福沢諭吉『帳合之法』 その1

1月 28th, 2022

先に報告したように、ブログのサーバーがパンクし、お正月休みにちょっと時間が取れそうなので、取りためてあった資料の中からこの本のコピーを取り出して読んでみました。予想以上に素晴らしい本で感激しました。

元々アメリカの商業学校(原文では商売学校となっています)の簿記の教科書を福沢諭吉が翻訳した、ということになっているので、福沢諭吉は単なる訳者ということになるのですが、現実には翻訳というより翻案と言った方が良いような本です。

なにしろ西洋流の簿記など初めての人に西洋流の簿記を説明するのですから、福沢諭吉はかなりの工夫を凝らしています。
日本語の本をいきなり横書きにすることはできなかったようで、横書きの英語の原文を縦書きの日本語に翻訳しています。数字が大量に出て来る帳簿の例でも、横書き、アラビア数字の原文を縦書き、漢数字の帳簿に変えています。
簿記の本ですから大量に金額が出てきます。これを日本流の漢字の書き方で、たとえば二拾八万四百三円六銭と書く代わりに、二八◯、四◯三、◯六というように縦書きに書く事にしています。日本語の縦書きはそのままにして、数字の位取り記法を導入し、一から九までの漢数字に◯を追加して◯から九までの漢数字で位取り記法ができるようにして、原著の横書きの教科書を縦書きにして簿記の説明をしています。
この位取り記法、和算の世界では17世紀位からあったようですがまだ一般にはなっていなかったもののようです。とはいえ、実は算盤(ソロバン)というのは、紙に書くのではなく算盤に置くという形ですが、実質的に位取り表記ですから算盤を使い慣れている人にはあまり抵抗がなかったかも知れません。

まだ個人商店が主流の時代ですから、商売相手の名前も英語の原文では外人の名前ばかり出てきます。これをこのままカタカナの名前にしたんでは読んでいられないだろうということで、この商売人の名前をみんな日本の屋号に変えてしまいます。廃藩置県前律令制以来の国郡里制の国の名前に屋号を付けた、三河屋とか駿河屋とか伊勢屋、越後屋とかいった具合です。
商品の名前も欧米の商品を持ってきても良くわからないので、全て日本の商品に置き替え、ついでに度量衡の単位も日本の単位に置き替え

男物くつ足袋 6足 単価25銭で 1円50銭 とか
太織ふとん地 2丈 単価12銭で 2円40銭 とか
お茶 10斤 単価12銭で 1円20銭 とか
白砂糖 3箱分50斤入り 単価6銭で 90円 とか

という具合です。

で、この単式簿記と複式簿記の両方を説明しているのですが、前半の単式簿記(Single Entry)の方を『略式』と訳し、後半の複式簿記(Double Entry)の方を『本式』と訳しています。

『この本は単式簿記だからちゃんとした簿記の本ではない』なんてコメントも時々みかけますが、実際の所単式簿記も複式簿記もちゃんと説明してあります。

で、英語の原文では単式簿記を4例、複式簿記も4例説明しているようですが、この訳の方では単式簿記の4例を略式第一式から略式第四式という形で紹介しています。また複式簿記の例、最初の2例を本式第一式、本式第二式という形で紹介し、3例目4例目は省略しています。
原文のテキストの本式第三式・本式第四式の2つについて福沢諭吉は、第二式までで説明は十分で、それ以上ページ数を増やして読者の負担(本を買う負担・読む負担)をかけてもしょうがないということで、この部分を省略しています。その意味でもこの本は真っ当な翻訳ではありません。もちろんそれでこの本の価値が棄損されるわけでありませんが。

単式簿記というのは実は『複式簿記でない』ということで、その中味についてはいろいろなケースがありますが、この本では、商人間の取引のうち掛(買掛あるいは売掛)の取引について、売掛金を取りっぱぐれないように、また買掛金の支払を忘れないように記録を取っていくことを主たる目的とする帳簿簿記のシステムのこととして説明しています。

この本の6つの例を読むと、単式簿記であれ複式簿記であれ、具体的な目的があって、その目的のための帳簿の体系があって、それぞれの帳簿の使い方、記録方法が決まっていて、それぞれの例では使う帳簿が異なったり同じ帳簿でも使い方が違ったり、その意味合いが違うということがわかります。

この本では簿記の目的が次第に広くまた高度化するにつれ、帳簿組織と簿記の内容が変わっていくことをわかりやすく例示しています。その結果、(やり方を一方的に)教えられる簿記会計から、自分で考え創意工夫できる簿記会計の教科書になっています。

なおこの本では基本的に個人商店を想定しているわけですが、資本を出し合って経営する合資会社の場合で、利益を出資者にどのように分配するかとか、期の途中で出資者が増えた時の取扱なども例示しています。
面白いことに、福沢屋と丸屋が共同で出資して『福丸商社』を作り、そこに途中から島屋が資本参加して『福丸及び社中』という名前の商店になる、なんて、英語の○○ and Companyという名称までそのまま日本語にしています。こんな会社が本当にあると面白いですね(ちなみに丸屋というのは本屋の丸善のことで、この部分ではほかにも慶應義塾関係のいろんな人の名前が商売相手の名前として出てきます)。

略式・本式というのは原文のSingle Entry(単式簿記)とDouble Entry(複式簿記)を仮に略式・本式と訳したものですが、だからと言って何か省略している、ということではなく、略式であっても本格的な簿記会計の体系であって、これで本格的な決算もできると書いています。福沢諭吉自身、この代わりに単記・複記という直訳も考えていて、迷っているようです。
簿記は、単式簿記が進化して複式簿記になったかのように思われているところもありますが、実際、簿記の歴史の本などを読むと、まず複式簿記の体系が出来上がり、それがヨーロッパを中心にかなり広範囲に普及したところで、それがあまりに厳密で手間がかかるために、それを何とか省力化して簡単にすることができないものか、という工夫が様々に提案され、時にはその名前をsimple entryとすべきところをsingle entryと呼んだ、ということもあるようです。だとすると、single entryというのはsimple entryのことで、それを略式、と訳したのは何かを省略した、ということではなく、簡略化した、ということであれば、本式・略式という訳はもしかするとかえって適切な訳なのかもしれません。

借方・貸方についても、とりあえず原文のDebit、Creditをこのように訳していますが、これについても福沢諭吉も迷った上でこのようにしています。

たとえば日本流の言い方では、自分がA社に商品を掛けで売った場合、A社勘定に売掛金を計上するのですが、これはA社にその代金分貸し付けたことになる。B社から商品を掛けで買った場合、買掛金が計上されますが、これはB社にその代金分借りていることなる。このA社に対する貸しを借方に記載し、B社に対する借りを貸方に記載するのは変じゃないか、と普通に考える所、福沢諭吉は、日本流の自分を主語にする考え方ではなく、西洋では相手方を主語とし、A社に貸しているのは『A社は当社に借りている』ということで借方に記載し、B社に借りているのは『B社が当社に貸している』から貸方に記載することだ、と説明しています。
この借方貸方の整理は非常に納得しやすいものです。

日本の中だけでこの簿記を使うのであれば、貸方借方の表記を(日本流の)自分を主語にして逆にしても良いし、貸し借りの言葉が分かりにくいから、例えば『入』と『出』という形で表現するという考え方もありますが、将来的に欧米との取引が進んでいくとその表現が逆になっていたり別の言葉が使われていたりするのはかえって混乱を招く事になると考えて、あえて原文をそのままに借方・貸方の言葉を使うことにする、と福沢諭吉は訳者注に書いています。
このあたり、明治に西洋から新しいものや考え方を取り入れるとき、どんな言葉を使ったらいいか、という先人の苦労がしのばれます。

ということで、次回以降、もう少し詳しくこの本の中身を紹介してみようと思います。

ブログ再開

1月 18th, 2022

ここしばらくブログの更新、あるいは新規投稿ができませんでした。

気が付いたのは昨年の年末で、久しぶりに新しい投稿をしようとしたら、できませんでした。
で、最後の投稿の日付を見たら、去年の10月26日に投稿していますので、約2ヵ月の間に何かがあったに違いありません。

私のブログはWordPressというシステムで動かしているので、ネットで『WordPressで新規投稿が出来ない』として検索してみると、これこれこうやったら直ったとか、そうやっても直らなかったとか色々な記事があって、良く分かりません。WordPressをいじくるとなると、まずはインターネットサービスのサーバーに入れるようにしなくてはならないし、WordPressに手を入れるとなるとそのプログラムをダウンロードできるようにしなければならないし、WordPressで使っているデータベースをいじらなければならないということで、その都度それぞれパスワードが必要になります。

まずはそのパスワードを探す所から始める必要があります。勿論そのパスワードは自分で設定しているものですが、一旦パスワードを設定して一連の作業が無事に終わってしまうともうそのパスワードを使うこともなく、当然忘却のかなたに行ってしまいます。もちろんどこかに記録はとってありますが、それがどこか・・なんてことを覚えているはずもなく、一昨年暮から昨年の年始めにかけての引っ越しで、オフィスに山積みになっているダンボールの中で、どの書類がどのダンボールに眠っているのかも分かりません。

で、作業は年明け落ち着いてからやろうと思って一旦棚上げし、先週の終わり頃からパスワードの探索作業から開始しました。

投稿ができないとなったら、まずはシステムのログを取って何が問題なのか見るのが常道なんですが、ログを見るにはどうやったら良いかというのも調べなければなりません。勿論昔やったことがあるのは覚えていますが、やり方自体は全く覚えていません。

で、ようやく必要なパスワードを全て見つけ出し(あるいはパスワードを再発行し)、ログファイルも見ることができるようになったのでそれを見てみたのですが、何とも分かりません。エラーログで出て来るのは『Updateできません』というメッセージばかりです。

ここまで来ると万策尽きて、私のサイトを管理しているインターネットサービスの会社にメールを送り『WordPressの新規投稿が出来ない』というタスケテクレメールを送りました。先方でもいろいろ調べたりするのに時間がかかるかも知れないので、また1日2日くらいは待つことになるのかなと思ったら、予想より早く3時間ちょっとで返信がありました。その結果は何と『データベースが容量オーバーでパンクしているから、中のファイルを整理して空きを作れ』という事でした。

で、データベースの中味を見ると、何とブログへのアクセスのカウンターのためのデータが膨大に膨れ上がっていました。この際そのカウンターのためのデータを削除しました。それで帰宅してテストでコメントを入力してみたらちゃんと投稿できます。ヤレヤレと一安心して、待てよ、前にも同じようなことがあったなと思ってブログを「パンク」のキーワードで検索してみたら、2014年11月に同じようにデータベースがパンクして同じようにカウンターをゼロクリヤして直した、という記事がありました。ここに来るまでそんな事は全く覚えていなかったという事です。

実はこのブログにはわけのわからない、主に日本語以外のコメントの投稿(これをスパムコメントといいます)が山ほど入ってきます。仕方がないのでそれらの投稿は時々削除していたのですが(と言っても毎回数千件削除するので一度では削除しきれず、何回かに分けて削除します)、カウンターのクリヤの方は全く忘れていました。

ということでWordPressのプログラムには手を入れる必要はなく、データベースの不要なデータを消すということで、何とか問題解決となったようです。

本当にヤレヤレです。

これで年末に投稿しようとしていた記事や年末年始の読書感想文とこの記事と、色々投稿することができます。

わかってしまえば何ということもないみっともない話ですが、とりあえず解決できてチョットほっとしています。

で、これで問題解決かと思ったのですが、実際にカウンターのテーブルを削除し、ついでにカウンターを動かすためのプラグインを削除した所、サイドバーという、本文の記事の右に出ている、カウンター・更新通知の申込・ブログ内検索・カレンダー・カテゴリー・最近の投稿等々、一番下に管理画面へのリンク等が入っている部分がほとんど全部消えてしまいました。投稿の本体は読めるのですが、背景の色が途中から変わってしまったり、かなりみっともないものになってしまいました。

こうなったのはカウンターのプラグインを削除したからだから、これを元に戻せば良いかと思ったのですが、このプラグイン自体セキュイリティの関係か何かでもうインストールできなくなっていました。仕方ないのでこのサイドバーを表示するためのプログラムを眺めていたら、アクセスカウンターを表示する部分で、カウンターのプラグインで設定している変数が使われているんだけれど、プラグインを削除してしまったのでその変数が設定されず、それを表示しようとしてエラーが発生し、その部分から下の表示が全部消えてしまった事がわかりました。で、このサイドバーからカウンターの表示の部分を削除し、そのままではちょっと寂しいので代わりに今まで処理したスパムコメントの数を表示するようにしたら、何とか以前と同じような体裁になりました。

インターネットの関係のプログラムでは、何かエラーが発生した時、普通のプログラムと違って、だまってやめて知らん顔をしているので、それを直すのはなかなか厄介です。

とまれ、本当にヤレヤレです。

『本屋風情』 原 茂雄

1月 14th, 2022

渋沢栄一の大河ドラマもいよいよ終わりましたが、最終回の2回前、12月12日の分を見ながら、その後継者渋沢敬三のことを考えていました。

この人は、戦前から終戦前後に日銀総裁をやったり大蔵大臣をやったりした人ですが、私が知っているのは日本中を歩き回った民俗学者の宮本常一のスポンサーとしての渋沢敬三です。この人は渋沢栄一の後継者だったけれど、血縁はどうなっていたのかなと思ってWikipediaに教えてもらったのは、最終回の前の12月19日の大河でやっていたように、栄一の嫡男篤二の嫡男として生まれ、父親の篤二が栄一に廃嫡されて孫の敬三が後継者となった、というような事が分かりました。

Wikipediaではついでにこの人の動物学や民俗学関係の色々な交流について、参考書としてこの本が紹介されていました。

早速図書館で借りて読んだのですが、全30話のうち28話が『渋沢敬三さんの持ち前とそのある姿』というタイトルになっていました。もちろんそれ以外にもこの本全体に何度も登場します。

第一話が『まえがき』になっていて、ここに『本屋風情』のタイトルの由来が書いてあります。

これまたこの本に何度となく登場する柳田國男が(この人はエリートであった事は事実だけれど、エリートであることを強く自覚し、また他人にも自分をエリート扱いすることを当然のように要求し、それが叶わないとひと悶着起こすというような人のようです)、また何かの件でひと悶着起こしたときに、渋沢敬三が仲直りの席を用意し、ひと悶着の当事者の一人でもある著者の原茂雄さんにも同席するように命じ、その席は無事終了したと思ったら、後で柳田國男が「本屋風情と同席させられた」と文句を言っていたということで、この『本屋風情』という言葉をこの原茂雄が気に入って、この本を作る時に書名にしたということでした。

著者の原茂雄さんというのは、陸軍幼年学校から陸軍士官学校を出て軍人になった人ですから、この人も十分エリートで、陸軍での出世も少なくとも少将くらいまでは約束されていたはずなのに、軍をやめて本屋さんになった人ですから、そう簡単に柳田國男風情にバカにされる人ではありません。

で、この第一話『まえがき』のあと第2話から第9話までは南方熊楠との交流を書いています。出版者として南方熊楠に出版を提案する所から、熊楠の信頼を得て熊楠の著作の管理を全面的に任され、最終的に南方熊楠全集を(平凡社から)出版するに至るまでを書いています。

その後は出版人として本や雑誌を出すことに関連して、主として考古学・民俗学・民族学関連の多くの人との交流が書かれています。話の殆どは大正の半ばから終戦前後までの話なので、私にとっては名前だけは知っているけれど・・とういう人々が具体的な姿で登場してきます。

たとえば貝塚茂樹・湯川秀樹、小川環樹の小川三兄弟の父親である小川琢治という人も、今までは三兄弟の父という形で目にするだけだったのが、地理学の権威として、登場して活き活きとして動きまわっています。学者仲間の濱田耕作と、互いに子供自慢をしあったりもしています。

『ユーカラの研究』の出版に関連して金田一京介と関わったり、広辞苑とその前身の辞苑の出版に関連して新村出と関わりあったり、ファーブル昆虫記の出版に関連してきだみのること山田吉彦が登場したり、いろいろ面白い話が満載です。

第26話で物理学者の中谷宇吉郎の弟の考古学者の中谷治宇ニ郎の話、第27話で同郷の先輩で同業者の、岩波書店の岩波茂雄の話、第28話は前に書いたように渋沢敬三の話、第29話で人類学・考古学・民俗学関係の学者間の交流誌として『ドルメン』という雑誌を出した話があって、最後に第30話『落第本屋の手記』として、陸軍をやめて人類学・民俗学の勉強を始めたけれど、スタートが遅くなった分、学者として研究にあたるより出版人として学者の仕事を助ける方がなすべき仕事だと考え、何も知らない出版の世界に入ったけれど、途中で陸軍から召集をかけられたり徴用されたりしてちゃんとした仕事ができなかった、と書いています。

なかなか面白い本です。

この本をきっかけに、そういえば南方熊楠というのは話を読むだけで、この人の書いたものを読んだことがなかったな、と気づき、今度は熊楠の書いたものを読んでみようかと思いました。

こうやって読みたい本が増えていくと、読む本がなかなか終わりません。

とまれ、興味がある人、お勧めします。

『確定申告』その後

10月 26th, 2021

4月19日に「『確定申告』と救急車」という記事を書きました。

http://acalax.info/app-def/S-102/wp/?p=1667

そこでは、何とか期限内に所得税の確定申告を済ませ、ヤレヤレと書いていたのですが、その後何ヵ月かして税務署から『申告書が送られていない』という連絡がありました。こちらとしては『e-Taxで申告書を送付したはずで、送信した記録もあるので、もう一度そちらで調べてくれ』と返答していたのですが、先週再度連絡があり、『やはり申告書は届いていない。先日連絡してもらった送信した記録というのも見てみたら、申告書を送付した記録ではないので、再度確認してくれ』という事でした。

もう使い方もかなりあやふやになっているe-Taxのシステムを立ち上げ、確認してみました。いろいろ調べた結果、何と申告書の送付はできていないことが分かりました。

申告書を完成させ、税額の計算が終わった所で、その後、申告書に署名し(パソコンでマイナンバーを入力する手続きです)、その後署名後の申告書を送付する手続きが必要なのですが、その署名の所で作業が止まっていました。

早速署名の手続きをし、送付の手続きを済ませて税務署に連絡した所『今度は確かに受け取った。しかし申告書の提出が期限を過ぎてしまったので、青色申告特別控除65万円の特例を使うことができないので税額が変わる。申告書を修正するように』と言われてしまいました。

今年から、青色申告特別控除はe-Taxで期限内に申告・納付していれば65万円の控除が適用できるのですが、そうでないと控除額は10万円になってしまいます。この差の55万円分、所得が増えて、税金が増えてしまうという事です。

仕方ないので申告書を修正し、修正したものをまたe-Taxで送付しその旨を連絡した所、『申告書を修正するのでなく、修正申告書を提出することが必要だ』と言われてしまいました。

確かに一度提出した申告書を修正する時は修正申告という手続きをするということは知っていたのですが、e-Taxのソフトの中で見るかぎり修正申告の手続きに関するものが見当たらなかったので、仕方なく申告書の修正をすることにしたわけで、『それではその修正申告はどうやってやるんだ』と聞き直しました。

相手の税務署の担当者もe-Taxについてはあまり慣れていないようで、とりあえず国税庁のホームぺージから修正申告書を書面で作成し、印刷して提出する場合のやり方について説明して貰い、何とか修正申告書を作ることができました。(パソコンを開いてネット上の作業を、電話を繋げっぱなしにして説明を聞きながら作業して、多分2、3時間かかったように思います)。

何とか修正申告書の作成が終わった所で、今度は国税庁のホームページの修正申告書を作成する所で、e-Tax用の修正申告書を作成するボタンもあるので、e-Taxで修正申告するのであればそちらのボタンで同様な作業をするようにという事でした。

同じ作業を2度するのも大変だし、今後また修正申告が必要になることもあまりないだろうと思い、e-Taxでの修正申告はやめて、せっかく作った修正申告書をそのまま印刷して書面で提出することにしました。税務署までは往復1時間ちょっとで出しに行けますし、ついでに不足分の税金の納付もできます(今住んでいる自宅は浦和税務署の管轄なのですが、オフィスがあるのは大宮税務署の管轄なので、オフィスの近くの郵便局にある納付書は大宮税務署用のもので浦和税務署用のものはいずれにしても取りに行かなければならないという事情もあります)。

で、修正申告書の提出と不足分の税金の納付を済ませた所、間髪を入れずに『無申告加算税』の請求書が来ました。すなわち申告書の提出が結果的に半年くらい遅れてしまったので期限内に申告しなかった、というペナルティの加算税です。これは忘れないうちにすぐに納付しました。嬉しいことに請求書はコンビニでも納付できるようになってました。あとは延滞税がどうなるかですが、請求書が来たら払うだけです。

結果的に65万円の青色申告特別控除が10万円に減って、他にも何だかんだでかなり払うことになったのですが、コロナ騒ぎで申告・納付期限が1ヵ月遅くなっていなかったらもともと到底間に合わなかっただろう事や、脳梗塞のことなど考えると大した追加負担でなくて良かったなと思います。

e-Taxでの納税についても今回の経験でかなりやり方が良く分かったし、e-Taxのシステムも今後かなり改善されるだろうことを考えると、とりあえず今回e-Taxにチャレンジしたのは正解でした。

今回は残念ながら65万円控除を逃してしまいましたが、来年以降は毎年65万円控除を使えると考えれば、そんなに悪い話でもないかも知れません。

という所でもう10月も終わりで、今年も残すところ2ヵ月です。そろそろ今年の決算の確定申告の準備も始めないといけないなと思います。

一応本格的に個人事業主となるにあたって、今まで会社でやっていたのに倣ってきちんと経理・決算作業をしようと思っていたのが、今年は会社の整理の作業や度重なる病院通いでそれが殆どできていません。

今度の日曜日はいよいよ衆議院選の投開票日です。
今週は選挙結果の最後の予想ということでマスコミもネットも賑やかでしょうが、根拠もない願望ニュースやデマ等のフェイクニュースに振り回されていても仕方ないので、少しは真面目に決算の作業を始めようかな、と思います。

『直立2足歩行』

9月 3rd, 2021

7月9日に出勤途上で足を骨折し7月12日に入院、7月19日に手術、7月28日に退院となり、その後基本的に松葉杖生活をしていたのですが、外来で診察してもらって8月19日の診察で、順調に治りつつあるということで、『松葉杖なし』ということになりました。

私としては松葉杖が2本から1本になるとか松葉杖の代わりに普通の杖を使うとか、段階的にやっていくんだなと思っていたら、いきなり『何もなし』という事になり、何となく不安な気持ちでした。

何しろ手術から1か月間ずっと松葉杖と一緒に生活し、これさえあれば何でもできると思っていたのがいきなりなくなると、自分の事ながら大丈夫かな(?)と思ってしまいました。最初のうちはヨタヨタ歩きから始まって次にトボトボ歩き、今では長い距離でなければ普通のゆっくり歩き、まで戻ってきました。

松葉杖というのは、骨折をした方の足に全体重をかけるわけには行かないのと、骨折をしなかった方の片足だけではバランスを取るのが難しいということで、いずれにしても補助的な役割のもので、基本は骨折をしなかった方の足で立ったり歩ったりしているものだ、と思っていましたが、これが全く間違いでした。

松葉杖なしで歩き始めてすぐに感じたのは、歩く時の足の負担、背筋の負担がとんでもないということでした。

松葉杖で歩くというのは見た目は立って歩っているようですが、実は杖と足の四足歩行、四つん這いで歩っているのと同じようなもの、ということです。

この四足歩行が2足歩行になったわけですから、足腰の負担が1気に増えたのは仕方のない事です。

しかし負担は増えましたが、2足歩行の素晴らしさに改めて感激しました。松葉杖の時は何かを持って歩こうと思ったら、リュックに入れてリュックごと担ぐか、ベルトに挟むかということで、何かの乗っているお皿や飲み物の入っているコップなどは自分で運ぶことができませんでした。2足歩行であれば、余った2つの手でこんなのは簡単に持ち運べます。松葉杖では傘がさせないので、雨がふったらやむのを待つか濡れるのを覚悟で歩くしかありません。2足歩行であれば、余った手で傘をさすことができます。

直立2足歩行というのは、とんでもなく便利な発見だなと改めて思いました。

というわけで、直立2足歩行を始めて2週間、まだ10分も歩くとくたびれ果ててしまう、という塩梅ですが、あとは体力の回復を図るだけ、ということのようなので、時間の問題で元のように普通に歩けるようになると思います。

それにしても、骨折しなければ自覚することのなかった直立2足歩行のすばらしさに気づくことができてラッキーでした。

清算結了と骨折

8月 11th, 2021

アカラックス株式会社は2020年12月31日に解散を結議し清算の作業を進めていましたが、2021年6月25日の株主総会で清算結了を承認し、2021年6月28日に登記・確定申告を済ませ、無事消滅しました。

登記の手続きは問題がなければ7月9日までに完了するということなので、7月12日に登記簿を取って確認しようとしていた所、7月9日に骨折で動きが取れなくなってしまいました。

7月9日は雨で、朝、大宮駅からオフィスへ向かう途中でソニックシティのビルから歩道へ出る所で足を滑らし、腓骨を骨折しました。

当初は骨折だと思わず捻挫だと思っていたので、ビッコをひきながらオフィスの建物にたどり着き、3階まで階段を上りオフィスで足を冷やしていました。

夕方帰宅時にビッコをひきながら階段を下り、それ以上歩って帰るのは無理だと思ってタクシーを拾って帰宅しました。

翌日の土曜日、念のために近くのクリニックで確認してもらうと、レントゲンを撮って、いとも簡単に『骨折だ』と言われてしまいました。で、土日は家でおとなしくしていて、月曜日に紹介状を書いてもらった日赤病院の外来に行きました。色々検査された上で、そのまま即日入院となりました。しかし手術室の予約がなかなか取れないということで、手術は1週間後の7月19日になりました。

手術の翌日から早速リハビリが始まりましたが、2日やった所でオリンピック開会式の4連休に入り、リハビリもお休みです。仕方がないのでその間リハビリの自主トレをして、連休明けの月曜日に退院が決まりました。日赤病院は原則朝9時の退院なので準備の都合もあり、水曜日の7月28日に退院となりました。

退院後7月いっぱいは自宅でおとなしくしていて、8月2日からようやくオフィスに出ることにしました。朝は娘が車でオフィスの建物まで運んでくれ、帰りは流しのタクシーをつかまえて乗って帰ります。

7月12日に登記簿を取って登記を確認しようとしていたのがそのままになっていたので、退院の翌日奥さんに法務局に行って登記簿を取って貰いました。

それにより2021年6月28日に清算結了の登記をして登記簿は閉鎖されたことが確認できました。アカラックス株式会社は消滅しました。

これでアカラックス株式会社に関する作業はほとんどオシマイです。
皆様、お世話になりました。

なお骨折の方は、膝から足首までの骨のうち、主に体重を支える脛骨の方でなくその脇の腓骨の方で、これは足の向きを変えたり足を回したりするためのもので、それも途中の細い所でなく一番下の丸くなった果体を、いわゆるクルブシの外側の部分が割れたということで、その分くっつけ易い部分のようです。骨折がこれだけで済んでラッキーでした。

1年位かかって骨がしっかりした所で、足に入れたプレートとネジを取り外す手術をするようですが、それまではチョットだけですが『筋金入り』の男という事になります。

『ワクチン予約』

6月 8th, 2021

コロナウィルスワクチン接種の招待状が届きました。
正式には『新型コロナウィルスワクチン接種クーポン券』というようです。

で、この書類は何ともはや突っ込み満載で面白いので、チョットコメントします。

まずさいたま市では年齢別に順次このクーポン券が送られて来ているのですが、今回届いた物には赤いシールで
 さいたま市での予約開始
  70歳~74歳 6月14日(月)9:00~
  (昭和27年4月1日~昭和22年4月2日生まれ)
  65歳~69歳 6月21日(月)9:00~
  (昭和32年4月1日~昭和27年4月2日生まれ)
と書いた赤いシールが貼られています。

要するにこの年齢は2022年4月2日(1日?)での満年齢を意味しているようですが、そのことの説明はないので、年齢の方で判断するのか生年月日で判断するのか、迷うかも知れませんね。

で、次に予約方法ですが、QRコードを読み取ってWebサイトにアクセスするようになっているのですが、QRコードを読む代わりに直接URLを入力することも可能になっています。ところがこれが意味不明の18字の英数字の部分(00002G0006F587V8II)を含んで全部で65字ものURLになっています。

これを間違いなく入力するのは大変です。さらに大文字のIが入っていて、数字の1ちょっと紛らわしいですね。私の普段使っているPCはカメラが付いていないので、QRコードを読み取れないので大変でした。まぁ今時カメラの付いていないパソコンなどというのは存在が許されないのかも知れません。また、URLも少しづつ入力できるといいのですが、全部一度に入力しろ、というのはなかなか大変です。

で、問題は『予約日』です。どうもこの言葉は説明なしで2つの別々の意味で使われているようです。

その一つは『ワクチン接種の予定の日時を決めるために電話なりネットなりで連絡する日』という意味で、もう一つはそのような連絡により決めた『ワクチン接種の予定日』のことです。

この両方を『予約日』と言っているので、たとえば『予約日は○日以降ですからその日になったら予約を入れて下さい』という事になり、また『予約日にはワクチン接種しやすい服装で会場に行って下さい』ということになります。

それでもまぁ現実的にはそれほど大きな問題にはならないでしょうが。

いずれにしても書類には様々なコードが使われています。予約受付ID、というのは、このクーポン券の券番号、ということのようで、予約受付IDのパスワードは自動的に西暦の生年月日が使われていました。

やはり全国民に一律に何かをしようとすると大変だなと思います。

で、私は予定通り当分予約を入れようとは思いませんが、奥さんは(65歳以上の区分になりますが)早速かかりつけ医に電話を入れ、7月の頭に接種する予定になりました。とりあえずはオリンピックまでに1回目の接種は終わっている、ということになる予定です。

デシベル(dB)

6月 4th, 2021

しばらく前受けた心エコーの超音波診断装置の画像があまりにもすばらしかったので、図書館で何冊か解説書を借りて読んでいます。その感想文はまた改めて書く予定ですが、その前に、ついでに知ることができたデシベル(dB)についてコメントします。

このデシベル、良く聞く言葉のわりに何となく分かったような分からないような気がしていたのですが、この超音波診断装置の本を読み、ちょっとWikipediaなどを調べてようやく分かりました。

デシベルの元とされるのはベル(B)というもので、例の電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルの名前から来ている記号です。

で、この『ベル』という記号は何らかの倍率を表すのに、その数自体でなくその常用対数(あるいは10を底とする対数)をベルという記号で表します。

ですから1ベルというのは10倍、2ベルというのは100倍、3ベルというのは1000倍、逆に-1は1/10倍、-2ベルは1/100倍、-3ベルは1/1000倍ということになります。

でもこのベルよりもう少し細かく倍率を表示するために、そのベルの1/10としてデシベルという記号を導入したということです。

そういうわけで、このデシベルの『デシ』はデシリットルと同じデシです。

で、10デシベル=1ベル=10倍、20デシベル=2ベル=100倍ということになります。

超音波診断装置では音波が何センチ進んだらその強さが何割になるか、という倍率を表すのに使われています。それで逆にどれ位の強さの音を発信すればどれだけの音が返ってくるかの計算をしたりします。

ということで、ベルとかデシベルというのが倍率の表示方法であって何かの単位ではないので、単に○○デシベル、というのでは意味をなさないのですが、騒音とか振動とか、あるいは電気関係の議論では、基準となる音の強さとか電流や電圧をあらかじめ一定に決めておいて、その基準値の何倍かという倍率だけをとって、何デシベルというように表しているということです。

ここまで来るとなーるほど、と納得できます。

私の通勤路で、今銀行の本店の新築工事をしているのですが、今まで、騒音が何デシベル、振動が何デシベル、という電光掲示板が設置してあったのが、もう工事も終わりに近づき、今朝見たらその掲示板が取り払われていました。おぼろげな記憶では、たしか騒音で80デシベルくらいだったような気がします。80デシベル、ということは、8ベル、ですから、1億倍、ということになります。騒音の場合、基準値は人間の耳にかろうじて聞こえないくらいの音だ、ということになっていますので、その1億倍くらいの音が出ていたんだな、ということがわかります。

『蒸気動力の歴史』

5月 13th, 2021

『蒸気動力の歴史』という本を読みました。いわゆる蒸気機関の歴史を知りたくて借りた本ですが、なかなか読み応えがありました。

最初シリンダー(円筒)の中を水蒸気で一杯にして、その水蒸気に水をかけると水蒸気が水になり、シリンダーを密閉しておけば中は真空になりそこに大気圧がかかるので、その大気圧に仕事をさせようという『大気圧機関』から始まり、それが水蒸気自体の圧力を使う『蒸気圧機関』に進化し、それらの機関ではシリンダーのピストンの往復直線運動だったものを回転運動に変換する仕組みを導入し、その後往復運動なしに直接回転運動させるようにタービンを使うようになり、発電機を作ってそのタービンの回転運動を電流に変え、電流をモーターで回転運動に変換するという具合の進化の話です。

はじめは炭鉱の湧き水汲み出しのためのポンプを動かすための物だったのが、この機関を導入することにより排水ができるようになり石炭も鉄もたくさん取れるようになり、このポンプをふいごに使う事により、より強い鉄を作ることができるようになり、その鉄を使ってもっと効率の良いポンプを作ることができ、また工作機械も精度の良いものが作れるようになり、ポンプの性能も良くなるという、総合的な進化の話です。

ここに『特許』という制度が絡み合い、時にはある発明を進展させるための資金として役立つこともあるけれど、多くの場合は特許は発明の進展を阻害するように働き、特許が切れた途端に更なる進歩が始まるとかの非常にダイナミックな話、また当初は炭鉱の水汲み用だったものが用途を広げて多種多様な工業に使われ産業革命に繋がっていく、というストーリーです。

中味があまり膨大になるのを避けるために、この本では蒸気機関といっても陸上据え付け型の物に限定しているので、蒸気機関車の話や船舶用の物は省かれています。

蒸気機関といっても必ずしも昔の話ではなく、今でも火力発電所の発電機に使われているのも蒸気機関だし、原子力発電所の発電機も沸騰水型の原発なら蒸気機関だという、言われてみればその通りで今でも第一線で活躍中なのですが、この本は日本語訳が出たのが1994年、原著は1938年の本ですから、原発の話までは入っていません。

著者はイギリス人であるため、この本の単位は重さにしろ長さにしろ体積にしろ金額にしろ全てイギリス流の単位でそれをそのまま日本語にしてあるだけなので、メートル法だとどれ位になるのかまるで分からないというのが困ったところです。
だからと言って全てメートル法に直す程の真面目さもないので、そのまま読みました。

また本の後半のタービンの所はこの本に書いてある図の説明では何とも理解不能なので、改めてきちんと調べないといけないな、と思っています。

いずれにしても理論的というよりむしろ実務的な話で、ストーリーを楽しむには良い本です。ある意味産業革命とは何だったのか、ということを工学的・技術的な方面から考えさせる良い本だと思います。

もし良かったら見てみて下さい。

『武漢コロナの終焉』

4月 21st, 2021

どうやら東京に3回目の緊急事態が発令されることになりそうです。
今それに向かって、感染者数が毎日のように増えています。
マスコミも関係者の数字を増やすために必死に頑張っているんでしょうね。

元々マスコミの発表する感染者数、その根拠は良く分かりません。感染者の検査を増やせば増やすだけ感染者数が増えるのはごく当たり前の話です。感染者がみつかった場合、その周辺のどのあたりまで検査をするかという規準は良く分かりませんが、今まで何度かその規準を変更しているようです。また自治体単位でその規準が統一されているかどうかも良く分かりません。

また最近では個人的に、あるいは企業で自発的にPCR検査をするサービスもかなり手頃に利用できるようになっているようです。この検査で陽性になった場合、その人は自動的に感染者数にカウントされるんでしょうか。あるいは改めてきちんと検査を受け直すんでしょうか。

こんな基本的な事も分からないまま単純に感染者数にだけ注目しても、あまり意味がないかも知れません。

感染者数だけではちょっと芸がないので、最近では『変異型』という言葉が良く使われるようになっていますが、これについても良く分かりません。

感染者だと分かった人について、その人の持っていたウィルスが特定の変異型ウィルスなのかどうかを調べているんでしょうか。それとも感染者かどうかの検査の最初から変異型かどうかの検査もしているんでしょうか。

テレビの報道によると、どうも感染者の一部について変異型の検査をして、その結果を感染者の何%が、たとえばイギリス型の変異種だと言っているようです。

感染者数が毎日のように発表されますが、変異型ウィルスの感染者数については何%という数字は出てきますが、何人という数字はテレビでは発表されていないようです。何人、という数字がはっきりわからないのか、あるいはその数字だと小さすぎてインパクトに欠ける、ということでしょうか。

で、この変異型ウィルスですが、外国の研究を基に感染力が強いとさかんに強調されていますが、日本でも本当に感染力が強いのかどうか分かりません。さらに感染力が本当に強いとしても、それが発症率にそのままつながるのか、重症化率にそのままつながるのかまるで分かりません。マスコミ報道では感染力が強ければそれだけ感染者数が増え、それに応じて患者数が増え、重症者数が増えるに違いないと思わせて、不安感をかき立てているようです。

というわけで、私はマスコミが大騒ぎしている新規感染者数というのはあまり気にしていないのですが、それはそれとして、ここに来て一般人に対するワクチン(あるいはワクチンのようなもの)の接種が始まっています。

このワクチンを打った人、仮に新規感染者の周辺にそのような人がいた場合、それは感染者の検査の対象になるんでしょうか。仮に検査をして感染者だということになった場合、それはワクチンを打ったにも関わらず感染したということになるのでしょうか、ワクチンを打ったために感染したということになるんでしょうか。どうやって区分けするんでしょうね。

もう少しワクチン接種者が増えたら、もはや新規感染者数という数字自体意味不明になってしまうかも知れませんね。

感染率が高く、そのためワクチンの接種率も高いいくつかの国ではもうマスクも外して普通の生活に戻りつつあるようです。

日本でも、次の緊急事態宣言が終わり、オリンピック・パラリンピックで大騒ぎをした後は、また新規感染者数で大騒ぎをして緊急事態宣言が繰り返されるということは最早なくなるかも知れませんね。