、事実において規範力が有るといふのは、この意味において、疑いもなく半面の真理を包含するもので、もとより実力が即ち法であり、総ての事実に当然に規範力があるとするのは誤りであるけれども、実力が完全に貫徹せられて、有効な抵抗は全く行われなくなり、事実上の状態が正当なものとして認めらるるようになれば、その事実は即ち法となったものである】
という文章を引用しています。美濃部さんというのは、憲法学者の教条主義とは正反対の現実的な考え方をする人だったようです。

で、その後占領は解かれ、占領軍はいなくなったのですが、現在の日本国憲法の正当性の根拠は戦後70年にわたって日本国憲法と日米安全保障条約によって日本は安定しており、その両方が日本国民にも受け入れられているからということになるようです。『だから日本国憲法の最高法規制と日米安保体制とは、美濃部の主権の自己制限論では矛盾するどころか、国際条約への従属こそが憲法の最高法規制を保証する根拠となったのである。』と書いてあります。日米安保条約が日本国憲法のうしろ立てになっているということです。

この説はとても分かりやすく、納得できるものです。

この著者の林尚之さんというのは、自身を憲法学者というより歴史学者として位置づけているようで、憲法学者達がこの論文をどのように評価しているのかは分かりませんが、私にとっては訳の分からない狂信的な立憲主義の憲法学者の言い分と違って、ごく真っ当な議論であり、現在議論されている安保法制にしても憲法改正の議論にしても参考となる論文だと思います。

インターネットが進んでこのような論文まで簡単に手に入るようになったというのは有難い話です。
この論文のpdfは

http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/10690/1/2010000071.pdf

で取ることができます。

ちょっとメンドクサイ議論でも嫌いじゃない、という人に是非ともお勧めです。

『わが父・夢野久作』杉山龍丸

6月 16th, 2015

先日の『グリーンファーザーの青春譜』の続きで、同じく杉山龍丸さんの『わが父・夢野久作』を読みました。

『夢野久作全集』の刊行に合わせて、肉親から見た夢野久作の姿を描くという趣旨なんですが、夢野久作を語るにはその父杉山茂丸、さらにはその父の杉山三郎平灌園、さらにはその父の杉山啓之進までさかのぼらなければ十分に語ることができない、ということで、杉山家の6代目(啓之進)から9代目(杉山泰道=夢野久作)までを主に、10代目の杉山龍丸が語る、という本です。

幕末・明治維新から昭和初期までの期間、日本の変化に振り回されながら日本の政治・社会を振り回した一族の物語です。中でも8代目の茂丸というのはまさに怪物とでもいうような人物で、日本あるいはアジアを振り回しながら家族をトコトン苦しめ、その最も苦しい立場を受けて立ったのが9代目の泰道、夢野久作で、8代目と9代目が相次いで死んだあと、まだ10代でその後始末をさせられたのが10代目の龍丸、すなわち著者です。

旧制中学5年、まだ10代の時、2.26事件の直後に父を亡くし、その後著者は士官学校に入りプロの軍人となるのですが、『グリーンファーザーの青春譜』に何気なく書いてある『日本にも杉山家にも絶望していた』という言葉の意味がこの本を読むと何となくわかるような気がします。

この本のはじめの部分の幕末・明治維新の頃の話としては、一般に『尊王攘夷派』と『佐幕派』の争いということになっていますが、それとは別に杉山家などでは『勤王開国』という立場を取ったために、その仲間の人達は両方から狙われてさんざんな目にあった、という話があります。この話は初めて知りました。

7代目の三郎平灌園という人は水戸学の先生だったという人ですが、杉山家の苦難の歴史にはこの神がかり的な水戸学が多分に影響しているのかも知れません。

8代目の茂丸が修猷館の仲間と玄洋社を作り、欧米列強によるアジア植民地支配に対抗するため家族をほっぽり出して走りまわっている間、9代目の夢野久作は幼児の頃から祖父の7代目三郎平灌園に四書五経を叩き込まれ、良くできたご褒美にタバコを吸わされて小学生の時にはもうニコチン中毒で、小学校でも中学校でも特別にタバコを許されていた、なんてのも凄い話です。

私は夢野久作という名前は知っていますが、作品は読んだことがありません。多分、この本の中味はその作品よりさらに奇想天外の怪奇的な話になっているのではないだろうかと思います。

普通の家に生まれ普通に生活できるということがどんなに有難いことか、考えさせられる本です。

さんざん苦しめられながら、著者は淡々と愛情を持って父・祖父・曽祖父・その他一族の人々を描いています。

お勧めします。

惑星の運動

6月 16th, 2015

先日、『ファインマンさん 力学を語る』という、ファインマンによるニュートン力学の惑星の軌道の話の本を紹介しました。
このファインマン流の引力の法則で面白かったのが、惑星の運動で、速度ベクトルの変化を見ると、速度ベクトルが円を描いている、ということでした。
もちろんそれが原点を中心として円を描いていると、元の惑星の軌道は円を描くことになるのですが、一般的には原点でない点を中心とした円を描く、ということになるわけです。
ファインマンはこのことを基に幾何学的に惑星の軌道が楕円になる、ということを証明しているのですが、この速度ベクトルが円を描く、ということを幾何学的ではなく解析的に書くとどうなるか、やってみました。
普通、ニュートン力学の惑星の軌道の計算ではrの逆数をたとえばu=1/rとして、rに関する微分方程式をuに関する微分方程式に変換して、いろいろやった挙句、軌道が楕円になることを証明しているのですが、この速度ベクトルが円になる、という方からアプローチするとごく簡単に角度と距離の式が書け、軌道が楕円になることが証明できてしまいます。また、その結果として楕円軌道の回転の周期が楕円の長半径の3/2乗に比例することもごく簡単に証明することができます。

うまくいってうれしくなってしまったので、これをまとめてメモしておきました。

惑星の運動.docx

もし、興味があったら読んでみてください。

憲法審査会のビデオ

6月 10th, 2015

衆議院の憲法審査会のビデオを見てみました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44973&media_type=

例の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った、と言って話題の憲法審査会です。

2時間半とちょっと長めのビデオですが、途中コマーシャルが入るわけでもなく、また国会のいろんな委員会の中継のように野次や怒号があるわけでもなく、落ち着いて楽しめます。

憲法学者に対して国会議員は『先生』と呼び、憲法学者は国会議員に対して『先生』と呼び、もちろん学者同士も相手を『先生』と呼び、憲法学者は質問されると質問した国会議員に対して『ありがとうございます』と言い、議員は質問に答えてもらうと憲法学者に対して『ありがとうございます』と言い、静かな雰囲気で淡々と質疑が進みます。

話題の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った場面でも別に騒ぎが起きるわけでもなく静かに淡々と質疑が続いています。

もともとこの憲法審査会は『立憲主義』と『憲法審査権』『憲法裁判所』をテーマにしたもので、安保法制が合憲か違憲かをテーマとしたものではありません。

それで、3人の憲法学者はその本来のテーマに従って持論を展開して説明しているわけですが、議員の質問に移ってから、民主党の議員が安保法制が合憲か違憲かについての見解を質問してしまったので、話がおかしな方向に向かってしまった、ということです。

最初の部分の『立憲主義』のあたりも、憲法学者がいかにとんでもない議論を真面目に展開するのか知るために見る価値があると思います。

民主党推薦の小林さんという先生はとことん改憲主義者のようで、憲法9条が諸悪の根源で、何が何でも憲法9条を改正することが重要だ、という、いわゆる護憲派の人々が聞いたら涙を流すようなことを主張しています。

この小林先生という人はなかなか面白い人で、憲法に関して本質的なことを平然と説明しています。例えば、法律にはそれに違反したときに罰則や刑罰が定められていて、行政や司法がその後ろ盾になっているんだけれど、憲法は法律を超えた最高法規なので、後ろ盾になる存在はない、誰か(例えば政府)が憲法違反をしたとしても、その憲法違反をとがめ立ててやめさせる力を持った存在はない、その場合は国民主権の投票行動によってそのような政府を変えるしかない、というようなことを平然と説明します。
国際法についても、国際法の世界は戦国時代のようなもので、何が国際法に適っていて何が国際法に違反しているのか最終的な判断をする権限のある存在はない、というようなことを平然と主張しています。

民主党の議員が質問しているのは、ビデオの右下の全部で1時間48分と表示されているところで1時間35分経過、と表示されているあたりですから、時間がない人はここのところだけ見てみても面白いと思います。質問している民主党の議員の隣には辻元さんも映っています。憲法学者たちが3人そろって憲法違反だ、と言ったところでは画面は憲法学者たちを映していて辻元さんがどんな表情をしていたのかは映っていませんが。

とにかく、楽しめるビデオで、お勧めです。

『回顧90年』福田赳夫

6月 9th, 2015

これはあの角福戦争をやった、福田さんの回顧録です。ふだんは図書館の本棚でもこんな本は見ないのですが、先日たまたまリサイクルコーナー(ご自由にお持ち下さいコーナー)にあったのでちょっと見てみました。

目次を見ると最初の方に2.26事件、と書いてあるので、その前後を読んでみました。

この福田さんという人はたいした人で、大学を出て高文試験に合格し、昭和4年に大蔵省に入っています。その翌年にはロンドンに行き、大恐慌後のアメリカ・ヨーロッパを直接見ています。昭和8年に帰国し、税務署長を2つやって昭和9年には陸軍省担当の、今でいう主計官すなわち大蔵省で『陸軍の予算をどうするか』という担当者になっています。その立場で昭和10年の相沢中佐が永田鉄山少将を殺した時も陸軍省に駆けつけ、昭和11年の2.26事件の時も上司の大蔵大臣を殺されています。

で、目に留まったのが相沢事件の所の
【私はすぐ今の憲政記念館のあたりにあった陸軍省に駆けつけたが、部屋はもうきれいに整理されていた。永田局長の遺体はテーブルの上に安置され、顔にはガーゼのような白い布がかけられている。犯人は皇道派の相沢三郎中佐だった。統制派と皇道派との対立が頂点に達した結果の惨劇であった。】
とあった後に、
 【かくして、軍内部では皇道派の立場が強化され、対ソ強硬論、従って軍事予算獲得に積極的な主張がにわかに強まった。】
とある所です。

2.26事件は、正義感溢れる純粋な青年将校が政府の要人を殺し正義を実現しようとしたのに、統制派の軍人達によって死刑にされてしまったというような話ですが、判官びいきというか、若い人が殺されてかわいそうにというか、青年将校の理想主義というか、何となく皇道派が統制派に圧倒され苦し紛れに蜂起した、みたいに思っていたのですが、ここに書いてあるのは相沢事件のあと、少なくとも陸軍の中では皇道派の天下になっていた、ということです。

だとすると、2.26事件の青年将校の蜂起も、やぶれかぶれで一発逆転を狙った一か八かの企てではなく、皇道派が有利な状況を利用してそれを決定的な状況まで持って行ってしまおうというイケイケドンドン的な、一方的な勝ち試合のダメ押しのホームラン狙い、みたいな話になります。もしそういうことだとすると、2.26事件の青年将校達の行動にしても皇道派の将軍達の行動にしてもいろいろ納得できる話もあります。

ということで、とりあえず福田さんの話はお預けで、この一言をもとにもう一度2.26事件を読み直してみようと思います。

『グリーンファーザーの青春譜』杉山 龍丸

6月 9th, 2015

この本は副題に『ファントムと呼ばれた士(さむらい)たち』となっていますが、第二次大戦の日本の陸軍航空隊の話です。

著者が部隊と共に昭和19年の6月に満州からフィリピンに移動し、何度も壊滅的な被害を蒙りながらその都度立て直し、昭和20年3月に異動によりボルネオに移るまでの話が書いてあります。

陸軍士官学校を出て飛行機の整備の将校になるというのも珍しい話ですから、その整備将校として日本軍をどう見ていたか、というのも興味があります。

『整備』というのは技術が基本となりますから、すべて物事を合理的に考え、部品がなければ飛行機は直せない、燃料がなければ飛ばせないということで、それを精神論で乗り越えさせようとする参謀達とは良くぶつかることになります。
アメリカがフィリピンに反撃をはじめ、突然壊滅的な打撃を受けたあと司令部が機能停止になってしまった話なども、あからさまに書いています。

話は満州からフィリピンに向けて船に乗る所から始まります。方々で必要な部品や工具を調達し、地上部隊と一緒にフィリピンまであと2,3日という所で魚雷攻撃を受け、人員の3分の1と部品・工具の全てを失って何とかフィリピンに上陸。その後また方々に手を回して部品や工具を手に入れ、飛行機を飛べるようにする。アメリカの攻撃は熾烈を極め次々に飛行機は壊れていきますが、使える部品・部分をかき集めて一機ずつ飛行機を作っていくわけですが、それも他の部隊に取られたりアメリカの空襲で焼かれてしまったり、このあたりの話を整備将校の立場から書いている、というのは非常に面白いです。

この人は士官学校にいるころ三国同盟に反対し、戦争をやめさせるために政府の要人に話をしに行ったり、東条英機の暗殺を企てたりということもしていたようで、そんな青年将校もいたんだ、というのも興味深いです。

この人は戦争を生き残り、戦後私財をなげうってインドの緑化事業を進めたりして、インドで『グリーンファーザー』と呼ばれ、その話をグリーンファーザーという本に書いているので、それをタイトルに使っています。

『ファントム』というのは、お化けとか幽霊とかいう意味ですが、アメリカからすると日本の飛行機は空襲で全部破壊したはずなのに、いつのまにか日本の飛行機がアメリカの飛行場を空襲に来る。あの飛行機はどこから来たんだ、ということで最初『ファントム』と呼ばれ、また日本軍(あるいは著者自身)にしても全滅させられたはずの飛行機を次から次に切り貼りして復活させていったことで『ファントムと言いたかった』、ということのようです。

400頁近くのかなり読みでのある本で、所々同じ話の繰り返しもありますが、あまり気にならずに読めます。

実は途中まで読んでちょっと違和感がありました。本の文体が、若いとはいえ、戦前の軍人が書いたものとは思えません。あまりにも今風の文体になっているということです。これは編集後記に書いてありますが、文章を誰もが一読して理解できるようにするために、著者の息子の杉山満丸さん(あるいは編集者)がリライトした、ということのようです。そのため確かに、今の人が読んでもすんなり読めるような文体になっています。
この著者の『杉山龍丸』という人は、父親が『夢野久作』という筆名の有名な小説家であり、その父親は『杉山茂丸』というアジア主義者で、公式の役職にはつかなかったものの、かなり広範囲に影響力を持っていた人です。この三人をまとめて『杉山三代』という言い方もあるようです。

とまれ、技術系の将校が見た太平洋戦争、戦争に反対して東条暗殺まで企てた青年将校が、日本に絶望したままフィリピンで勝ち目のない戦争で飛行機ごと死んでいく飛行士のために、飛べる飛行機を次々に作っていくという話、読み応えあります。

本の原稿は1983年に書き終えており、著者は1986年に亡くなっています。それから30年近くたってようやく2015年に出版された、ということになります。

他にない視点からの太平洋戦争の話、お勧めします。

『ファインマンさん 力学を語る』

5月 20th, 2015

歴史や経済・法律などの本をいろいろ読んでいると、時々数学や物理・生物学など人間に関係ない本を読みたくなります。

で、先日図書館でみつけたのが『ファインマンさん 力学を語る』という本です。

これはあのファインマンが大学の新入生に対して、ニュートン力学の、惑星の運動が半径の2乗の逆数に比例する引力により楕円軌道になる、という話を説明した特別講義の解説です。

ファインマンの大学生に対する講義は『ファインマン物理学』にまとまっているのですが、この特別講義はその中には含まれず、資料も行方不明になっていたのが、講義の黒板の写真を除いて原稿や講義メモや録音テープもみつかり、それを元にファインマンの講義の書き下ろし(英語の原著には講義の録音のCDも付いているそうです)に、その解説、原稿から改めて書いたいくつもの図が付いています。

ニュートン力学は今では微分方程式を書いてそれを解くことで説明されます。そしてニュートンは微分積分を作った人、ということになっています。ですからニュートンが万有引力の話と惑星の軌道の話を書いた『プリンキピア』という本も、当然その微分を使って説明してあるんだろうと思うと、何とこの本ではユークリッド幾何(いわゆる中学や高校で習う幾何学です)で全てが証明されていて、微分積分は使われていません。

で、この『プリンキピア』でどのような説明・証明がなされているかということに関しては、和田純夫著 ブルーバックス『プリンキピアを読む』という本に丁寧に解説があります。頑張れば何とか付いていくことはできますが、とにかく楕円に関する様々な幾何の定理が使われていて、付いていくのが大変です。

昔は数学をやる人は幾何を一生懸命やっていて、いろんな定理も良く知っていたのですが、デカルトのお蔭で今では『幾何』というのは図を式に書き直し、式を解くことによって証明するものになってしまっているので、そんなにたくさんの定理を知っている人は殆どいません。

で、ファインマンがやった説明はこれも幾何を使うのですが、途中からニュートンとは別のやり方に変え、非常に初歩的な幾何だけを使って(だからと言ってやさしい、というわけでなく『知識は要らないけれど限りない知性は必要で』などと説明がありますが)、惑星の運動を説明してみせます。

この説明・証明の見事さは読んでもらわないと分からないと思います。ファインマンらしい、具体的で直観的に分かりやすい説明で、見事に楕円運動が証明されています。通常の『時間あたりの加速度』という考え方の代わりに、『(回転)角度あたりの加速度』という概念を使うので、物理の得意な人にとってはかえって難しく感じるかも知れません。

もちろん数学的に厳密な証明というわけではないけれど、物理学的には十分正確で分かりやすい証明になっています。

たまには数学の本でも読んでみようか、などと思ったら、ちょっと読んでみて下さい。
お勧めです。

二・二六事件関係の本

5月 7th, 2015

先日紹介した末松太平著『私の昭和史』を読んで、またぞろ二・二六事件関係の本を読みたくなってしまいました。で、読んだのが
(1) 保坂正康さんの『秩父宮と昭和天皇』
(2) 原秀男さんの『二・二六事件軍法会議』
(3) 北博昭さんの『二・二六事件全検証』
(4) 『真崎甚三郎日記 昭和10年3月~昭和11年3月』
(5) 香椎浩平さんの『秘録二・二六事件 香椎戒厳司令官』
(6) 『文芸春秋に見る昭和史』第1巻
(7) 伊藤隆・北博昭編 『新訂二・二六事件判決と証拠』
の7冊です。

(1)は二・二六事件、青年将校の希望の星だった秩父宮の関わりについて確認するため。
(2)は二・二六事件軍法会議の裁判資料を60年がかりで探し出した法律家による説明。
(3)は『私の昭和史』の解説の部分に、末松太平の最後の戦いが、澤地さんの『雪は汚れていた』に書かれた将軍達の事前陰謀説を否定するためだったのだけれど、その陰謀説はこの本で学問的に完全に否定された、と書いてあるけれどそれが本当かどうか確かめるため。
(4)はその陰謀説の中心人物の真崎甚三郎大将の事件当時の日記。
(5)はその陰謀説のもう一人の中心人物の香椎浩平東京警備司令官・戒厳司令官の二・二六事件に関する手記と東京警備司令部・戒厳司令部の資料をまとめたもの。
(6)はその中に真崎甚三郎と柳家小さん(たまたま徴兵検査で入隊した途端に二・二六事件の反乱軍の一兵卒になってしまった)の思い出話、その他2,3の二・二六事件関係の話が入っています。
(7)は(3)の著者とその先生の二人による、60年ぶりに見つかった二・二六事件の判決文です。

(1)については以前読んでいたものですが、二・二六事件のくだりだけを読み直したものです。
(2)については改めて別途ちゃんとコメントしますが、とびきりお勧めです。
(3)について、この『私の昭和史』の解説にあった『事前陰謀説が学問的に否定された』に該当する部分について確認してみましたが、確かにこの(3)の著者はそう言っています。しかしその著者の議論は澤地さんの『雪は汚れていた』などと比べてはるかに杜撰なもので、『完全に否定された』などと言えるようなものではないことを確認しました。むしろ(2)によると、事前陰謀説が正しいことが明らかになっているようです。

澤地さんは『もしかすると全員が嘘つきだったかも知れない』という前提で資料を読んでいるのに対し(もちろんその前に匂坂法務官もそういう立場で取り調べをしているわけですが)、この(3)の著者の北さんという人は、『誰がこう言っているからこうだ』『誰がこう言っているからこれが正しい』という話しかしていません。まるで話にならないいい加減な議論です。

二・二六事件の『将軍たちの陰謀説』は青年将校達が自分達で革命政府を作ろうとしないで、自分達以外の大将を担ごうとした所から始まっていて、その青年将校達が担ごうとしたのが真崎大将という人で、この人は二・二六事件が起きた直後自ら青年将校達に担がれようとして、青年将校達が集まっていた陸軍大臣官邸に乗り込んだ人です。

もう一人の重要人物が香椎浩平という人で、二・二六事件の時、まずは反乱軍を鎮圧しなければならない立場の東京警備司令官という職にあり、その翌日にはさらに反乱を鎮圧して東京の治安を回復しなければならない戒厳司令官になった人なんですが、この人は反乱軍を鎮圧しようなんてことをまるっきり考えず、反乱軍も天皇の軍隊、それを鎮圧するのも天皇の軍隊、天皇の軍隊同士を殺し合いさせることだけは避けなければいけない、ということで、まずは反乱軍を自分の配下にして鎮圧する側の軍隊と一緒に警備に当たらせるなんてことをし(即ち反乱軍を正規軍としてしまったということです)、その後も反乱を反乱ではないことにしようと頑張った人です。そんな人が警備司令官、さらには戒厳司令官になったということですから、トンデモないことです。

二・二六事件がとりあえず鎮圧され、軍法会議(軍の裁判)が開かれる時、戒厳司令官が軍法会議のトップになるのが普通だったのですが、この時は陸軍大臣がトップになり、この香椎さんは反乱軍を助け協力したのではないかと逆に取り調べを受ける立場になった人です。香椎さんは結局不起訴で裁判にならずに終わっていますが、真崎さんは裁判になり、何とも不思議な判決で無罪になっています。

いずれにしてもこのようなことになったのは、二・二六事件を起こした青年将校達が、せっかくテロで政府の高官を殺しておきながらそれで政府を乗っ取ろうとしないで、あとは誰かがやってくれるだろうなどといういい加減なクーデターをやってしまったため、それではというわけで真崎さんなどいわゆる皇道派の大将達がクーデターの乗っ取りを企んでしまったためです。

で、(4)はその真崎さんの日記ですが、実は二・二六事件の前日、真崎さんはその前の年に相沢中佐が永田軍務局長を殺した件で軍法会議に証人として呼び出され、『天皇の裁可がないから』などと言って実質的に証言拒否している人です。

また二・二六事件の青年将校達とは二・二六事件の前年の暮あたりから1月、2月にかけて何度か会い、資金援助の相談なんかもしています。そのあたりの日記が入っています。面白いことに二・二六事件の当時のこと(2月26日~29日分)は事件が決着した3月10日以降にまとめて記載されています。さすがにその当時は日記など書く余裕がなかったのか、あるいは決着がついてから問題とならないように考えて書いたのか分かりませんが。また4月1日以降は軍法会議に収監される7月6日まで日記が途絶えて(あるいは行方不明になって)います。

(5)はもう一人の重要人物の香椎さんの手記と、その当時の香椎さんがトップだった東京警備司令部・戒厳司令部の二・二六事件の進行状況に関する日々の報告書・その他の資料がまとまっています。もちろん事件が終わってから整理されたものですから、都合の良いように作り直されているのはほぼ確実ですが、面白い資料です。

この手記によると香椎さんは事件の発生の通報を受け、東京整備司令部に出勤するに際し、勝海舟の氷川清話を風呂敷に入れて持って行ったと自慢げに書いています。勝海舟が薩摩の西郷さんと話をして決めた江戸城無血開城にならって二・二六事件を軍隊同士の殺し合いにしないために、と勝海舟気取りです。

(6)も、先の真崎さんが『自分は不当に弾圧された、裁判は暗黒裁判だ』と批判している話や小さんさんの話の他にももう2,3、最初に首相官邸に乗り込んで取材した記者の話や『兵に告ぐ』のアナウンサーの話など、二・二六事件の話が出ています。

(7)は二・二六事件の裁判の判決の主文とその理由、特にどの証拠をどのように裁判官が判断したか、の全てです。

これだけで480ページにもなる大部なもので、とてつもなく歯ごたえがあります。なにしろ二・二六事件の裁判は全部で23のグループに分けて、計165人の被告の裁判ですから。とりあえず全部読む前に、一番最初の主な青年将校らの分と一番最後の真崎さんの無罪判決だけを読みましたが、これもとてつもなく面白いものです。真崎さんは『反乱者を利す罪』で起訴されたのですが、判決をえいやっとまとめると、『被告はいろいろ否認している所もあるけれど、他の証拠などからこれこれこのように反乱者を利したことは間違いない。しかしその行為が反乱者を利そうとしてやったことだと言う証拠は十分ではないので無実とする』というものです。

おかしな判決だなと思ったのですが、根拠となる陸軍刑法を見ると、『反乱者を利す罪』というのは反乱者を利すことが犯罪だということにはなっていないで、反乱者を利すためにこれこれをしたら犯罪だという規定になっているので、この判決はむしろ妥当なのかも知れません。
(続く)

『一般理論』再読-その10

4月 7th, 2015

さて、ここまで来ていよいよケインズ『一般理論』の全体構想が明らかになります。中心となるのは、前回説明したように、
P+F です。ここで、
  P : 企業の所得(利益)
  F : 労働者の所得(労賃)
です。
これの経済社会全体の合計を考えるのですが、まずは個々の企業についての合計を考えます。
即ち、企業の所得と、その企業に雇われている労働者の所得の合計です。
これは企業の所得と労働者の所得ですから、仮に【総所得】ということにします。
ケインズの見方は、企業が労働者をN人雇った時に、それを使って生産活動をして、その結果として売上高が上がったとして、その時のP+Fを労働者N人の時の売上高に対するP+Fと考えるということです。その意味で、私はこれを【売上総所得】と言うことにします。

なお、会計の世界では売上総利益という言葉を使います。これは売上高から売上原価を差し引いたものですから、ここで言う売上総所得とはまるで別のものです。

ところがケインズは、このP+Fについて、proceedsという単語を使ったために日本語訳の世界ではまたまた大混乱が生じてしまいます。まず間宮さんの訳ではこのproceedを『売上収入』などと訳してしまいます。山形さんの訳では『収益』などと訳しています。宇沢さんの本では『収入』などと訳し、宮崎さん・伊東さんの本では『売上金額』などと訳しています。こんな訳し方では収入あるいは収益と利益あるいは所得がゴッチャになっていて、何がなんだか訳が分からなくなります。

こんな本でケインズの『一般理論』を理解しようとする読者はトンデモナクいい迷惑ですね。

で、混乱を避けるため、以後では【売上げ総所得】という言葉で統一しようと思います。

全企業が生産活動をし、売上げを上げて売上げ総所得を獲得して、それを企業と労働者で山分けするわけですが、企業は企業の所得をより大きくしようとしてがんばる。労働者は労働者の所得をより大きくしようとして頑張る。だけど経済社会全体で考えるなら、この売上げ総所得を全企業について合計した、経済社会全体の売上げ総所得が大きくなることが大事で、それを企業と労働者でどう分けるかはそのあとの話、ということです。

ここまで来たら、いよいよケインズの需要・供給の法則が登場します。古典派の需要・供給の法則は、物の値段に対して需要あるいは供給の数量を決める曲線ないしは関数を決める話でした。ケインズの方は、雇用される労働者の数に対して、需要あるいは供給される売上げに対する売上げ総所得を決める曲線ないしは関数を決める話になります。

このやり方の良い所は、労働者の数も売上げ総所得の金額も、どちらも足し算ができる。すなわち合計が計算できる、ということです。そこで物の種類が何であろうと業種が何であろうと全部合計することができ、経済社会全体の合計を計算すれば、それが全体の需要・供給の曲線ないしは関数となる、ということです(古典派の世界では物の数量ですから、自動車の台数とミカンの数を合計する、なんてわけにはいきません)。

ちょっと急ぎ過ぎたので、もう少しちゃんと説明します。
企業が労働者を雇って生産活動をする時、まず何人雇ってどれだけの生産をするかを考え、その結果として売上高を考え、売上げ総所得を計算します。ここで古典派では皆がもっともっと・・・とトコトン利益を求める結果として、需要曲線も供給曲線もいつの間にか決まってしまい、その交わったところで取引が行われることになります。

ケインズの経済学ではまるで違います。企業の雇用者数に対する売上げ総所得は、企業自体が決めます。N人の労働者を雇うんだったら、これだけの売上げ総所得が得られるよな、それだけの売上げ総所得が得られるんだったらN人の労働者を雇っても良いよな、という、商品を供給する側の期待で見た、労働者の数と売上げ総所得の関係を【総供給関数(それをグラフに書けば総供給曲線)】と言います。

またN人の労働者を雇って生産した場合、その生産物はいくらでこれ位売れるから売上げ総所得はこれくらいになるよな、という(その企業の期待する)需要サイドから見た売上げ総所得と労働者数との関係を、【総需要関数(それをグラフに書けば総需要曲線)】と言います。すなわち企業が生産する製品あるいは商品の需要と供給のそれぞれを、その企業がどのように見る(期待する)か、という関数(曲線)です。

もちろん古典派の世界とは違って、ケインズの世界ではこの総需要曲線と総供給曲線の交わる所はそう簡単には実現しないのですが、でも総供給曲線より総需要曲線の方が上になる場合(すなわち供給より需要の方が大きい場合)は、企業からするともっと金をかけもっと労働者を増やしても、値段を上げて売上げを増やし、売上げ総所得を増やすことができそうだ、ということで、少しずつその交わる所に向かって現実が動き出す、すなわち雇用する労働者数を増やして売上げ総所得が増える方向に動いていくということになります。

このような動きの目標となる、総需要曲線と総供給曲線の交わった所の売上げ総所得のことを、【有効需要】と言います。これはケインズが『一般理論』で定義している有効需要ですから、一般に使われている有効需要とは別物です。注意して下さい。特に、総需要曲線も総供給曲線も、元となっているのは各企業の期待すなわち各企業がどのように見ているか、ということで、誰かがいつのまにか決めている、あるいは決まってしまう、というものではないことに注意して下さい。

ケインズはこのように有効需要あるいは総需要曲線と総供給曲線を定義しておいて、その上でその総需要曲線あるいは総供給曲線を決めるのは何か、と考えます。

  所得=消費+投資
です。消費は消費者が勝手に決めて実行することができるもの、投資は企業が勝手に決めて実行できるものです。もちろん社会全体の投資がこれで決まるわけではないのですが、ある企業が投資をすると社会全体としての投資が増え、所得も増える。ある消費者が消費すると社会全体の投資は減るかもしれないけれど社会全体の所得は増える、ということになるので、次のステップとして『消費はどうやってきまるのか』『投資はどうやって決まるのか』、あるいは『どうやったら消費を増やせるのか』『どうやったら投資を増やせるのか』、という議論になるわけです。

次回はその前にもう1回、これまでの議論をまとめることにします。