福沢諭吉『帳合之法』 その4

2月 15th, 2022

前回まででの福沢諭吉『帳合之法』の紹介は終わりですが、ここから私の個人的な感想を書こうと思います。

私がこの本を読んでみようと思ったのは、結構有名な本であるにも拘らず、その正体が良く分からないということからです。日本に西洋流の簿記を紹介した本だという説明はいくらでもあるのですが、その本で紹介されているのは簿記がどのようなものか、については殆ど紹介されていません。それどころか『この本は複式簿記でなく単式簿記を説明してるもので、単式簿記というのは小遣い帳のようもので、ちゃんとした簿記の本では全くない』などというような誤ったコメントもいくらでもあります。
そんなことを言われてしまうと、そのコメントが本当かどうか、確かめてみようという気になってしまいます。

また単式簿記というのも『複式簿記でない』というだけで、その具体的な姿がもうひとつ良くわからないので、この本を読めば何かわかるかなという気持で読んでみました。

結果は期待をはるかに超えるもので、本式の簿記会計の解説書でありながら、この本で言う所の単式簿記の説明書ともなっており、その単式簿記は複式簿記と比べてもひけを取らないちゃんとした簿記会計のシステムだということがわかりました。

またこの本をも読み始めてすぐに『日記帳』が登場するのですが、日記帳が現在の実務あるいは簿記の教科書で説明されているものとまるで違っていて、複式簿記が始まった頃の日記帳の名残を残しているというのも、この本を読むことができて良かったなと思う点です。

本来的な洋式簿記の体系では、日記帳―仕訳帳―元帳という体系で記帳をしていくのですが、現在の日本の簿記実務では日記帳から仕訳帳に転記するのを省力化して、日記帳と仕訳帳を一体化して『日記仕訳帳』とし、これを簡略化して日記帳と呼んでいるんですが、その実体は日記帳抜きにいきなり仕訳帳に記入し、日記帳の部分は『摘要』あるいは『備考』の欄にほんのおまけのように付いているだけという存在です。しかし本来的にはこの日記帳こそが簿記の最重要な帳簿で、その後の仕訳帳あるいは元帳の作成はある意味機械的な作業だ、ということが良く理解できました。

とは言え、複式簿記の草創期と違って、商売の売買をやる人と帳簿をつける人が分業で別々の人がやるようになってしまえば、こうなるのはやむを得ないことなのかも知れません。

日記帳が日記仕訳帳となり、ほとんど仕訳帳であっても日記帳の部分がほとんど消えてしまった現在、日記帳とは元々どのようなものだったのか、多少でも分からせてくれる貴重な本がこの本です。

『単式簿記』という言葉も非常に理解が難しい言葉です。複式簿記ができて、多分それができる前はもっと単純な単式簿記だったんだろうというような話もありますが、そのあたりは良くわかりません。

わかっているのは、複式簿記がほぼ完成されたような形で登場し、それが活字印刷の普及と相まって西洋各国に一気に流布し、その後あまりに厳格で手間のかかる複式簿記の手続きを何とかして簡略化できないかという様々な工夫が試みられ、そのいくつかは複式簿記に対する言葉として単式簿記と名付けられたという事もあり、『何が単式簿記なのか』というのも私にとっては大きな問題でした。

こうなった一つの理由は、私が簿記・会計を学んだのは社会人になって生命保険会社に入って実務的に色々な伝票を見たり決算書を見たりするようになっての事で、その会社の会計システムはいわゆる銀行簿記・現金式仕訳(これはいわゆる現金主義会計とは全く別の話です)というもので、仕訳帳の代りに入金伝票・出金伝票とごく例外的に振替伝票を使い、その伝票も現金口座を媒介させる形で作られているものだっということです。それだけを教わった分にはそんなものかと思っただけですが、一般の商業簿記をちょっと勉強したら貸方・借方の書き方も逆だし、これはいったい何なんだろうと思いました。入金伝票と出金伝票で基本的な仕訳を済ます(振替伝票は入金伝票と出金伝票がセットになったものだと位置づける)ということで、これが世に言う単式簿記なんだろうかと考えたりもしました。(もちろん単式簿記ではなくれっきとした複式簿記だということは今ではもうわかっています)

またアクチュアリーになって生命保険会社の決算を勉強するようになって、アクチュアリーの本場のイギリスの生命保険会社の実務を勉強する中で、第二次大戦の少し後まではイギリスの生命保険会社のBalance Sheetは貸方・借方の左右が逆になっていて(現金その他資産が借方なのはそのままですが、それがBalance Sheetの右側に書いてある、貸方は左側)、丁寧なことに(ヨーロッパ)大陸ではBalance Sheetの左右が逆だなんて説明も付いていて、Balance Sheetの左右というのはいったい何なんだろう、などと考えた事も簿記の勉強をしてみようと思った一因です。(多分今ではイギリスの生命保険会社でも資産・負債の左右は大陸と同じになっていると思います。)

とは言え簿記の試験や税理士・会計士の試験を受けるのは計算が大変そうなのでやめておきました(世間的にアクチュアリーは計算が得意だという誤解があるようですが、中には計算が得意でないアクチュアリーも大勢います)。

普通、簿記会計の実務では、仕訳―元帳―試算表―決算書類(P/L・B/S)という流れで決算をするのですが、私のやっていた生命保険会社の決算では様々の決算整理が終わった所で、最終の責任準備金・支払備金・配当準備金等の計算をし、その振替伝票を作成し、それを入力して決算書類(P/L・B/S)を作るということになります。私が作業をしていた日本橋の本社で振替伝票を作成し、それを経理部に持って行って確認してもらって四谷の事務センターに(社有車の)社内便で送り、それをコンピュータ入力してP/L・B/Sを印刷し、それをまた社内便で日本橋の本社に送り返してもらい、経理部が確認してから数理部に持ってきてもらう、というのはとてつもなく時間がかかります。(勿論当時コンピュータといえば大型コンピュータのことで、パソコンもなければExcelのような表計算のソフトもありません。)

そのため最終の振替伝票を入れる前のP/L・B/Sから振替伝票を入れたら、入れた後のP/L・B/Sがどうなるかを手計算で作成し(計算の合計等の検算はもちろん算盤です)、コンピュータ出力のP/L・B/Sが届いたらそれを手計算で作成したものと照合して確認するというのが決算作業のルーチンになっていました。すなわち振替伝票から元帳記入・試算表をすっ飛ばしていきなりP/L・B/Sに修正を加えるというやり方です。

もちろん正確な記録をし、様々な検証作業も行うためには正規の手続きを踏む必要がありますが、手っ取り早く最後のP/L・B/Sの数字を確認するためには仕訳⇒P/L・B/Sの直接修正方法の方が手っ取り早いという事です。

私の簿記・会計の理解はこの経験に基づいているので、様々なルールに基づく簿記実務とはちょっと違っていますが、このような経験ができて本当にラッキーだったなと思っています。

以来私にとっては会計取引は、全てその取引の仕訳をして、その結果P/L・B/Sがどのように変化するかという見方から理解するようになっています。

実はケインズの一般理論を理解するにもこの見方が役立ちました。即ち、社会全体の経済活動全体に対し、企業の投資(設備投資)・生産・販売と消費者の労働・消費活動の全てを複式簿記の方式で仕訳し、一つ一つの経済活動において所得=貯蓄+消費=消費+投資が成り立つことを確認し、その合計である社会全体の経済活動でも同じ式が成り立つことを確認したという事です。一つ一つの取引で等式が成り立っていればその合計でも同じ等式が成り立つ、というのは複式簿記の基本的な考え方です。

日本の経済学者や経済学を勉強している学生さん達は簿記・会計の勉強を殆どしていないようなので、このようなアプローチは理解できないかも知れません。

この福沢諭吉の『帳合之法』は簿記のルールを暗記させるのでなく、様々なやり方の中から自分に合ったやり方を考えさせようとするもので、その意味で非常に面白く読むことができました。また福沢諭吉のこれでもか、というくらいの教育者としての親切心も理解することができました。

簿記を知っている人も、それを一旦忘れたつもりでこの本を読んでみると面白いと思います。
簿記を知らない人にはちょっととっつきにくいかも知れませんが、この本で簿記の勉強をするつもりで読むと、また新しい世界が広がっていくのではないかと思います。

福沢諭吉『帳合之法』 その3

2月 11th, 2022

この『帳合之法』もいよいよ本式・複式簿記になります。
その前に第三巻の頭に訳語の対照表が付いています。
すなわちこの『帳合之法』で使っている訳語は原文のどの単語なのかを示し、以後の参考としています。
原文の単語は片仮名書きになっているのでその元となる英文表記も分かるし、それをどのように片仮名にしたかということも分かる、面白い表です。
たとえば

帳合 ブックキイピング book keeping
帳面 ブック book
略式 シングル・エンタリ single entry 或は単記と訳すもよし
本式 ドッブル・エンタリ double entry 或は複記と訳すもよし
デビト debit
ケレヂト credit
取引 トランスアクション transaction
勘定 エッカヲント account
日記帳 デイブック day book
大帳 レヂヤル ledger
金銀出入帳 ケシブック cash book
手形帳 ビルブック bill book
仕入帳 インウェントリ Inventory
商売品 メルチャンダイズ merchandise
平均または残金 バランス balance
平均改 トライヤル・バランス trial balance
元手又は手当 レソウルス resource
払口又は引負 ライエビリチ liability
利益 ゲエン gain
平均表 バランスシイト balance sheet
平等付合 エクヰリブリュム equilibrium

といった具合です。

さて簿記の目的として、略式では売掛金・買掛金の管理を主たる目的としたものが、本式では『精密なる算法を以て、利益と損失との由て来る(よってきたる)所の道筋をあらわすもの』だとしています。

そのため略式では元帳・金銀出入帳・手形帳その他を合わせて総勘定を作っていたのに対し、本式では資産も負債も利益も損失も全て大帳に記録し、その大帳のみで決算ができるようにしている、ということです。

こういうわけですから、大帳に記載する勘定も、略式の商売相手の人名勘定だけでなく、支払手形・受取手形、現金、商品、経費等も入ってきます。大帳はようやくこれで総勘定元帳になるわけです。

で、この本式第一式で正式に帳簿とするのは日記帳・清書帳・大帳の三つです。日記帳も略式の場合の売掛金・買掛金の管理のための日記帳ではなく、商取引全般にわたる日記帳になるわけで、今まで日記帳に記載されなかった現金での商品の売買や手形での売り買い、経費支出等も全て記載されることになります。

次の清書帳ですが、これは現在『仕訳帳』と言っているもので、日記帳の記載を一つ一つその取引毎に仕訳し、大帳(総勘定元帳)に転記するためのものです。大帳に転記するためだけのものですから、日記帳に詳細を記録してあるのであれば、清書帳にはそのうち大帳に転記するのに必要な事項だけ記載すれば良い、ということになります。

そこで本式第一式では商品はソバ粉・小麦・大麦それぞれ別々の勘定(科目)を立て、受取手形(請取口手形)、支払手形(払口手形)、現金(正金)、経費(雑費)の勘定(科目)も追加しています。

これで日記帳に記載されている全ての取引を清書帳(仕訳帳)に転記し、それを大帳(総勘定元帳)に転記すれば、取引の記録は完了です。
あとはこの大帳を使って決算することになるわけですが、まずは試算表を作ります。大帳の各勘定毎の借方・貸方の合計を表にした『平均之改(大帳の面を示す)』という合計試算表と『平均之改(貸借の差を示す)』という残高試算表の両方を作り、どちらも貸方・借方の合計が一致することを確認します。次いで残高試算表から決算書の『元手と払口』(貸借対照表にあたる)と『利益と損亡』(損益計算書にあたる)を作ります。
ただしこの第一式では商品の期末の在庫は0(ゼロ)としているので、各商品の勘定の貸借差額がそのままその商品の販売益になる、という単純なケースを扱っています。

次の第二式では期首にも期末にも商品があるケースを取扱っています。とはいえ期首の商品は期の始めに全て売りつくして、その後仕入れた商品の一部が期末に売れ残っているという形ですが。商品の勘定も第一式では小麦・大麦・麦粉それぞれに勘定口を立てていたのを、第二式では『品物』という勘定口一つで済ませています。

日記帳に商品名を細かく書いておけば清書帳・大帳には『品物』だけでも十分わかるし、必要ならば日記帳に戻れば詳細がわかるからということです。

この第二式になって登場するのが『諸口』という言葉です。
複式簿記で仕訳をする時相手勘定が複数ある時に使う言葉で、英語のsundryの訳ですが、この時からすでに諸口という言葉が使われていて、現在もそのまま使われているということにビックリです。

また決算の際第一式では試算表から貸借対照表・損益計算書を作っていましたが、この第二式では『決算振替手続き』という勘定の締切りの手続きを示しています。すなわち大帳のそれぞれの勘定毎に貸借の差額を計算し、また大帳に損益勘定口・平均(残高)勘定口を追加して、資産・負債の勘定(この本では『事実の勘定』と言っています)は残高を平均(残高)勘定口に振替え、また収益・費用の勘定(この本では『名目の勘定』と言っています)の貸借差額を損益勘定口に振替え、その上で損益勘定口の貸借差額を当期利益として平均(残高)勘定口に振替え、これによって損益勘定口が損益計算書になり、平均(残高)勘定口が貸借対照表になる、という決算手続きです。

簿記の一般の説明書ではこの決算の方式として、大陸式と英米式の二つがあり、上記の、収益も費用の資産も負債も全て振替え仕訳するのを『大陸式』、収益・費用は振替仕訳するけれど、資産・負債は振替仕訳をしないで単に貸借差額を計算してそれを翌期に持ち込むのを『英米式』といい、私が調べたネットの解説によるとイギリスやアメリカでは英米式のみを用いて大陸式を使うことはない、などと書いてあります。この『帳合之法』の原文がアメリカの商業学校の簿記の教科書で、ここでは明確に大陸式の決算を行っているのをどう説明するんでしょうね。あるいはこのテキストが作られてから150年でアメリカの簿記の実務が変わったということでしょうか。

あとこの決算の振替手続ですが、『他の仕訳と区別するために朱書きにする』と書いてあり、他の部分は黒のみの一色刷りの本が、この巻4、本式第二式の部分だけ、赤と黒の2色刷りになっています。この手書きのルールは現在の簿記のもそのまま継承されているようです。(とはいえコンピュータシステムが進んで、今は手書きの簿記というものは殆ど存在しないでしょうから、それぞれの会計システムでどのような取扱になっているかは良く分かりません。)

で、この決算の振替手続きが済んで損益勘定の元帳から損益計算書ができ、その損益勘定の貸借差額を利益として平均(残高)勘定に振替え、その平均(残高)勘定の貸借がバランスしていることを確認して、めでたしめでたしということになります。

大帳(元帳)の各勘定口は貸借差額を損益勘定あるいは平均(残高)勘定に(朱書きで)振替え、貸借がバランスした所で区切りの締め切りの朱書きの線を引いて締切った事を表すという、古式ゆかしい手続きが説明されています。

この本ではさらに詳しく具体的な手続きについて解説しています。

ここまで書けば商業簿記の殆どがきちんと整理されて説明されていることがわかります。

この本ではいくつもの練習問題や理解を確認するための質問も付いているので、これを一つ一つこなすことで、西洋流簿記が確実に身につくようになっています。

福沢諭吉はこの出版に合わせて、この本を教科書にして講習会を東京日本橋の丸善(丸屋社中)で行っているようです。講習会は帳合の稽古と算術の稽古の両方を行うことにしているのですが、面白いことに稽古料は円建てでなく両建てで、
入社金 1両、
月謝金 2両2分(帳合と算術と両方を受講する場合) 2両(帳合のみを受講する場合)
となっています(1両=1円だと思いますので、2両2分は2円50銭ということになります)。

このあたり複式簿記の端緒とされるルカ・パチョーリの『スムマ』という教科書も本来数学の教科書であったことと併せ、簿記を実行するにはある程度以上の計算能力が必要だったこと、日本式簿記を実行していた江戸時代の大型の商店では丁稚・手代を含めて帳簿の検算を兼ねて毎晩ソロバンの練習をしていたこと等、興味深いことです。

これで、『帳合之法』全4巻終了ですが、これからもう何回かこれに関連したコメントをブログに載せる予定です。宜しくお願いします。

改めて『帳合之法』、面白い本です。お勧めします。

福沢諭吉『帳合之法』 その2

2月 8th, 2022

さて、ここから「帳合之法」を具体的に読んでいきます。
まず帳簿の作り方から。日本流の帳簿はいわゆる『大福帳』という、ぶ厚い無地の帳面を横にして、縦書きで筆で取引内容を書いていくのに対し、この西洋流の簿記では大きな紙に縦8行~10行くらい、横に4~50段(4~50字)くらいの罫を赤か藍(青)で薄く印刷したものを用意し、これにこの本の例に従って必要な罫線を墨で引いて、これを使います。(福沢諭吉はここまで説明しています。)

金額の記入の際はまず位取りの円の位置を決め、その上に一〇〇とタテに書けば百円の事、一〇〇〇と書けば千円の事と、位取り記法の説明から始めます。

日本流の帳簿には入金と出金を同じ高さに右から左に順に記入していくけれど、西洋流の帳簿では入金と出金の高さを変えて、貸借がわかり易くなっているという所から始まります。

簿記の目的は『商売の貸し借りを忘れないように記録を取っておく』という事で、貸し借りの証文が記録に残る金銭の貸借、手形の受払等はそれ自体が残っているので必ずしも記録に残す必要はない。現金での売買もその時点で決済が済んでいるんで必ずしも記録の必要はない。記録しておかなくて忘れてしまうと困るのは、掛の売り買いとその決済の記録だ、という事で、まずは取引相手毎に勘定書を作り、そこに掛での売買を貸借別に記入します。

商売があまり忙しくなければこのままでも良いけれど、忙しくなると売買の都度相手方の勘定書を出して記録する代りに、相手によらず全て順番に売買の記録をして、それを後で相手方別にそれぞれの勘定書に書き写すという工夫をします。この全ての取引を順に記録するのに使うのが日記帳、それを書き写す勘定書を集めたものを『大帳』(元帳)といいます。

ただしここでは帳簿の記録の目的が掛の売り買いとその支払い・受取りですから、日記帳に記録するのもその取引のみで、大帳に記録するのも相手方の人名勘定のみです。日記帳に取引の内容を詳しく書いておけば、大帳の方にはその分詳細を省略して記録することができます。

日記帳と大帳(元帳)のみで帳簿組織は完成ですが、これ以外に商売には手形の受け払いを管理するための『手形帳』、現金の出入りを記録する『金銀出入帳』、商品の仕入れ・売却を管理する『仕入れ帳』なども使われることもありますが、それは必ずしも必要ということではありません。

福沢諭吉はここで手形とはどのようなものか、という説明までしています。親切なことです。

この日記帳と大帳のみによる第一式(一例目)の簿記の次には、日記帳・大帳・金銀出入帳の三つによる第二式の簿記の説明です。
この第二式では日記帳と大帳の他に金銀出入帳も帳簿体系の一部として採用されます。

第一式では、現金の有り高はお金を直接数えれば良いだけなので特に帳簿を設けなくても良い、と考えていたのが、金銀出入帳によって現金の出入りについてもきちんと記録を取ることによって、どのような取引によって現金が出入りしているかが分かる、あるいは現金を数えることなし帳簿上の計算だけで有り高が分かるという事になります。あるいは帳簿上の残高と実際の有り高を数えたものを照合することで、現金の紛失や記帳の間違い・漏れ等がないかどうか検証することもできます。

それにしてもこの本が明治6年に作られているのですが、この時までに日本の貨幣の単位が円、銭に統一されていたのはこの本を作るのにちょうど良いタイミングだったな、と思います。もうちょっと前であったら現金の単位も両(金貨ベースで)・匁(銀貨ベースで)・文(銭貨ベースで)と3通りあって(場合によってはコメも通貨の一つになります)、その相互の換算レートも日々変動する為替レートによっていましたから、帳簿の記録もとてつもなく手間のかかる作業だったはずです。金銭の計算が必ずしも十進法でなく、また多通貨変動相場制ですから大変です。

この金銀出入帳を定期的に締め切るのに一七日というものを説明しています。一七日というのは一週間(この本では1ヰイクと言ってます)ということで、週単位で締切るのと月単位で締切るのと両方のやり方を例示しています。

この金銀出入帳には第一式で姿を表さなかった諸経費の支払や家計用の支出分も、現金売買の収支と同様に登場します。大帳の方の勘定は掛け売買の相手の人名勘定だけですが、新しく『総勘定』という期末の残高の一覧表が登場します。売掛金・買掛金は大帳の人名勘定の残高から持ってきて、手形は手形帳から、現金の残高は金銀出入帳から、商品の残高は仕入れ帳から棚卸しして記入しています。

これで資産・負債を計算して、その差額として期末時点の純資産(『現在の身代』と言っています)を計算し、期首の元金(純資産)を差引いて当期の利益が計算できます。

その意味で総勘定というのは財産目録、あるいは貸借対照表の役割を果たす表です。

このようにして日記帳・大帳・金銀出入帳の三つだけで期末の資産・負債・純資産を計算し、当期利益の計算までできるというのがこの第二式の眼目です。

第一式でも金銀出入帳の代りに現金の有り高を数えれば同様に決算できるのですが、第一式では売掛金・買掛金の記録に注目しているので、決算については触れていません。

次は略式第三式、すなわち単式簿記の3例目です。ここでは金銀出入帳の他に『売帳』が登場します。これは商品の売上げを記録するものです。これを基本的な帳簿にするのでなく、売上げも一旦売帳に記載してからその支払い方法に従って、手形受取の場合は手形帳に、現金売上の場合は金銀出入帳に、掛による売上の場合は日記帳にそれぞれ転記するというやり方を説明しています。ここでもまた日記帳・大帳の記録は掛による売買のみが記録されます。

また一例目・二例目が個人商店の場合であったのに、この第三式では共同出資の社中(合資会社あるいはパートナーシップ)の例を示し、決算が赤字の場合にその赤字を出資者にどのように振り分けるかとか、期の途中で現金を出資者の私用に使った場合の取扱いとかが例示されています。大帳にはまだ掛による売買しか記録されないので人名勘定のみが記録され、それ以外の勘定は登場しません。

次の略式第四式(単式簿記4例目)はさらに面白い例となっています。
これまでの例では期首は現金のみから始まって(現金出資のみから始まって)、期中に商品を仕入れ、売上げを上げて利益を出すという形だったのが、いよいよ期首に様々な資産を持っている例を出します。
そのため(個人商店の)福沢商店がそのまま全財産を現物出資し、丸屋商店が現金を出資して福丸商社を作り、これに期中に島屋が現金を出資して『福丸及び社中』という会社を作るという形にしています。

この第四式では売帳を日記帳に転記するのでなく、直接大帳に転記したり、手形帳・金銀出入帳に転記する方式となっています。第三式ではこの売帳は『小帳』といって正式な帳簿体系の中に入っていなかったのを、第四式ではこれを『原帳』として正式な帳簿体系の部分としているということです。これによって掛けによる売り上げは日記帳に転記したうえで大帳に転記する手間が省略できる、ということです。

福沢諭吉はこのようにして帳簿体系を、どのように定めてそれによって帳簿記録をどのように整理し、最終的に利益をどのように計算し出資者間でどのように分配するか、例示しています。

また金銀出入帳の補助簿として『手間帳』『雑用帳』をもうけ、この手間帳によって従業員の出勤管理および給与計算の例を示しています。

以上で略式の第一式から第四式までの説明が終わりますが、大帳は一貫して売掛金・買掛金の計算のための人名勘定のみを記載し、決算の総勘定の作成ではこの大帳と金銀出入帳(現金残高)・手形帳(受取手形、振出手形の残高)・仕入帳(商品の残高)とを使って資産・負債を計算し、期末純資産を計算し、当期利益を計算し、出資者各人に対する利益配分を計算しています。

これで略式(単式簿記)が終わり、次はいよいよ本式(複式簿記)の二例の説明が始まります。

使用する帳簿が増え、大帳の使い方が大幅に変更されます。
お楽しみに。

コメントスパム

2月 2nd, 2022

このブログがパンクして、それを修復したついでにアクセスカウンターを削除しました。
それだけじゃあ面白くないのでその代わり、ブログの記事に対するコメントの形で投稿されるスパムの数を表示することにしました。
右側のサイドバーの一番上に、二つ表示していますが、上の方はこれまでAkismetというプラグインがスパムとして排除した累計の数です。
その段階でこのスパムコメントは『スパム』という印が付くだけなので、これを適宜削除する必要があります。
二番目に表示しているのは、この、削除前の、『スパム』という印が付いたまままだ削除していないスパムの数を示しています。
両方の数が刻々増えていきますが、削除作業をすると下の方の表示が(0)になります。
下の方は、私が削除作業をさぼっている指標です。

福沢諭吉『帳合之法』 その1

1月 28th, 2022

先に報告したように、ブログのサーバーがパンクし、お正月休みにちょっと時間が取れそうなので、取りためてあった資料の中からこの本のコピーを取り出して読んでみました。予想以上に素晴らしい本で感激しました。

元々アメリカの商業学校(原文では商売学校となっています)の簿記の教科書を福沢諭吉が翻訳した、ということになっているので、福沢諭吉は単なる訳者ということになるのですが、現実には翻訳というより翻案と言った方が良いような本です。

なにしろ西洋流の簿記など初めての人に西洋流の簿記を説明するのですから、福沢諭吉はかなりの工夫を凝らしています。
日本語の本をいきなり横書きにすることはできなかったようで、横書きの英語の原文を縦書きの日本語に翻訳しています。数字が大量に出て来る帳簿の例でも、横書き、アラビア数字の原文を縦書き、漢数字の帳簿に変えています。
簿記の本ですから大量に金額が出てきます。これを日本流の漢字の書き方で、たとえば二拾八万四百三円六銭と書く代わりに、二八◯、四◯三、◯六というように縦書きに書く事にしています。日本語の縦書きはそのままにして、数字の位取り記法を導入し、一から九までの漢数字に◯を追加して◯から九までの漢数字で位取り記法ができるようにして、原著の横書きの教科書を縦書きにして簿記の説明をしています。
この位取り記法、和算の世界では17世紀位からあったようですがまだ一般にはなっていなかったもののようです。とはいえ、実は算盤(ソロバン)というのは、紙に書くのではなく算盤に置くという形ですが、実質的に位取り表記ですから算盤を使い慣れている人にはあまり抵抗がなかったかも知れません。

まだ個人商店が主流の時代ですから、商売相手の名前も英語の原文では外人の名前ばかり出てきます。これをこのままカタカナの名前にしたんでは読んでいられないだろうということで、この商売人の名前をみんな日本の屋号に変えてしまいます。廃藩置県前律令制以来の国郡里制の国の名前に屋号を付けた、三河屋とか駿河屋とか伊勢屋、越後屋とかいった具合です。
商品の名前も欧米の商品を持ってきても良くわからないので、全て日本の商品に置き替え、ついでに度量衡の単位も日本の単位に置き替え

男物くつ足袋 6足 単価25銭で 1円50銭 とか
太織ふとん地 2丈 単価12銭で 2円40銭 とか
お茶 10斤 単価12銭で 1円20銭 とか
白砂糖 3箱分50斤入り 単価6銭で 90円 とか

という具合です。

で、この単式簿記と複式簿記の両方を説明しているのですが、前半の単式簿記(Single Entry)の方を『略式』と訳し、後半の複式簿記(Double Entry)の方を『本式』と訳しています。

『この本は単式簿記だからちゃんとした簿記の本ではない』なんてコメントも時々みかけますが、実際の所単式簿記も複式簿記もちゃんと説明してあります。

で、英語の原文では単式簿記を4例、複式簿記も4例説明しているようですが、この訳の方では単式簿記の4例を略式第一式から略式第四式という形で紹介しています。また複式簿記の例、最初の2例を本式第一式、本式第二式という形で紹介し、3例目4例目は省略しています。
原文のテキストの本式第三式・本式第四式の2つについて福沢諭吉は、第二式までで説明は十分で、それ以上ページ数を増やして読者の負担(本を買う負担・読む負担)をかけてもしょうがないということで、この部分を省略しています。その意味でもこの本は真っ当な翻訳ではありません。もちろんそれでこの本の価値が棄損されるわけでありませんが。

単式簿記というのは実は『複式簿記でない』ということで、その中味についてはいろいろなケースがありますが、この本では、商人間の取引のうち掛(買掛あるいは売掛)の取引について、売掛金を取りっぱぐれないように、また買掛金の支払を忘れないように記録を取っていくことを主たる目的とする帳簿簿記のシステムのこととして説明しています。

この本の6つの例を読むと、単式簿記であれ複式簿記であれ、具体的な目的があって、その目的のための帳簿の体系があって、それぞれの帳簿の使い方、記録方法が決まっていて、それぞれの例では使う帳簿が異なったり同じ帳簿でも使い方が違ったり、その意味合いが違うということがわかります。

この本では簿記の目的が次第に広くまた高度化するにつれ、帳簿組織と簿記の内容が変わっていくことをわかりやすく例示しています。その結果、(やり方を一方的に)教えられる簿記会計から、自分で考え創意工夫できる簿記会計の教科書になっています。

なおこの本では基本的に個人商店を想定しているわけですが、資本を出し合って経営する合資会社の場合で、利益を出資者にどのように分配するかとか、期の途中で出資者が増えた時の取扱なども例示しています。
面白いことに、福沢屋と丸屋が共同で出資して『福丸商社』を作り、そこに途中から島屋が資本参加して『福丸及び社中』という名前の商店になる、なんて、英語の○○ and Companyという名称までそのまま日本語にしています。こんな会社が本当にあると面白いですね(ちなみに丸屋というのは本屋の丸善のことで、この部分ではほかにも慶應義塾関係のいろんな人の名前が商売相手の名前として出てきます)。

略式・本式というのは原文のSingle Entry(単式簿記)とDouble Entry(複式簿記)を仮に略式・本式と訳したものですが、だからと言って何か省略している、ということではなく、略式であっても本格的な簿記会計の体系であって、これで本格的な決算もできると書いています。福沢諭吉自身、この代わりに単記・複記という直訳も考えていて、迷っているようです。
簿記は、単式簿記が進化して複式簿記になったかのように思われているところもありますが、実際、簿記の歴史の本などを読むと、まず複式簿記の体系が出来上がり、それがヨーロッパを中心にかなり広範囲に普及したところで、それがあまりに厳密で手間がかかるために、それを何とか省力化して簡単にすることができないものか、という工夫が様々に提案され、時にはその名前をsimple entryとすべきところをsingle entryと呼んだ、ということもあるようです。だとすると、single entryというのはsimple entryのことで、それを略式、と訳したのは何かを省略した、ということではなく、簡略化した、ということであれば、本式・略式という訳はもしかするとかえって適切な訳なのかもしれません。

借方・貸方についても、とりあえず原文のDebit、Creditをこのように訳していますが、これについても福沢諭吉も迷った上でこのようにしています。

たとえば日本流の言い方では、自分がA社に商品を掛けで売った場合、A社勘定に売掛金を計上するのですが、これはA社にその代金分貸し付けたことになる。B社から商品を掛けで買った場合、買掛金が計上されますが、これはB社にその代金分借りていることなる。このA社に対する貸しを借方に記載し、B社に対する借りを貸方に記載するのは変じゃないか、と普通に考える所、福沢諭吉は、日本流の自分を主語にする考え方ではなく、西洋では相手方を主語とし、A社に貸しているのは『A社は当社に借りている』ということで借方に記載し、B社に借りているのは『B社が当社に貸している』から貸方に記載することだ、と説明しています。
この借方貸方の整理は非常に納得しやすいものです。

日本の中だけでこの簿記を使うのであれば、貸方借方の表記を(日本流の)自分を主語にして逆にしても良いし、貸し借りの言葉が分かりにくいから、例えば『入』と『出』という形で表現するという考え方もありますが、将来的に欧米との取引が進んでいくとその表現が逆になっていたり別の言葉が使われていたりするのはかえって混乱を招く事になると考えて、あえて原文をそのままに借方・貸方の言葉を使うことにする、と福沢諭吉は訳者注に書いています。
このあたり、明治に西洋から新しいものや考え方を取り入れるとき、どんな言葉を使ったらいいか、という先人の苦労がしのばれます。

ということで、次回以降、もう少し詳しくこの本の中身を紹介してみようと思います。

ブログ再開

1月 18th, 2022

ここしばらくブログの更新、あるいは新規投稿ができませんでした。

気が付いたのは昨年の年末で、久しぶりに新しい投稿をしようとしたら、できませんでした。
で、最後の投稿の日付を見たら、去年の10月26日に投稿していますので、約2ヵ月の間に何かがあったに違いありません。

私のブログはWordPressというシステムで動かしているので、ネットで『WordPressで新規投稿が出来ない』として検索してみると、これこれこうやったら直ったとか、そうやっても直らなかったとか色々な記事があって、良く分かりません。WordPressをいじくるとなると、まずはインターネットサービスのサーバーに入れるようにしなくてはならないし、WordPressに手を入れるとなるとそのプログラムをダウンロードできるようにしなければならないし、WordPressで使っているデータベースをいじらなければならないということで、その都度それぞれパスワードが必要になります。

まずはそのパスワードを探す所から始める必要があります。勿論そのパスワードは自分で設定しているものですが、一旦パスワードを設定して一連の作業が無事に終わってしまうともうそのパスワードを使うこともなく、当然忘却のかなたに行ってしまいます。もちろんどこかに記録はとってありますが、それがどこか・・なんてことを覚えているはずもなく、一昨年暮から昨年の年始めにかけての引っ越しで、オフィスに山積みになっているダンボールの中で、どの書類がどのダンボールに眠っているのかも分かりません。

で、作業は年明け落ち着いてからやろうと思って一旦棚上げし、先週の終わり頃からパスワードの探索作業から開始しました。

投稿ができないとなったら、まずはシステムのログを取って何が問題なのか見るのが常道なんですが、ログを見るにはどうやったら良いかというのも調べなければなりません。勿論昔やったことがあるのは覚えていますが、やり方自体は全く覚えていません。

で、ようやく必要なパスワードを全て見つけ出し(あるいはパスワードを再発行し)、ログファイルも見ることができるようになったのでそれを見てみたのですが、何とも分かりません。エラーログで出て来るのは『Updateできません』というメッセージばかりです。

ここまで来ると万策尽きて、私のサイトを管理しているインターネットサービスの会社にメールを送り『WordPressの新規投稿が出来ない』というタスケテクレメールを送りました。先方でもいろいろ調べたりするのに時間がかかるかも知れないので、また1日2日くらいは待つことになるのかなと思ったら、予想より早く3時間ちょっとで返信がありました。その結果は何と『データベースが容量オーバーでパンクしているから、中のファイルを整理して空きを作れ』という事でした。

で、データベースの中味を見ると、何とブログへのアクセスのカウンターのためのデータが膨大に膨れ上がっていました。この際そのカウンターのためのデータを削除しました。それで帰宅してテストでコメントを入力してみたらちゃんと投稿できます。ヤレヤレと一安心して、待てよ、前にも同じようなことがあったなと思ってブログを「パンク」のキーワードで検索してみたら、2014年11月に同じようにデータベースがパンクして同じようにカウンターをゼロクリヤして直した、という記事がありました。ここに来るまでそんな事は全く覚えていなかったという事です。

実はこのブログにはわけのわからない、主に日本語以外のコメントの投稿(これをスパムコメントといいます)が山ほど入ってきます。仕方がないのでそれらの投稿は時々削除していたのですが(と言っても毎回数千件削除するので一度では削除しきれず、何回かに分けて削除します)、カウンターのクリヤの方は全く忘れていました。

ということでWordPressのプログラムには手を入れる必要はなく、データベースの不要なデータを消すということで、何とか問題解決となったようです。

本当にヤレヤレです。

これで年末に投稿しようとしていた記事や年末年始の読書感想文とこの記事と、色々投稿することができます。

わかってしまえば何ということもないみっともない話ですが、とりあえず解決できてチョットほっとしています。

で、これで問題解決かと思ったのですが、実際にカウンターのテーブルを削除し、ついでにカウンターを動かすためのプラグインを削除した所、サイドバーという、本文の記事の右に出ている、カウンター・更新通知の申込・ブログ内検索・カレンダー・カテゴリー・最近の投稿等々、一番下に管理画面へのリンク等が入っている部分がほとんど全部消えてしまいました。投稿の本体は読めるのですが、背景の色が途中から変わってしまったり、かなりみっともないものになってしまいました。

こうなったのはカウンターのプラグインを削除したからだから、これを元に戻せば良いかと思ったのですが、このプラグイン自体セキュイリティの関係か何かでもうインストールできなくなっていました。仕方ないのでこのサイドバーを表示するためのプログラムを眺めていたら、アクセスカウンターを表示する部分で、カウンターのプラグインで設定している変数が使われているんだけれど、プラグインを削除してしまったのでその変数が設定されず、それを表示しようとしてエラーが発生し、その部分から下の表示が全部消えてしまった事がわかりました。で、このサイドバーからカウンターの表示の部分を削除し、そのままではちょっと寂しいので代わりに今まで処理したスパムコメントの数を表示するようにしたら、何とか以前と同じような体裁になりました。

インターネットの関係のプログラムでは、何かエラーが発生した時、普通のプログラムと違って、だまってやめて知らん顔をしているので、それを直すのはなかなか厄介です。

とまれ、本当にヤレヤレです。

『本屋風情』 原 茂雄

1月 14th, 2022

渋沢栄一の大河ドラマもいよいよ終わりましたが、最終回の2回前、12月12日の分を見ながら、その後継者渋沢敬三のことを考えていました。

この人は、戦前から終戦前後に日銀総裁をやったり大蔵大臣をやったりした人ですが、私が知っているのは日本中を歩き回った民俗学者の宮本常一のスポンサーとしての渋沢敬三です。この人は渋沢栄一の後継者だったけれど、血縁はどうなっていたのかなと思ってWikipediaに教えてもらったのは、最終回の前の12月19日の大河でやっていたように、栄一の嫡男篤二の嫡男として生まれ、父親の篤二が栄一に廃嫡されて孫の敬三が後継者となった、というような事が分かりました。

Wikipediaではついでにこの人の動物学や民俗学関係の色々な交流について、参考書としてこの本が紹介されていました。

早速図書館で借りて読んだのですが、全30話のうち28話が『渋沢敬三さんの持ち前とそのある姿』というタイトルになっていました。もちろんそれ以外にもこの本全体に何度も登場します。

第一話が『まえがき』になっていて、ここに『本屋風情』のタイトルの由来が書いてあります。

これまたこの本に何度となく登場する柳田國男が(この人はエリートであった事は事実だけれど、エリートであることを強く自覚し、また他人にも自分をエリート扱いすることを当然のように要求し、それが叶わないとひと悶着起こすというような人のようです)、また何かの件でひと悶着起こしたときに、渋沢敬三が仲直りの席を用意し、ひと悶着の当事者の一人でもある著者の原茂雄さんにも同席するように命じ、その席は無事終了したと思ったら、後で柳田國男が「本屋風情と同席させられた」と文句を言っていたということで、この『本屋風情』という言葉をこの原茂雄が気に入って、この本を作る時に書名にしたということでした。

著者の原茂雄さんというのは、陸軍幼年学校から陸軍士官学校を出て軍人になった人ですから、この人も十分エリートで、陸軍での出世も少なくとも少将くらいまでは約束されていたはずなのに、軍をやめて本屋さんになった人ですから、そう簡単に柳田國男風情にバカにされる人ではありません。

で、この第一話『まえがき』のあと第2話から第9話までは南方熊楠との交流を書いています。出版者として南方熊楠に出版を提案する所から、熊楠の信頼を得て熊楠の著作の管理を全面的に任され、最終的に南方熊楠全集を(平凡社から)出版するに至るまでを書いています。

その後は出版人として本や雑誌を出すことに関連して、主として考古学・民俗学・民族学関連の多くの人との交流が書かれています。話の殆どは大正の半ばから終戦前後までの話なので、私にとっては名前だけは知っているけれど・・とういう人々が具体的な姿で登場してきます。

たとえば貝塚茂樹・湯川秀樹、小川環樹の小川三兄弟の父親である小川琢治という人も、今までは三兄弟の父という形で目にするだけだったのが、地理学の権威として、登場して活き活きとして動きまわっています。学者仲間の濱田耕作と、互いに子供自慢をしあったりもしています。

『ユーカラの研究』の出版に関連して金田一京介と関わったり、広辞苑とその前身の辞苑の出版に関連して新村出と関わりあったり、ファーブル昆虫記の出版に関連してきだみのること山田吉彦が登場したり、いろいろ面白い話が満載です。

第26話で物理学者の中谷宇吉郎の弟の考古学者の中谷治宇ニ郎の話、第27話で同郷の先輩で同業者の、岩波書店の岩波茂雄の話、第28話は前に書いたように渋沢敬三の話、第29話で人類学・考古学・民俗学関係の学者間の交流誌として『ドルメン』という雑誌を出した話があって、最後に第30話『落第本屋の手記』として、陸軍をやめて人類学・民俗学の勉強を始めたけれど、スタートが遅くなった分、学者として研究にあたるより出版人として学者の仕事を助ける方がなすべき仕事だと考え、何も知らない出版の世界に入ったけれど、途中で陸軍から召集をかけられたり徴用されたりしてちゃんとした仕事ができなかった、と書いています。

なかなか面白い本です。

この本をきっかけに、そういえば南方熊楠というのは話を読むだけで、この人の書いたものを読んだことがなかったな、と気づき、今度は熊楠の書いたものを読んでみようかと思いました。

こうやって読みたい本が増えていくと、読む本がなかなか終わりません。

とまれ、興味がある人、お勧めします。

『確定申告』その後

10月 26th, 2021

4月19日に「『確定申告』と救急車」という記事を書きました。

http://acalax.info/app-def/S-102/wp/?p=1667

そこでは、何とか期限内に所得税の確定申告を済ませ、ヤレヤレと書いていたのですが、その後何ヵ月かして税務署から『申告書が送られていない』という連絡がありました。こちらとしては『e-Taxで申告書を送付したはずで、送信した記録もあるので、もう一度そちらで調べてくれ』と返答していたのですが、先週再度連絡があり、『やはり申告書は届いていない。先日連絡してもらった送信した記録というのも見てみたら、申告書を送付した記録ではないので、再度確認してくれ』という事でした。

もう使い方もかなりあやふやになっているe-Taxのシステムを立ち上げ、確認してみました。いろいろ調べた結果、何と申告書の送付はできていないことが分かりました。

申告書を完成させ、税額の計算が終わった所で、その後、申告書に署名し(パソコンでマイナンバーを入力する手続きです)、その後署名後の申告書を送付する手続きが必要なのですが、その署名の所で作業が止まっていました。

早速署名の手続きをし、送付の手続きを済ませて税務署に連絡した所『今度は確かに受け取った。しかし申告書の提出が期限を過ぎてしまったので、青色申告特別控除65万円の特例を使うことができないので税額が変わる。申告書を修正するように』と言われてしまいました。

今年から、青色申告特別控除はe-Taxで期限内に申告・納付していれば65万円の控除が適用できるのですが、そうでないと控除額は10万円になってしまいます。この差の55万円分、所得が増えて、税金が増えてしまうという事です。

仕方ないので申告書を修正し、修正したものをまたe-Taxで送付しその旨を連絡した所、『申告書を修正するのでなく、修正申告書を提出することが必要だ』と言われてしまいました。

確かに一度提出した申告書を修正する時は修正申告という手続きをするということは知っていたのですが、e-Taxのソフトの中で見るかぎり修正申告の手続きに関するものが見当たらなかったので、仕方なく申告書の修正をすることにしたわけで、『それではその修正申告はどうやってやるんだ』と聞き直しました。

相手の税務署の担当者もe-Taxについてはあまり慣れていないようで、とりあえず国税庁のホームぺージから修正申告書を書面で作成し、印刷して提出する場合のやり方について説明して貰い、何とか修正申告書を作ることができました。(パソコンを開いてネット上の作業を、電話を繋げっぱなしにして説明を聞きながら作業して、多分2、3時間かかったように思います)。

何とか修正申告書の作成が終わった所で、今度は国税庁のホームページの修正申告書を作成する所で、e-Tax用の修正申告書を作成するボタンもあるので、e-Taxで修正申告するのであればそちらのボタンで同様な作業をするようにという事でした。

同じ作業を2度するのも大変だし、今後また修正申告が必要になることもあまりないだろうと思い、e-Taxでの修正申告はやめて、せっかく作った修正申告書をそのまま印刷して書面で提出することにしました。税務署までは往復1時間ちょっとで出しに行けますし、ついでに不足分の税金の納付もできます(今住んでいる自宅は浦和税務署の管轄なのですが、オフィスがあるのは大宮税務署の管轄なので、オフィスの近くの郵便局にある納付書は大宮税務署用のもので浦和税務署用のものはいずれにしても取りに行かなければならないという事情もあります)。

で、修正申告書の提出と不足分の税金の納付を済ませた所、間髪を入れずに『無申告加算税』の請求書が来ました。すなわち申告書の提出が結果的に半年くらい遅れてしまったので期限内に申告しなかった、というペナルティの加算税です。これは忘れないうちにすぐに納付しました。嬉しいことに請求書はコンビニでも納付できるようになってました。あとは延滞税がどうなるかですが、請求書が来たら払うだけです。

結果的に65万円の青色申告特別控除が10万円に減って、他にも何だかんだでかなり払うことになったのですが、コロナ騒ぎで申告・納付期限が1ヵ月遅くなっていなかったらもともと到底間に合わなかっただろう事や、脳梗塞のことなど考えると大した追加負担でなくて良かったなと思います。

e-Taxでの納税についても今回の経験でかなりやり方が良く分かったし、e-Taxのシステムも今後かなり改善されるだろうことを考えると、とりあえず今回e-Taxにチャレンジしたのは正解でした。

今回は残念ながら65万円控除を逃してしまいましたが、来年以降は毎年65万円控除を使えると考えれば、そんなに悪い話でもないかも知れません。

という所でもう10月も終わりで、今年も残すところ2ヵ月です。そろそろ今年の決算の確定申告の準備も始めないといけないなと思います。

一応本格的に個人事業主となるにあたって、今まで会社でやっていたのに倣ってきちんと経理・決算作業をしようと思っていたのが、今年は会社の整理の作業や度重なる病院通いでそれが殆どできていません。

今度の日曜日はいよいよ衆議院選の投開票日です。
今週は選挙結果の最後の予想ということでマスコミもネットも賑やかでしょうが、根拠もない願望ニュースやデマ等のフェイクニュースに振り回されていても仕方ないので、少しは真面目に決算の作業を始めようかな、と思います。

『直立2足歩行』

9月 3rd, 2021

7月9日に出勤途上で足を骨折し7月12日に入院、7月19日に手術、7月28日に退院となり、その後基本的に松葉杖生活をしていたのですが、外来で診察してもらって8月19日の診察で、順調に治りつつあるということで、『松葉杖なし』ということになりました。

私としては松葉杖が2本から1本になるとか松葉杖の代わりに普通の杖を使うとか、段階的にやっていくんだなと思っていたら、いきなり『何もなし』という事になり、何となく不安な気持ちでした。

何しろ手術から1か月間ずっと松葉杖と一緒に生活し、これさえあれば何でもできると思っていたのがいきなりなくなると、自分の事ながら大丈夫かな(?)と思ってしまいました。最初のうちはヨタヨタ歩きから始まって次にトボトボ歩き、今では長い距離でなければ普通のゆっくり歩き、まで戻ってきました。

松葉杖というのは、骨折をした方の足に全体重をかけるわけには行かないのと、骨折をしなかった方の片足だけではバランスを取るのが難しいということで、いずれにしても補助的な役割のもので、基本は骨折をしなかった方の足で立ったり歩ったりしているものだ、と思っていましたが、これが全く間違いでした。

松葉杖なしで歩き始めてすぐに感じたのは、歩く時の足の負担、背筋の負担がとんでもないということでした。

松葉杖で歩くというのは見た目は立って歩っているようですが、実は杖と足の四足歩行、四つん這いで歩っているのと同じようなもの、ということです。

この四足歩行が2足歩行になったわけですから、足腰の負担が1気に増えたのは仕方のない事です。

しかし負担は増えましたが、2足歩行の素晴らしさに改めて感激しました。松葉杖の時は何かを持って歩こうと思ったら、リュックに入れてリュックごと担ぐか、ベルトに挟むかということで、何かの乗っているお皿や飲み物の入っているコップなどは自分で運ぶことができませんでした。2足歩行であれば、余った2つの手でこんなのは簡単に持ち運べます。松葉杖では傘がさせないので、雨がふったらやむのを待つか濡れるのを覚悟で歩くしかありません。2足歩行であれば、余った手で傘をさすことができます。

直立2足歩行というのは、とんでもなく便利な発見だなと改めて思いました。

というわけで、直立2足歩行を始めて2週間、まだ10分も歩くとくたびれ果ててしまう、という塩梅ですが、あとは体力の回復を図るだけ、ということのようなので、時間の問題で元のように普通に歩けるようになると思います。

それにしても、骨折しなければ自覚することのなかった直立2足歩行のすばらしさに気づくことができてラッキーでした。

清算結了と骨折

8月 11th, 2021

アカラックス株式会社は2020年12月31日に解散を結議し清算の作業を進めていましたが、2021年6月25日の株主総会で清算結了を承認し、2021年6月28日に登記・確定申告を済ませ、無事消滅しました。

登記の手続きは問題がなければ7月9日までに完了するということなので、7月12日に登記簿を取って確認しようとしていた所、7月9日に骨折で動きが取れなくなってしまいました。

7月9日は雨で、朝、大宮駅からオフィスへ向かう途中でソニックシティのビルから歩道へ出る所で足を滑らし、腓骨を骨折しました。

当初は骨折だと思わず捻挫だと思っていたので、ビッコをひきながらオフィスの建物にたどり着き、3階まで階段を上りオフィスで足を冷やしていました。

夕方帰宅時にビッコをひきながら階段を下り、それ以上歩って帰るのは無理だと思ってタクシーを拾って帰宅しました。

翌日の土曜日、念のために近くのクリニックで確認してもらうと、レントゲンを撮って、いとも簡単に『骨折だ』と言われてしまいました。で、土日は家でおとなしくしていて、月曜日に紹介状を書いてもらった日赤病院の外来に行きました。色々検査された上で、そのまま即日入院となりました。しかし手術室の予約がなかなか取れないということで、手術は1週間後の7月19日になりました。

手術の翌日から早速リハビリが始まりましたが、2日やった所でオリンピック開会式の4連休に入り、リハビリもお休みです。仕方がないのでその間リハビリの自主トレをして、連休明けの月曜日に退院が決まりました。日赤病院は原則朝9時の退院なので準備の都合もあり、水曜日の7月28日に退院となりました。

退院後7月いっぱいは自宅でおとなしくしていて、8月2日からようやくオフィスに出ることにしました。朝は娘が車でオフィスの建物まで運んでくれ、帰りは流しのタクシーをつかまえて乗って帰ります。

7月12日に登記簿を取って登記を確認しようとしていたのがそのままになっていたので、退院の翌日奥さんに法務局に行って登記簿を取って貰いました。

それにより2021年6月28日に清算結了の登記をして登記簿は閉鎖されたことが確認できました。アカラックス株式会社は消滅しました。

これでアカラックス株式会社に関する作業はほとんどオシマイです。
皆様、お世話になりました。

なお骨折の方は、膝から足首までの骨のうち、主に体重を支える脛骨の方でなくその脇の腓骨の方で、これは足の向きを変えたり足を回したりするためのもので、それも途中の細い所でなく一番下の丸くなった果体を、いわゆるクルブシの外側の部分が割れたということで、その分くっつけ易い部分のようです。骨折がこれだけで済んでラッキーでした。

1年位かかって骨がしっかりした所で、足に入れたプレートとネジを取り外す手術をするようですが、それまではチョットだけですが『筋金入り』の男という事になります。