『確定申告』と救急車

4月 19th, 2021

所得税の確定申告と納付、無事期限末日に終了しました。

2月末にアカラックス株式会社の解散の確定申告が終わり、通常であればその2週間後の3月15日までに所得税の申告・納付をしなければならない所、今年はコロナのお蔭で期限が1ヵ月延びて4月15日になっていました。

半月ではちょっと間に合いそうもなかったのですが、1ヵ月半あれば何とかなるだろうと安心して作業を始めました。

個人事業について会計帳簿の体系をどうするかとか、記帳のルールをどうするかとか考えながら、会社の経理・個人事業の経理・事業に関係ない収支を区分し、個人事業については記帳をして決算しなければならないので、結構時間はかかるけれど何とかなるだろうと思っていたら、思いがけず3月末から4月初めにかけて毎日のように病院通いをせざるを得なくなり、今度こそ間に合うかなと思ったのですが、何とか間に合ってほっとしています。

65万円の青色申告控除を使うため、申告書・個人事業の決算書・医療費控除の明細書等全てe-Taxシステムで作成し、それをe-Taxシステムで送信し、また計算した所得税等を近くの郵便局で納付して、一件落着です。

給料の源泉徴収票や生命保険控除証明書も、マイナンバーを使って確認できるので、相手先の名前だけ入力すればそれらの書類の添付は必要なくなっていて、確定申告もはるかに楽になっていました。

実は期限まであと1か月を切った頃、そろそろ個人事業の決算を仮に締めてみて、それでまずはe-Taxの決算書・申告書を作ってみようかと思っていた頃、大宮のオフィスにいたのですが、そろそろ昼食の時間だけどどこに行こうかなと思っていた時、トイレに立ったあとちょっとフラフラするなと思い、何となくちょっと吐き気のようなものもあり、左手の掌が真っ白くなって冷たくなっていて、しびれのようなものもあり、これはもしかすると脳梗塞の症状かも知れないと思い、119番に電話しました。私は救急車を頼む電話をしたのは初めてで、しかも自分自身のことで、というのは何とも新鮮な体験でした。

すぐに救急車が来てくれて、オフィスの入り口のドアの所まで救急隊員の人が来てくれました。救急車の中でちょっと診断しましょう、ということで、一緒に階段を歩いて下りて救急車に乗り込みました。すぐに血圧計とか心電図とかを付けられていろいろ問診されて、とりあえず赤十字病院に運ばれました。

自分が患者になって救急病棟に入るというのも初めての体験で、看護婦さん達のテキパキとした働きはまさに瞠目ものでした。すぐに血圧を測られCTとMRIを撮られ、多分予想通り軽い脳梗塞だろうということで、血圧を下げる薬、血液をサラサラにする薬を処方されて病院を出たのが5時近くでした。いつの間にか5時間も病院にいたことになります。

CTやMRIは救急で検査ができましたが、他の検査については病院のルールに従って予約を取って検査を受けることになるようで、その翌週は毎日のように検査が入りました。

腕の神経の電導速度を測る検査・24時間心電計・首の血管のエコー検査を次々に受け、心臓のエコー検査だけはなかなか予約が取れず、5月になっています。また、この検査検査の週には、去年の白内障手術を受けて手術後の眼鏡を作ってもらうために眼鏡さんに行く予定も入って、ほぼ毎日のように病院通いでした。

これら全てこなして何とか確定申告までたどりついたんですから、何ともヤレヤレです。

確定申告では医療費控除の明細書、書式に入りきらないのでどうしようかなと思い、金額の多いほうから入力して入りきらないのは諦めようかと思ったのですが、申告期限の最後の日になって、もしかしたら2枚目に入力するということができるかも知れないと思いついて、見てみたら確かにそうなっていて2枚目を開いて全て入力することができました。

なお脳梗塞は今の所大したこともなく、左手の手のひらと指先の痺れがまだ残っていますが、それ以外は特に変わったこともなく、当面はこれで行けそうです。しびれが出ているのが右手でなく左手だ、というのもラッキーでした。

高血圧の薬と血液をサラサラにする薬はその後も飲み続けているし、お医者さんの指示で毎日血圧も測るようにしているのでので、この面でもリスクは小さくなっていると思います。

皆さんもちょっと変だなと思ったら、救急車を頼むのを躊躇しないで下さい。

武漢コロナのから騒ぎ

4月 1st, 2021

大相撲も結果的に照の富士の優勝で順当に終わり、高校野球にしてもサッカーにしても皆で楽しめるようになって良かったですね。

今日は、4月1日で、入社式の看板を持った人に何人も出合いました。去年の今頃は、入社式なし、自宅待機、ほんとに入社できるかどうか心配な新入社員が大勢いたのをまだ覚えています。

緊急事態宣言も終わり、その前から一般にはもう皆さん動き出しているようですが、マスコミでは何とかしてコロナに対する不安をあおり立てる報道を続けているようですね。

感染者数の増加でニュースにならなくなったら、今度は感染者数の減り方が少なくなったとか、1週間前と比べて新規の感染者数が減ってない日が続いているとか、あるいは変異型のウイルスは変異型でないウイルスと比べてものすごく危険なんだ、というデマを振りまいたり、次々に新しい視点をみつけて大騒ぎしています。これも全体的な状況から目隠しするためのニュースのようです。

武漢コロナが始まって1年経ったので改めて確認してみましたが、日本ではこれ程の大騒ぎをして感染者数は今まで累計で47万人、人口100人あたり0.4人です。死亡者数は今まで累計で9千人ですから1万人あたり1人にもなっていません。この数字も何とかして数字を膨らまそうとして努力に努力を重ねた結果の感染者数であり、死亡してからコロナの検査をして感染していたらコロナとは無関係の死亡でもカウントした死者数です。日本では1年間に死者数は100万人位ですから、その死者数の1%にもならない数でしかありません。

これほどまでにコロナコロナと騒ぎたてるのはよっぽどニュースがないか、あるいは大事なニュースから目をそらすためか、のどちらかかなと思います。

ひところ大騒ぎになった菅さんの息子の接待の話も、その後その会社だけでなくテレビ局全般・NHK・マスコミ全般の話になったら、途端にトーンダウンしてしまっています。

その間、予算案も順調に国会で成立し、話題に困って内閣総辞職の話を持ち出してみたら二階さんから解散総選挙は受けて立つとすごまれて、またもや尻すぼみです。

コロナ騒ぎではもう大方の日本人はあまり大騒ぎすることなく平常を取り戻しているようですから、テレビ各局は相変わらず大騒ぎをしてくれる人(一般人にしろ専門家と称する人にしろ)を探すのに苦労しているんでしょうね。御苦労なことです。

お蔭さまで、私は大宮のオフィスから満開のサクラを窓いっぱいに眺めています。

火野葦平『陸軍』『花と龍』

3月 17th, 2021

フェイスブックで友人の浦辺先生が『陸軍』についてコメントしていたので、読んでみました。

火野葦平というのは『麦と兵隊』その他で有名な人ですが、まだ一冊も読んだことがなかったので読んでみました。

戦争中、朝日新聞に連載された小説で、連載が終わって本として印刷してその印刷が終わるのが昭和20年8月15日ということでこの本は販売されなかったようですが、その後他の出版社から出版されている小説です。

九州・小倉と博多に生きた一家が、明治維新前、長州が外国艦隊に砲撃されて完敗する所から戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争と続く戦争に、何代にもわたって兵隊あるいは軍人として参加し続けた物語ですが、特に軍国主義的ということもなく、久しぶりに小説を読むのを楽しみました。あの、戦争礼賛でイケイケドンドンの朝日新聞で、このような小説が連載されたことに驚きます。

この本を読み終わって次に何を読もうかと思ったのですが、火野葦平が自分の父親・母親(と自分自身)の伝記として書いた小説だという話で読んだのが『花と龍』です。任侠映画として一世を風靡した作品の原作ですが、これも今までまともに映画を見ることも原作を読むこともしていませんでした。これも読売新聞に連載された新聞小説で、確かに任侠映画の原作となるだけのエピソード満載ですが、北九州の沖仲仕の家族の伝記として楽しめました。

まだいろいろ読まなければいけないものもありそうですが、とりあえずこの2冊を読み終わった段階で紹介しようと思います。

面白くて楽しめます。お勧めします。

1cm四方の富士山

3月 1st, 2021

大宮のオフィスに毎日出勤して1ヵ月経ち、驚くような発見がありました。何とオフィスの窓から富士山が見えるんです。

オフィスは大宮駅からまっすぐ西に向かった道沿いに建っていて、北向きのオフィスなんですが、西側に窓があります。その窓の出窓の部分はプリンタを置いたり電気ポットを置いたり重宝しているのですが、その窓から富士山が見える事に気が付きました。

オフィスの西側は保育園があり、2階建ての建物の屋上が園児達の遊び場になっているんですが、その床面がこちらのオフィスの3階の床面よりちょっと高くなっています。

その保育園の建物とこちらの建物は間隔が1mもない位なので、窓を開けているとモロ『園児を覗いている変なオジサン』と間違えるということで、原則として常時カーテンを閉めているようにと言われているのですが、園児達が屋上に上がって来ない時間帯は窓から外を見ることができます。

この窓は西向きですから運が良ければ富士山が見えるかも知れないと思っていたのですが、ずっと見ることができないでいました。

私の住んでいるマンションからも近くの駅からも富士山は良く見えるのですが、大宮ではなかなか見ることができません。富士山はほぼ西で、ちょっとだけ南に振れたような方角なんですが、駅からオフィスへの西向きの道は道路沿いに道路の南側に立ち並んでいる建物に邪魔されて、富士山は見えません。オフィスに入ってしまうと(オフィスは道の北側の建物ですから)西向きの窓からの眺めは、今度は道路の北側に立ち並んでいる建物に邪魔されて富士山は見えません。どうしても見たければ近くの高いビル(おあつらえ向きに、OLSという高いビルがあって、素晴らしい眺めが楽しめます)に行って見るしかないか、と諦めていたんですが、大宮のオフィスに通うになって1ヵ月経った所で富士山を発見しました。

西側の窓の眺めの真ん中近くに左側に電柱があり、その右の建物との間にほんのちょっと隙間があります。電柱からは右に何本もの電線が張られています。その電線の下に保育園の屋上の防護柵が見え、その手すりの下に柵が何本も並んでいます。その下が屋上の床面になります。その防護柵の手すりの部分と床面の間に、ちょうど富士山が入っています。

はじめに気が付いた時は隙間に左下から右上への線が見え、線の上は青く線の下は白くなっています。これは青の部分が空の青、白の部分が富士山の雪の白だと分かりました。山頂はちょうど隙間の防護柵の手すりの高さと同じ位の高さで、目の高さをちょっと高くすると手すりより高くなり、目の高さをちょっと低くすると手すりの下になります。

ただしこの富士山、保育園の屋上のこちら側の防護柵を通し、さらに向こう側の防護柵を通して見るので、柵の縦の邪魔な線がたくさん入ります。さらに良くみると窓のガラスには網入りガラスが使われています。この斜めの格子状の線を超え、二重の防護柵の縦の線を超えて、その先に富士山があります。

その大きさは・・と思って測ってみました。
私は腕を伸ばすとこぶしが胴体から50㎝の所にきます。そこで定規を握ってその定規の目盛りを測ると、隙間の大きさは縦1㎝弱・横1㎝弱の四角です。

このような小さな隙間で、縦・横・斜めの邪魔者がふんだんにある隙間ですから、その気になってしっかり見ないとなかなか気が付かないかも知れません。

それにしてもこの隙間を通して富士山を覗き見ることができるというのは、とてつもなく幸運な事だと思います。ちょっと角度がずれただけで見る事はできなかったはずですから。

この富士山も、もう少し暖かくなるともう見ることができません。冬の寒い間の晴れの日にしか見ることができませんから、ここで見つからなかったらまた次の冬になるまではみつからなかったと思います。

でも実際に見ることができなくても、この隙間のここの所に見えるんだということが分かっていれば、見えているつもりになるのはそんなに難しいことではありません。

これが見えるだけで、それまで家賃がちょっと高いかなと思っていたのが、逆に割安だと思えるようになりました。

これは神田の会社を閉めて個人の事業として大宮にオフィスを構えた事を、富士山が応援してくれているんだ、とも思えます。

とりあえず12月末の会社の解散の確定申告(期限は2か月ですから、3月1日までです)もほぼ終了しました。

『江戸文人のスクラップブック』

2月 15th, 2021

不思議な本を紹介します。
工藤宣(くどうよろし)という人の書いた『江戸文人のスクラップブック』という本です。
この本もさいたま市立図書館で『ご自由にお持ち下さい』コーナーにあった本です。

本の内容は、江戸時代幕末の大槻磐渓(おおつきばんけい)という人の残した『積塵成山』あるいは『塵積成山』という名前のスクラップブックの紹介です。塵も積もれば山となる、と読むのか、塵を積もりて山となす、と読むのか、まあどっちでもいいんでしょうが、そんなような名前です。

このようなスクラップブック、1冊あたり50枚のA3をもう一回り二回り大きくしたようなものが十数冊あるということです。そのスクラップブックに磐渓先生が何十年もかけて様々な資料をスクラップして、それを著者が一つ一つ見ながらこの資料は何だろう、磐渓先生は何を考えて何のためにこの資料を貼りつけたんだろう、この資料はどうやって作ったんだろう、どうやって手に入れたんだろう等々と探索しています。

何しろこのスクラップブック、磐渓先生は自分のためだけを考えてスクラップしているようで、資料を貼り付けてはあるけれど、それに関する説明は一切付けていないようです。ですから資料自体を読み解くしかないのですが、これが変体仮名・くずし字がふんだんに入っている漢文体の文語が殆どで、中にはオランダ語の資料も入っているようです。

磐渓先生というのは今となっては殆ど知る人もないような人ですが(Wikipediaにはこの先生のページがありました)、幕末期の漢学者としては当代一流の学者でした。

江戸生まれ江戸育ちの仙台藩士で、父親は解体新書翻訳チームの一員の大槻玄沢(この本では盤水という名前で何度も登場します)、息子の一人は明治になって初めての国語辞典である『大言海』を作った大槻文彦といえば、こっちの名前の方が分かりやすいかも知れません。

父親が蘭学者だったのに本人が漢学者になったのは、父親の意向で、自分が読んだオランダ語をきちんとした漢文にして貰いたかったとのことで、本人は蘭学をやりたかったようですが、父の言いつけに従って漢学者になったものの蘭学にも興味を示し、また高島秋帆の西洋砲術も習って砲術師範にもなっています。

蘭学を学ぶために長崎にも行ったけれど、その直前のシーボルト事件のために蘭学を学ぶことができず、漢学者になることにしたようです。

この本を読むと、幕末の時代小説に出て来る人のオンパレードです。若いころ頼山陽と出会って(日本外史に注文を付けた、という話もあります)高く評価されたり、維新直前に何度か幕府から欧米に派遣された日本人に色々アドバイスしたり、最終的に密航に失敗した吉田松陰が黒船に乗り込む直前に磐渓先生に会って話をしていたり、この本だけで幕末の時代小説のネタがごろごろ転がっています。

最終的に参勤交代がなくなって仙台藩主が仙台に引き上げる時、磐渓先生も一緒について行き、藩主のブレインになり、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を作って官軍に歯向かった時、盟主格の仙台藩主の代理としていろんな文章を書いたので賊軍として捕まってしまったりもしますが、歳も歳なので自宅蟄居にして貰い、数年で許されて晩年は子や孫と穏やかに暮らしたようです。

いずれにしてもこのスクラップブックの探索作業、今ならインターネットをフルに活用して情報を集めたり仲間を募って相談したりする所ですが、それができないでかなり大変だったと思います。とは言え出版物はいろいろあって図書館もかなり充実していたので、ある程度は調べることができたんだと思います。この本が書かれたのが1989年、30年前の労作です。

住民税

2月 8th, 2021

さて前回の投稿で、会社解散に伴う手続きは終わったと思っていたのですが、もう一つ残っていました。

2月に入って、これまでたとえば1月の給料から天引きをして2月に払い込んでいた住民税はいつまでに払い込めば良いんだろうと市役所に確認してみました。毎月払込みに使っていた納付書はそのまま手元にありますから納付書をそのまま使えば良いと思っていました。

役所に連絡して、会社が解散して住民税を払おうと思っていると説明したら「異動届は出しましたか?」という質問が返ってきます。話を聞くとこの「異動届」はこの前都税事務所に出したものとは別のもののようです。

都税事務所に出したのは、会社の法人税や法人住民税に関して会社が解散したことを連絡するための手続きのようですが、今回のものは会社が従業員の給料から天引きして会社が支払っている個人の住民税について、給与天引きをやめて個人が直接支払う形にするための手続きのようで、正式には『給与支払報告・特別徴収に係る給与所得者異動届出書』といい、まずこの届けで1年分の住民税が総額いくらで、今まで給与天引きで支払済のものがいくら、これから払う予定でまだ払っていないものがいくらということを報告すると、市の方から改めて未払分についての納付書を本人宛に送付してきてそれを払う、ということのようです。確かに特別徴収の納付書は支払者が会社になっているので、そのままでは使えないというのは考えてみれば当然の話です。

提出先がさいたま市大宮区役所の中に入っている『さいたま市財務局北部市税事務所』という所で、大宮区役所には25もあるさいたま市立図書館の中でもかなり立派な大宮図書館が入っているようなので、それを見物がてら直接届けを出しに行こうかなと思ったのですが、良くみると届けは原則郵送で、となっているのでこれは仕方ないので郵送することにしました。

これで送られてきた未払分の住民税の納付書で納付を済ませてしまえば、今度こそ本当に解散に伴う手続きは(法人税・法人住民税等の確定申告・納付を除いて)終了です。期限まで1ヵ月弱、頑張りましょう。

引っ越し

2月 3rd, 2021

神田のオフィスから大宮へのオフィスに移って2週間経ちました。
オフィスの引っ越しは12月15日と1月16日の2回に分けてやったのですが、この2週間でほぼ落ち着いたような感じです。

1回目の引っ越しでは大きなデスクとダンボール箱ばかりを運んだのですが、2回目の引っ越しでは冷蔵庫とキャビネット2つ、コピー・プリンターの複合機、ワゴンとダンボール箱を運んだので、荷物を運び入れた直後は玄関から部屋の中央に置いたデスクまでの通路を除くと、すべての床面がそれこそ足の踏み場もないという状況でした。

それを少しづつ整理して、何とか快適に仕事ができるようになりました。プリンターをLANにつないで印刷したり、書類をスキャナーでpdfにしてPCに取り込んだりの設定は、キャノンの専門家に頼みました。

会社の解散日を12月31日とし1月5日に登記したので、引っ越しの翌々日の18日には解散の記載のある登記簿も取れるようになりました。

登記の手続きは九段下の東京法務局に行かなければなりませんが、登記簿を取るのは家の近くの埼玉法務局でもOKです。これが取れるといろんな手続きを進めることができます。

まず第一に『人材紹介業の許可』なんですが、これは許可の期間の終期が近づいてくると役所の方から、更新して継続するか期間満了をもってやめるか、と意向確認の手紙が来ます。これに『やめる』という旨の返事をFaxで送ると、それで手続き終了です。お役所仕事がこんなに簡単に終わって良いのか、という思うくらいですが、そんなわけで一番最初に10月くらいに処理済みとなっていました。

次に税務署・都税事務所に『異動届』を出して、会社が解散したことを知らせるという手続きなんですが、税務署に聞いたら『これは必須ではないので、解散の確定申告をしてくれるなら異動届は出さなくても良い』という返事で、都税事務所の方は『解散の記載のある登記簿が取れるようになったらまず異動届を出し、その後確定申告して下さい』ということでした。税務署はちょっと遠いのですが都税事務所は神田駅のすぐ近くなので都税事務所でこの異動届を書きました。この届けは何枚かの複写式になっているのですが、税務署宛の分は廃棄して都税事務所宛のものを提出し、届出者分の写しを受取って、これも終わりです。

次に労働基準監督署ですが、これは問い合わせた所、既に手続きは済んでいるという事で終わりです。

職安(ハローワーク)は『雇用保険適用事業所廃止届を郵送せよ』ということで、これを郵送して終わりました。

後は年金事務所で、これまでの会社の協会健保を個人の国民健保に変える手続きです。
手続きが遅くなってしまったので、1月中は清算業務をしていたという事にして、2月から切り替えるというつもりで年金事務所に行ったのですが、『解散が12月末ならば普通は1月から切り替えることになる。清算業務をしていて報酬を支払っていたということならば、それを証明するために給与台帳その他の書類を出せ』と言われてしまいました。一度戻って書類を用意してまた来るもの大変なので、『それでは1月から切り替えということで手続きして下さい』ということにしました。

神田のオフィスにいると市ヶ谷の年金事務所はそんなに遠くは感じないのですが、大宮のオフィスからはちょっと遠いような気がしますので一度で済ませたい、という事です。

で、健康保険の『資格取得・資格喪失等確認通知書』を出してもらい、それを持って自宅近くの市役所へ行って国民健康保険の手続きをして貰いました。

新しい保険証を出してもらうのに何日かかかるんだろうと思っていたら、すぐその場で作成・交付してくれて、何という素早いお役所仕事だ、と感心しました。

その時、市の担当者から、保険証は1月1日で切り替わっているので、1月中に病院などで前の保険証で支払いをした分について、『病院などが協会健保に請求を回すと色々健保協会と国民健保の保険者である市との間で医療費の精算のためのやり取りが面倒くさくなる。普通医療費は月締めで翌月に保険者である協会あるいは市に請求されるので、その前に病院等に連絡して、請求先を変更しておいてもらえば、その手間は避けられるかも知れないので、できるだけそのように病院に連絡するように』と言われました。

とりあえず健康保険証の切り替えで、解散に伴う手続きは一応終わりです。
今後のスケジュールは、まずアカラックスの解散の確定申告です。この期限は2月末です。

次のスケジュールは個人の所得税の確定申告です。今までと違い今回は青色申告の個人事業主としての確定申告で、さらにe-taxの電子申告にチャレンジしようと思っているので、3月15日までにうまく間に合わせる必要があります。

次はアカラックスの清算結了の登記と確定申告です。それもできれば3月末までに済ませてしまいたいと考えています。

このように考えるとあまり余裕はないのですが、とりあえずまだ時間はあるので、何とか頑張ろうと思います。

2回目の引っ越し後、基本的に大宮のオフィスに通うようになって気が付いたのは、このオフィスが結構賑やかなことです。オフィスの西隣のビルには保育園が入っています。またオフィスの北側には小さな公園があり、そこで小さな子がよく遊んでいます。それが隣の保育園の園児なのか他の幼稚園・保育園の園児なのかは良く分かりませんが、同じような甲高い声でキャッキャッ、キャーキャーと、とても賑やかです。保育園が終わった後でお母さん達が子供達を連れて来て遊ばせているということもあるようです。

このような賑やかさを私は嫌いではないので、何となく得した気分です。この賑やかな声を楽しみたいと思います。

『アメリカの大統領選』

1月 6th, 2021

さて1月6日、いよいよアメリカ大統領選、第2ラウンドの開始ですね。
日本のマスコミではほとんど報道されることなく、バイデンの次期大統領就任が既成事実のように報道されていますが、すんなりそれで決着するか、ある意味今年最大の見ものかも知れません。

とはいえ、アメリカ時間の1月6日ですから、日本時間では1月7日ということになるのかも知れませんが、明日の朝のニュースがどう言うか、楽しみですね。

すんなり行かない場合、次のステージは1月20日の大統領就任式です。

それまでどんな事が起こるんでしょうか。

e-tax

1月 1st, 2021

令和2年の所得税の申告から、いよいよ青色申告の個人事業主として確定申告しようと準備していたのですが、12月の半ばを過ぎて、『e-taxを使うと青色申告の控除が10万円多くなる(というよりe-taxを使わないと控除額が10万円少なくなる)』と教えてもらって、それじゃあe-taxを使おうか、そのためにicカードリーダーを買おうか、と思うようになりました。
仮に税率が10%だとしても、10万円の10%で1万円、カードリーダーの代金くらいは軽く出そうです。
で、近くのヨドバシカメラに買いに行ったのですが、陳列棚には見当たりません。店員に聞いたら、レジカウンターの後ろに置いてある、ということでした。
レジカウンターで聞いたら3種類ほど出してきました。接触型が2つ、非接触型が1つです。どうせ年に1度くらいしか使わないんだから、一番安いのでいいだろう、と思ってロジック社製の接触型のカードリーダーを2,000円ちょっとで買いました。
大宮のオフィスにはMacのPCしかなく、これでwindowsは動くようになっているのですが、外部との接続はusbのc-typeしかなく、カードリーダーのa-typeのusb を接続するにはusb ハブが必要になります。で、そのusb ハブも買って、これを経由してカードリーダーを接続し、使えるかどうか試してみました。
e-taxの登録手続きは、いろいろ振り回されながらもなんとかなったのですが、マイナンバーカードを読むところでどうもうまく行きません。
その理由として考えられるのは
1.pcがmacのpcで、windowsを動かしているから
2.カードリーダーをつなげるのにusb ハブを経由しているから
3.カードリーダーが安いから
4.マイナンバーカード自体に問題があるから
と、これだけあるとなかなか決めかねますが、多分、3番目か4番目があやしい、と思いました。
しばらくいろいろいじくり回して、夕方またヨドバシカメラに行き、『マイナンバーカードをうまく読めないから』と言ってカードリーダーを別のものに替えてもらいました。
家に帰って、今度は娘のwindows のPCにカードリーダーを直付けして試してみたのですが、やはりカードが読めません。困ったな、と思ってしかたなくいろいろネットで検索していたら、『点字付きのマイナンバーカードは接触型のカードリーダーでは読めないかもしれない』という記載がありました。
私のマイナンバーカードは、ついでのことに点字付きにしているので、『これだ』と思い、もう一度ヨドバシカメラに行き、3種類のカードリーダーのうちの、一番高いソニーの非接触型のものに差額を払って替えてもらいました。差額は700円くらいのものですが、2,000円ちょっとのものが3,000円弱になるんですから比率でいうと4割くらい高くなります。
これを大宮のオフィスに持っていったら今度はすんなりマイナンバーカードを読むことができました。

ということでとりあえずは一件落着、なんですが、実はいまだにe-tax でマイナンバーカードとカードリーダーが本当に必要なのかどうか、よくわかりません。
実際に申告することになればハッキリすると思います。
あと2か月のお楽しみ、です。

新聞もやめました

1月 1st, 2021

昨日限りで新聞をやめました。
社会人になった昭和52年4月から今まで、43年9か月間、1万5千日、毎日毎日配達される新聞を読んできたんですからたいしたものです。
4月に社会人になって、新入社員研修で『日経新聞を読め』と言われ、そんなものか、と思って販売店に行き、1日に遡って配達してもらったような気がします。
その後、いくつかの新聞を同時に購読していたときもありますが、日経新聞だけは一貫して購読していました。
社会問題、経済問題など何も知らなかった私にとって、本当に勉強になりました。特に『やさしい経済教室』という紙面はまとまった解説や専門家同士の論戦で、本当に勉強になりました。
一般の記事についても、他の新聞に比べて客観的な事実の報道が多く(たとえば日経新聞が50%くらいなのに対して朝日新聞だと10%くらい)、その分お買得、というものです。
とはいえ、この日経新聞も朝日新聞化が激しく、今ではほとんど読むような記事がありません。それを、広告とか特集とか企画記事で誤魔化してページ数の減少を誤魔化しています。
年末に会社を閉めることにして、ついでにいい機会なので新聞もやめることにしました。
正月は大量のほとんど読むところのない紙面が提供されますので、それを読まなくても済むだけでもよかったな、と思います。