憲法審査会のビデオ

6月 10th, 2015

衆議院の憲法審査会のビデオを見てみました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44973&media_type=

例の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った、と言って話題の憲法審査会です。

2時間半とちょっと長めのビデオですが、途中コマーシャルが入るわけでもなく、また国会のいろんな委員会の中継のように野次や怒号があるわけでもなく、落ち着いて楽しめます。

憲法学者に対して国会議員は『先生』と呼び、憲法学者は国会議員に対して『先生』と呼び、もちろん学者同士も相手を『先生』と呼び、憲法学者は質問されると質問した国会議員に対して『ありがとうございます』と言い、議員は質問に答えてもらうと憲法学者に対して『ありがとうございます』と言い、静かな雰囲気で淡々と質疑が進みます。

話題の、憲法学者の3人が与党の安保法制を憲法違反だ、と言った場面でも別に騒ぎが起きるわけでもなく静かに淡々と質疑が続いています。

もともとこの憲法審査会は『立憲主義』と『憲法審査権』『憲法裁判所』をテーマにしたもので、安保法制が合憲か違憲かをテーマとしたものではありません。

それで、3人の憲法学者はその本来のテーマに従って持論を展開して説明しているわけですが、議員の質問に移ってから、民主党の議員が安保法制が合憲か違憲かについての見解を質問してしまったので、話がおかしな方向に向かってしまった、ということです。

最初の部分の『立憲主義』のあたりも、憲法学者がいかにとんでもない議論を真面目に展開するのか知るために見る価値があると思います。

民主党推薦の小林さんという先生はとことん改憲主義者のようで、憲法9条が諸悪の根源で、何が何でも憲法9条を改正することが重要だ、という、いわゆる護憲派の人々が聞いたら涙を流すようなことを主張しています。

この小林先生という人はなかなか面白い人で、憲法に関して本質的なことを平然と説明しています。例えば、法律にはそれに違反したときに罰則や刑罰が定められていて、行政や司法がその後ろ盾になっているんだけれど、憲法は法律を超えた最高法規なので、後ろ盾になる存在はない、誰か(例えば政府)が憲法違反をしたとしても、その憲法違反をとがめ立ててやめさせる力を持った存在はない、その場合は国民主権の投票行動によってそのような政府を変えるしかない、というようなことを平然と説明します。
国際法についても、国際法の世界は戦国時代のようなもので、何が国際法に適っていて何が国際法に違反しているのか最終的な判断をする権限のある存在はない、というようなことを平然と主張しています。

民主党の議員が質問しているのは、ビデオの右下の全部で1時間48分と表示されているところで1時間35分経過、と表示されているあたりですから、時間がない人はここのところだけ見てみても面白いと思います。質問している民主党の議員の隣には辻元さんも映っています。憲法学者たちが3人そろって憲法違反だ、と言ったところでは画面は憲法学者たちを映していて辻元さんがどんな表情をしていたのかは映っていませんが。

とにかく、楽しめるビデオで、お勧めです。

『回顧90年』福田赳夫

6月 9th, 2015

これはあの角福戦争をやった、福田さんの回顧録です。ふだんは図書館の本棚でもこんな本は見ないのですが、先日たまたまリサイクルコーナー(ご自由にお持ち下さいコーナー)にあったのでちょっと見てみました。

目次を見ると最初の方に2.26事件、と書いてあるので、その前後を読んでみました。

この福田さんという人はたいした人で、大学を出て高文試験に合格し、昭和4年に大蔵省に入っています。その翌年にはロンドンに行き、大恐慌後のアメリカ・ヨーロッパを直接見ています。昭和8年に帰国し、税務署長を2つやって昭和9年には陸軍省担当の、今でいう主計官すなわち大蔵省で『陸軍の予算をどうするか』という担当者になっています。その立場で昭和10年の相沢中佐が永田鉄山少将を殺した時も陸軍省に駆けつけ、昭和11年の2.26事件の時も上司の大蔵大臣を殺されています。

で、目に留まったのが相沢事件の所の
【私はすぐ今の憲政記念館のあたりにあった陸軍省に駆けつけたが、部屋はもうきれいに整理されていた。永田局長の遺体はテーブルの上に安置され、顔にはガーゼのような白い布がかけられている。犯人は皇道派の相沢三郎中佐だった。統制派と皇道派との対立が頂点に達した結果の惨劇であった。】
とあった後に、
 【かくして、軍内部では皇道派の立場が強化され、対ソ強硬論、従って軍事予算獲得に積極的な主張がにわかに強まった。】
とある所です。

2.26事件は、正義感溢れる純粋な青年将校が政府の要人を殺し正義を実現しようとしたのに、統制派の軍人達によって死刑にされてしまったというような話ですが、判官びいきというか、若い人が殺されてかわいそうにというか、青年将校の理想主義というか、何となく皇道派が統制派に圧倒され苦し紛れに蜂起した、みたいに思っていたのですが、ここに書いてあるのは相沢事件のあと、少なくとも陸軍の中では皇道派の天下になっていた、ということです。

だとすると、2.26事件の青年将校の蜂起も、やぶれかぶれで一発逆転を狙った一か八かの企てではなく、皇道派が有利な状況を利用してそれを決定的な状況まで持って行ってしまおうというイケイケドンドン的な、一方的な勝ち試合のダメ押しのホームラン狙い、みたいな話になります。もしそういうことだとすると、2.26事件の青年将校達の行動にしても皇道派の将軍達の行動にしてもいろいろ納得できる話もあります。

ということで、とりあえず福田さんの話はお預けで、この一言をもとにもう一度2.26事件を読み直してみようと思います。

『グリーンファーザーの青春譜』杉山 龍丸

6月 9th, 2015

この本は副題に『ファントムと呼ばれた士(さむらい)たち』となっていますが、第二次大戦の日本の陸軍航空隊の話です。

著者が部隊と共に昭和19年の6月に満州からフィリピンに移動し、何度も壊滅的な被害を蒙りながらその都度立て直し、昭和20年3月に異動によりボルネオに移るまでの話が書いてあります。

陸軍士官学校を出て飛行機の整備の将校になるというのも珍しい話ですから、その整備将校として日本軍をどう見ていたか、というのも興味があります。

『整備』というのは技術が基本となりますから、すべて物事を合理的に考え、部品がなければ飛行機は直せない、燃料がなければ飛ばせないということで、それを精神論で乗り越えさせようとする参謀達とは良くぶつかることになります。
アメリカがフィリピンに反撃をはじめ、突然壊滅的な打撃を受けたあと司令部が機能停止になってしまった話なども、あからさまに書いています。

話は満州からフィリピンに向けて船に乗る所から始まります。方々で必要な部品や工具を調達し、地上部隊と一緒にフィリピンまであと2,3日という所で魚雷攻撃を受け、人員の3分の1と部品・工具の全てを失って何とかフィリピンに上陸。その後また方々に手を回して部品や工具を手に入れ、飛行機を飛べるようにする。アメリカの攻撃は熾烈を極め次々に飛行機は壊れていきますが、使える部品・部分をかき集めて一機ずつ飛行機を作っていくわけですが、それも他の部隊に取られたりアメリカの空襲で焼かれてしまったり、このあたりの話を整備将校の立場から書いている、というのは非常に面白いです。

この人は士官学校にいるころ三国同盟に反対し、戦争をやめさせるために政府の要人に話をしに行ったり、東条英機の暗殺を企てたりということもしていたようで、そんな青年将校もいたんだ、というのも興味深いです。

この人は戦争を生き残り、戦後私財をなげうってインドの緑化事業を進めたりして、インドで『グリーンファーザー』と呼ばれ、その話をグリーンファーザーという本に書いているので、それをタイトルに使っています。

『ファントム』というのは、お化けとか幽霊とかいう意味ですが、アメリカからすると日本の飛行機は空襲で全部破壊したはずなのに、いつのまにか日本の飛行機がアメリカの飛行場を空襲に来る。あの飛行機はどこから来たんだ、ということで最初『ファントム』と呼ばれ、また日本軍(あるいは著者自身)にしても全滅させられたはずの飛行機を次から次に切り貼りして復活させていったことで『ファントムと言いたかった』、ということのようです。

400頁近くのかなり読みでのある本で、所々同じ話の繰り返しもありますが、あまり気にならずに読めます。

実は途中まで読んでちょっと違和感がありました。本の文体が、若いとはいえ、戦前の軍人が書いたものとは思えません。あまりにも今風の文体になっているということです。これは編集後記に書いてありますが、文章を誰もが一読して理解できるようにするために、著者の息子の杉山満丸さん(あるいは編集者)がリライトした、ということのようです。そのため確かに、今の人が読んでもすんなり読めるような文体になっています。
この著者の『杉山龍丸』という人は、父親が『夢野久作』という筆名の有名な小説家であり、その父親は『杉山茂丸』というアジア主義者で、公式の役職にはつかなかったものの、かなり広範囲に影響力を持っていた人です。この三人をまとめて『杉山三代』という言い方もあるようです。

とまれ、技術系の将校が見た太平洋戦争、戦争に反対して東条暗殺まで企てた青年将校が、日本に絶望したままフィリピンで勝ち目のない戦争で飛行機ごと死んでいく飛行士のために、飛べる飛行機を次々に作っていくという話、読み応えあります。

本の原稿は1983年に書き終えており、著者は1986年に亡くなっています。それから30年近くたってようやく2015年に出版された、ということになります。

他にない視点からの太平洋戦争の話、お勧めします。

『ファインマンさん 力学を語る』

5月 20th, 2015

歴史や経済・法律などの本をいろいろ読んでいると、時々数学や物理・生物学など人間に関係ない本を読みたくなります。

で、先日図書館でみつけたのが『ファインマンさん 力学を語る』という本です。

これはあのファインマンが大学の新入生に対して、ニュートン力学の、惑星の運動が半径の2乗の逆数に比例する引力により楕円軌道になる、という話を説明した特別講義の解説です。

ファインマンの大学生に対する講義は『ファインマン物理学』にまとまっているのですが、この特別講義はその中には含まれず、資料も行方不明になっていたのが、講義の黒板の写真を除いて原稿や講義メモや録音テープもみつかり、それを元にファインマンの講義の書き下ろし(英語の原著には講義の録音のCDも付いているそうです)に、その解説、原稿から改めて書いたいくつもの図が付いています。

ニュートン力学は今では微分方程式を書いてそれを解くことで説明されます。そしてニュートンは微分積分を作った人、ということになっています。ですからニュートンが万有引力の話と惑星の軌道の話を書いた『プリンキピア』という本も、当然その微分を使って説明してあるんだろうと思うと、何とこの本ではユークリッド幾何(いわゆる中学や高校で習う幾何学です)で全てが証明されていて、微分積分は使われていません。

で、この『プリンキピア』でどのような説明・証明がなされているかということに関しては、和田純夫著 ブルーバックス『プリンキピアを読む』という本に丁寧に解説があります。頑張れば何とか付いていくことはできますが、とにかく楕円に関する様々な幾何の定理が使われていて、付いていくのが大変です。

昔は数学をやる人は幾何を一生懸命やっていて、いろんな定理も良く知っていたのですが、デカルトのお蔭で今では『幾何』というのは図を式に書き直し、式を解くことによって証明するものになってしまっているので、そんなにたくさんの定理を知っている人は殆どいません。

で、ファインマンがやった説明はこれも幾何を使うのですが、途中からニュートンとは別のやり方に変え、非常に初歩的な幾何だけを使って(だからと言ってやさしい、というわけでなく『知識は要らないけれど限りない知性は必要で』などと説明がありますが)、惑星の運動を説明してみせます。

この説明・証明の見事さは読んでもらわないと分からないと思います。ファインマンらしい、具体的で直観的に分かりやすい説明で、見事に楕円運動が証明されています。通常の『時間あたりの加速度』という考え方の代わりに、『(回転)角度あたりの加速度』という概念を使うので、物理の得意な人にとってはかえって難しく感じるかも知れません。

もちろん数学的に厳密な証明というわけではないけれど、物理学的には十分正確で分かりやすい証明になっています。

たまには数学の本でも読んでみようか、などと思ったら、ちょっと読んでみて下さい。
お勧めです。

二・二六事件関係の本

5月 7th, 2015

先日紹介した末松太平著『私の昭和史』を読んで、またぞろ二・二六事件関係の本を読みたくなってしまいました。で、読んだのが
(1) 保坂正康さんの『秩父宮と昭和天皇』
(2) 原秀男さんの『二・二六事件軍法会議』
(3) 北博昭さんの『二・二六事件全検証』
(4) 『真崎甚三郎日記 昭和10年3月~昭和11年3月』
(5) 香椎浩平さんの『秘録二・二六事件 香椎戒厳司令官』
(6) 『文芸春秋に見る昭和史』第1巻
(7) 伊藤隆・北博昭編 『新訂二・二六事件判決と証拠』
の7冊です。

(1)は二・二六事件、青年将校の希望の星だった秩父宮の関わりについて確認するため。
(2)は二・二六事件軍法会議の裁判資料を60年がかりで探し出した法律家による説明。
(3)は『私の昭和史』の解説の部分に、末松太平の最後の戦いが、澤地さんの『雪は汚れていた』に書かれた将軍達の事前陰謀説を否定するためだったのだけれど、その陰謀説はこの本で学問的に完全に否定された、と書いてあるけれどそれが本当かどうか確かめるため。
(4)はその陰謀説の中心人物の真崎甚三郎大将の事件当時の日記。
(5)はその陰謀説のもう一人の中心人物の香椎浩平東京警備司令官・戒厳司令官の二・二六事件に関する手記と東京警備司令部・戒厳司令部の資料をまとめたもの。
(6)はその中に真崎甚三郎と柳家小さん(たまたま徴兵検査で入隊した途端に二・二六事件の反乱軍の一兵卒になってしまった)の思い出話、その他2,3の二・二六事件関係の話が入っています。
(7)は(3)の著者とその先生の二人による、60年ぶりに見つかった二・二六事件の判決文です。

(1)については以前読んでいたものですが、二・二六事件のくだりだけを読み直したものです。
(2)については改めて別途ちゃんとコメントしますが、とびきりお勧めです。
(3)について、この『私の昭和史』の解説にあった『事前陰謀説が学問的に否定された』に該当する部分について確認してみましたが、確かにこの(3)の著者はそう言っています。しかしその著者の議論は澤地さんの『雪は汚れていた』などと比べてはるかに杜撰なもので、『完全に否定された』などと言えるようなものではないことを確認しました。むしろ(2)によると、事前陰謀説が正しいことが明らかになっているようです。

澤地さんは『もしかすると全員が嘘つきだったかも知れない』という前提で資料を読んでいるのに対し(もちろんその前に匂坂法務官もそういう立場で取り調べをしているわけですが)、この(3)の著者の北さんという人は、『誰がこう言っているからこうだ』『誰がこう言っているからこれが正しい』という話しかしていません。まるで話にならないいい加減な議論です。

二・二六事件の『将軍たちの陰謀説』は青年将校達が自分達で革命政府を作ろうとしないで、自分達以外の大将を担ごうとした所から始まっていて、その青年将校達が担ごうとしたのが真崎大将という人で、この人は二・二六事件が起きた直後自ら青年将校達に担がれようとして、青年将校達が集まっていた陸軍大臣官邸に乗り込んだ人です。

もう一人の重要人物が香椎浩平という人で、二・二六事件の時、まずは反乱軍を鎮圧しなければならない立場の東京警備司令官という職にあり、その翌日にはさらに反乱を鎮圧して東京の治安を回復しなければならない戒厳司令官になった人なんですが、この人は反乱軍を鎮圧しようなんてことをまるっきり考えず、反乱軍も天皇の軍隊、それを鎮圧するのも天皇の軍隊、天皇の軍隊同士を殺し合いさせることだけは避けなければいけない、ということで、まずは反乱軍を自分の配下にして鎮圧する側の軍隊と一緒に警備に当たらせるなんてことをし(即ち反乱軍を正規軍としてしまったということです)、その後も反乱を反乱ではないことにしようと頑張った人です。そんな人が警備司令官、さらには戒厳司令官になったということですから、トンデモないことです。

二・二六事件がとりあえず鎮圧され、軍法会議(軍の裁判)が開かれる時、戒厳司令官が軍法会議のトップになるのが普通だったのですが、この時は陸軍大臣がトップになり、この香椎さんは反乱軍を助け協力したのではないかと逆に取り調べを受ける立場になった人です。香椎さんは結局不起訴で裁判にならずに終わっていますが、真崎さんは裁判になり、何とも不思議な判決で無罪になっています。

いずれにしてもこのようなことになったのは、二・二六事件を起こした青年将校達が、せっかくテロで政府の高官を殺しておきながらそれで政府を乗っ取ろうとしないで、あとは誰かがやってくれるだろうなどといういい加減なクーデターをやってしまったため、それではというわけで真崎さんなどいわゆる皇道派の大将達がクーデターの乗っ取りを企んでしまったためです。

で、(4)はその真崎さんの日記ですが、実は二・二六事件の前日、真崎さんはその前の年に相沢中佐が永田軍務局長を殺した件で軍法会議に証人として呼び出され、『天皇の裁可がないから』などと言って実質的に証言拒否している人です。

また二・二六事件の青年将校達とは二・二六事件の前年の暮あたりから1月、2月にかけて何度か会い、資金援助の相談なんかもしています。そのあたりの日記が入っています。面白いことに二・二六事件の当時のこと(2月26日~29日分)は事件が決着した3月10日以降にまとめて記載されています。さすがにその当時は日記など書く余裕がなかったのか、あるいは決着がついてから問題とならないように考えて書いたのか分かりませんが。また4月1日以降は軍法会議に収監される7月6日まで日記が途絶えて(あるいは行方不明になって)います。

(5)はもう一人の重要人物の香椎さんの手記と、その当時の香椎さんがトップだった東京警備司令部・戒厳司令部の二・二六事件の進行状況に関する日々の報告書・その他の資料がまとまっています。もちろん事件が終わってから整理されたものですから、都合の良いように作り直されているのはほぼ確実ですが、面白い資料です。

この手記によると香椎さんは事件の発生の通報を受け、東京整備司令部に出勤するに際し、勝海舟の氷川清話を風呂敷に入れて持って行ったと自慢げに書いています。勝海舟が薩摩の西郷さんと話をして決めた江戸城無血開城にならって二・二六事件を軍隊同士の殺し合いにしないために、と勝海舟気取りです。

(6)も、先の真崎さんが『自分は不当に弾圧された、裁判は暗黒裁判だ』と批判している話や小さんさんの話の他にももう2,3、最初に首相官邸に乗り込んで取材した記者の話や『兵に告ぐ』のアナウンサーの話など、二・二六事件の話が出ています。

(7)は二・二六事件の裁判の判決の主文とその理由、特にどの証拠をどのように裁判官が判断したか、の全てです。

これだけで480ページにもなる大部なもので、とてつもなく歯ごたえがあります。なにしろ二・二六事件の裁判は全部で23のグループに分けて、計165人の被告の裁判ですから。とりあえず全部読む前に、一番最初の主な青年将校らの分と一番最後の真崎さんの無罪判決だけを読みましたが、これもとてつもなく面白いものです。真崎さんは『反乱者を利す罪』で起訴されたのですが、判決をえいやっとまとめると、『被告はいろいろ否認している所もあるけれど、他の証拠などからこれこれこのように反乱者を利したことは間違いない。しかしその行為が反乱者を利そうとしてやったことだと言う証拠は十分ではないので無実とする』というものです。

おかしな判決だなと思ったのですが、根拠となる陸軍刑法を見ると、『反乱者を利す罪』というのは反乱者を利すことが犯罪だということにはなっていないで、反乱者を利すためにこれこれをしたら犯罪だという規定になっているので、この判決はむしろ妥当なのかも知れません。
(続く)

『一般理論』再読-その10

4月 7th, 2015

さて、ここまで来ていよいよケインズ『一般理論』の全体構想が明らかになります。中心となるのは、前回説明したように、
P+F です。ここで、
  P : 企業の所得(利益)
  F : 労働者の所得(労賃)
です。
これの経済社会全体の合計を考えるのですが、まずは個々の企業についての合計を考えます。
即ち、企業の所得と、その企業に雇われている労働者の所得の合計です。
これは企業の所得と労働者の所得ですから、仮に【総所得】ということにします。
ケインズの見方は、企業が労働者をN人雇った時に、それを使って生産活動をして、その結果として売上高が上がったとして、その時のP+Fを労働者N人の時の売上高に対するP+Fと考えるということです。その意味で、私はこれを【売上総所得】と言うことにします。

なお、会計の世界では売上総利益という言葉を使います。これは売上高から売上原価を差し引いたものですから、ここで言う売上総所得とはまるで別のものです。

ところがケインズは、このP+Fについて、proceedsという単語を使ったために日本語訳の世界ではまたまた大混乱が生じてしまいます。まず間宮さんの訳ではこのproceedを『売上収入』などと訳してしまいます。山形さんの訳では『収益』などと訳しています。宇沢さんの本では『収入』などと訳し、宮崎さん・伊東さんの本では『売上金額』などと訳しています。こんな訳し方では収入あるいは収益と利益あるいは所得がゴッチャになっていて、何がなんだか訳が分からなくなります。

こんな本でケインズの『一般理論』を理解しようとする読者はトンデモナクいい迷惑ですね。

で、混乱を避けるため、以後では【売上げ総所得】という言葉で統一しようと思います。

全企業が生産活動をし、売上げを上げて売上げ総所得を獲得して、それを企業と労働者で山分けするわけですが、企業は企業の所得をより大きくしようとしてがんばる。労働者は労働者の所得をより大きくしようとして頑張る。だけど経済社会全体で考えるなら、この売上げ総所得を全企業について合計した、経済社会全体の売上げ総所得が大きくなることが大事で、それを企業と労働者でどう分けるかはそのあとの話、ということです。

ここまで来たら、いよいよケインズの需要・供給の法則が登場します。古典派の需要・供給の法則は、物の値段に対して需要あるいは供給の数量を決める曲線ないしは関数を決める話でした。ケインズの方は、雇用される労働者の数に対して、需要あるいは供給される売上げに対する売上げ総所得を決める曲線ないしは関数を決める話になります。

このやり方の良い所は、労働者の数も売上げ総所得の金額も、どちらも足し算ができる。すなわち合計が計算できる、ということです。そこで物の種類が何であろうと業種が何であろうと全部合計することができ、経済社会全体の合計を計算すれば、それが全体の需要・供給の曲線ないしは関数となる、ということです(古典派の世界では物の数量ですから、自動車の台数とミカンの数を合計する、なんてわけにはいきません)。

ちょっと急ぎ過ぎたので、もう少しちゃんと説明します。
企業が労働者を雇って生産活動をする時、まず何人雇ってどれだけの生産をするかを考え、その結果として売上高を考え、売上げ総所得を計算します。ここで古典派では皆がもっともっと・・・とトコトン利益を求める結果として、需要曲線も供給曲線もいつの間にか決まってしまい、その交わったところで取引が行われることになります。

ケインズの経済学ではまるで違います。企業の雇用者数に対する売上げ総所得は、企業自体が決めます。N人の労働者を雇うんだったら、これだけの売上げ総所得が得られるよな、それだけの売上げ総所得が得られるんだったらN人の労働者を雇っても良いよな、という、商品を供給する側の期待で見た、労働者の数と売上げ総所得の関係を【総供給関数(それをグラフに書けば総供給曲線)】と言います。

またN人の労働者を雇って生産した場合、その生産物はいくらでこれ位売れるから売上げ総所得はこれくらいになるよな、という(その企業の期待する)需要サイドから見た売上げ総所得と労働者数との関係を、【総需要関数(それをグラフに書けば総需要曲線)】と言います。すなわち企業が生産する製品あるいは商品の需要と供給のそれぞれを、その企業がどのように見る(期待する)か、という関数(曲線)です。

もちろん古典派の世界とは違って、ケインズの世界ではこの総需要曲線と総供給曲線の交わる所はそう簡単には実現しないのですが、でも総供給曲線より総需要曲線の方が上になる場合(すなわち供給より需要の方が大きい場合)は、企業からするともっと金をかけもっと労働者を増やしても、値段を上げて売上げを増やし、売上げ総所得を増やすことができそうだ、ということで、少しずつその交わる所に向かって現実が動き出す、すなわち雇用する労働者数を増やして売上げ総所得が増える方向に動いていくということになります。

このような動きの目標となる、総需要曲線と総供給曲線の交わった所の売上げ総所得のことを、【有効需要】と言います。これはケインズが『一般理論』で定義している有効需要ですから、一般に使われている有効需要とは別物です。注意して下さい。特に、総需要曲線も総供給曲線も、元となっているのは各企業の期待すなわち各企業がどのように見ているか、ということで、誰かがいつのまにか決めている、あるいは決まってしまう、というものではないことに注意して下さい。

ケインズはこのように有効需要あるいは総需要曲線と総供給曲線を定義しておいて、その上でその総需要曲線あるいは総供給曲線を決めるのは何か、と考えます。

  所得=消費+投資
です。消費は消費者が勝手に決めて実行することができるもの、投資は企業が勝手に決めて実行できるものです。もちろん社会全体の投資がこれで決まるわけではないのですが、ある企業が投資をすると社会全体としての投資が増え、所得も増える。ある消費者が消費すると社会全体の投資は減るかもしれないけれど社会全体の所得は増える、ということになるので、次のステップとして『消費はどうやってきまるのか』『投資はどうやって決まるのか』、あるいは『どうやったら消費を増やせるのか』『どうやったら投資を増やせるのか』、という議論になるわけです。

次回はその前にもう1回、これまでの議論をまとめることにします。

『一般理論』再読-その9

3月 30th, 2015

前回は所得の定義をした所で終わってしまいました。
この続きで、『消費』『貯蓄』『投資』の定義をし、貯蓄=投資の話をしましょう。

その前にまず、ケインズは物事を簡単にするため経済社会を『企業』と『労働者』と『労働者を含む消費者』に分けます。もちろん現実的にはこれ以外にもいろんな存在があるのですが、それは必要な都度追加して考えれば良いということです。企業は利益を増やすことだけ考えるので、消費はしません。企業家が消費するのは、企業と企業家を分けて考えて、企業家が消費するんであって企業が消費するんじゃない、と考えます。

前回の
  P : 企業の利益(=企業の所得)
  A : 企業の売上げ
  A1 :他の企業からの仕入れ(他の企業に対する支払い)
  F : 企業以外からの仕入れ(企業以外への支払い)
  I : 企業の投資
にさらに
  C : 消費(労働者を含む消費者のみ 企業は消費しない)
  S : 貯蓄(所得から消費を引いた残り 企業の場合は所得と同じ)
の2つの記号を追加して説明します。

経済社会全体の所得は
  ΣP+ΣF
となります。ここでΣは全ての企業、全ての労働者(あるいは消費者)の合計の意味です。

経済社会全体の消費は
  ΣC
です。

『貯蓄』というのは、所得から消費を引いたものですから、
  ΣS=ΣP+ΣF-ΣC
  貯蓄=所得-消費
となります。

投資は
  ΣI
です。投資は企業の設備投資・在庫投資の増分ですから、消費者の投資はありません。

さてここで
  P=A-A1-F+I
という式に戻って考えると、
 ΣP+ΣF=ΣA-ΣA1+ΣI
となります。

ここでΣAは全企業の売上げの合計、ΣA1は全企業が企業に支払った額の合計、言い変えると全企業の企業に対する売上げの合計になります。ですからΣA-ΣA1は全企業の企業以外に対する売上げの合計、すなわち消費の合計、ということになります。
売上げ(A)は企業に対する売上げ(A1)か、企業以外に対する売上げ(C)かどちらかだ、ということです。

 ΣA-ΣA1=ΣC
これから
  ΣP+ΣF=ΣA-ΣA1+ΣI=ΣC+ΣI
   所得=消費+投資
ということです。

これと
  貯蓄=所得-消費
を合わせると
  投資=貯蓄
ということが分かります。

もちろんこれは投資と貯蓄が同じものだということではなく、結果的に投資と貯蓄の額が等しくなる、ということです。このあたりは例を使って計算してみると良く分かります。

たとえば消費者のAさんが100円消費する(何か買い物する)とします。それはBという企業が売るもので、Bは原価70円の品物の在庫を取崩して100円の売上げになるものとします。

まずAさんの方は、貯蓄100円取崩して消費を100円にするのですから、
  所得=0円  消費=100円  貯蓄=-100円  投資=0円
となります。
B企業の方は原価70円のものを100円で売るので、利益が30円。これが所得および貯蓄になります。
在庫を70円取崩すので、投資は-70円になります。
すなわち
  所得=30円  消費=0円  貯蓄=30円  投資=-70円
となります。AさんとB企業を合わせると
  所得=30円  消費=100円  貯蓄=-70円  投資=-70円
となり、
  所得=消費+投資
  貯蓄=所得-消費
  投資=貯蓄
となっているのが分かります。

もう一つ、今度は企業Cが設備投資なり在庫投資なりを100円するとします。この投資のために労働者Dに労賃を30円払い、企業Eに70円払うとします。

企業Eではこの70円の売り上げを在庫50円の取崩しで立てるとします。

企業Cでは
  所得=0円  消費=0円  貯蓄=0円  投資=100円
労働者Dでは
  所得=30円  消費=0円  貯蓄=30円  投資=0円
企業Eでは
  所得=20円  消費=0円  貯蓄=20円  投資=-50円
三者合計すると
  所得=50円  消費=0円  貯蓄=50円  投資=50円
で、ここでも
  所得=消費+投資
  貯蓄=所得-消費
  投資=貯蓄
となっているのが分かります。

経済活動の個々の当事者個別ではこの 投資=貯蓄 の等式は成立たないんですが、取引の当事者全部を合計するとこの等式が成立ち、取引の全てを合計すると経済社会全体でこの等式が成り立つ、ということです。

最初の例ではAさんが100円の買い物をしただけで、社会全体の所得が30円増えてしまうということ。2番目の例では企業Cが100円の投資をしただけで社会全体の所得が50円も増えてしまう、ということです。

これは逆に言えばAさんが100円の買い物をしようとして思いとどまったら、それだけで社会全体の所得が30円増えるはずが増えなくなってしまう。企業Cが100円の投資をする所、思いとどまってしまうだけで社会全体の所得が50円増えるはずが増えなくなってしまう、ということです。

念のため確認しておきますが、投資とか貯蓄と言っているのは通常の投資や貯蓄の残高のことではなく、その増減のことを表しています。

さてこのように整理した所で、企業はそれぞれの利益=所得(P)を大きくすることだけを考え、労働者はそれぞれ自分の所得(F)を大きくすることだけを考えている状況で、皆が幸福になるためにケインズは
ΣP+ΣF
に注目します。ΣP+ΣFが大きくなればほとんど自動的にPもFも大きくなって、企業も労働者もHappyということです。
(つづく)

『経済と人間の旅』 宇沢弘文

3月 30th, 2015

この本は宇沢さんが日経新聞に連載した『私の履歴書』を第一部とし、第二部としてそれ以外に宇沢さんが日経新聞あるいは日経産業新聞(1つだけ)に寄稿した文をまとめたものです。

『私の履歴書』は1ヵ月毎日の連載なので読んでいる時はかなり長いような気がしますが、本にすると1回分本文3ページ・写真1ページとして4ページ、31日分で124ページにしかならないので、これだけだとちょっと少ないということになり、他の文章と合わせて1冊にする、というのは良くある話です。

宇沢さんの『私の履歴書』は2002年3月の連載だということですから、10年以上もそのままになっていたのが、昨年宇沢さんが亡くなってちょっとブームになったのをきっかけに本にしたようです。私も図書館で数ヵ月待って、借りて読みました。

第二部についている文章はほとんどが日経新聞の『経済教室』というページに掲載されていたものです。私はサラリーマンになってから毎日日経新聞を読んでいて、この『経済教室』というページは初めのうちはまるで歯が立たなかったんですが、何年かしてからは好きなページになっていたので、多分ここに載っている文はほとんど読んでいると思います。もちろん『私の履歴書』の部分もちゃんと読んでいます。

しかし、今のようにケインズの経済学や古典派の経済学に興味がなかったので、その内容はほとんど覚えていませんでした。

改めて読んでみると、特に第二部の部分は非常に面白く、経済学の変遷の歴史がうまくまとめられているなと思います。特に古典派の経済学がケインズの一般理論により否定された後様々な形で復活して、ケインズの経済学を圧倒してしまうあたりは非常に面白いです。

お勧めします。

『私の昭和史』 末松太平著

3月 24th, 2015

この本の著者の末松太平さんという人は、戦前のいわゆる青年将校と呼ばれる人の、いわばリーダー格の一人で、5.15事件の前から2.26事件にかけての様々な場面を経験しているのですが、たまたま幸か不幸か直接的にテロには参加する機会に恵まれず、2.26事件で青森から中央に対して意見を言ったり電報を打ったりしたことを咎められ、有罪になって陸軍を追い出されている人です。

いわば2.26の生き残りの一人が、昭和38年になってその当時の青年将校を取り巻く上官や兵隊たちの生きざまを活き活きと書いています。

2.26事件のいわば神がかり的な青年将校たちとは違って、いたって冷静に状況を見て行動したことを記録したものです。

著者が幼年学校(陸軍士官学校に入る前に中学2年生位で入る学校)に入る所から始まり、満州事変・5.15事件・相沢事件から2.26事件、最後は著者と同じく青年将校のリーダーだった大岸さんという人が戦後変な宗教にはまって、ついには死に至るのを見届けるまでが書かれています。

登場する青年将校達が生き生きとした青年として描かれています。彼らが何を考え、何をしようとしていたかが良く分かります。

この本は三島由紀夫が激賞したということですが、文学としても十分読み応えのある本です。

文庫本で上下合わせて本文だけで500ページ強の本ですが、楽しく読めます。
2.26事件の青年将校たちについて興味がある人には是非ともお勧めです。

『地獄である』

3月 24th, 2015

昨日(3月23日)の日経新聞朝刊の40ページに全面広告でバカでかい活字で『地獄である』なんてのがありました。一体何だろうと思ったら、『一人一票実現国民会議』という名前で、弁護士の升永英俊という人が出している広告のようでした。

いわゆる一票の格差の問題について主張しているもののようなんですが、何ともはやの論理展開で、やはり弁護士さんは論理的思考ができないんだなと思ったのですが、面白いので紹介します。

  1. 最高裁の裁判官のうちの何人かは、参議院選での一票の格差の問題で、選挙は違憲状態にあると判断しており、違憲状態にある選挙で選ばれた国会議員には正当性がない、と言っている。
  2. 最高裁の判決では衆議院選は違憲状態にあり、選出された議員は正当性がなく、その議員を含む内閣には正当性がない。
  3. 裁判官はその正当性のない内閣により任命されているので、裁判官も正当性がない。
  4. 正当性のない裁判官が死刑の判決をするのは、人の道に背く。自分が仮にその正当性のない裁判官であったら、たとえ自分が殺されても実刑判決はしない。
  5. 正当性のない裁判官が死刑判決を言い渡し続けているのは地獄である。
  6. この地獄を止める唯一の方法は(一票の格差に関して)違憲無効判決を言い渡すことである。
  7. アメリカでも州議会選挙で972倍もの一票の格差があったのを、連邦最高裁判所の判決で一人一票になった。

ということのようです。
何ともはや、ツッコミどころ満載の支離滅裂の議論ですね。

正当性のない最高裁判所の裁判官が違憲無効判決をすれば全て解決する、というのはどういう理屈によるんだろうと思います。こんな訳の分からない人が裁判官でなくて良かったな、と思いました。

それにしても日経新聞の1ページ全部の広告ですから、結構お金がかかったんじゃないかなと思います。

この弁護士さんが、今全国で行われている一票の格差問題の選挙違憲裁判の中心人物のようです。
よっぽどお金と暇がある人なんでしょうね。