オリンパスのごたごた

11月 8th, 2011

オリンパスの子会社買収に関する資金の問題、面白いことになってきましたね。

当初買収にからんだアドバイザーの会社にとてつもないお金を払っていることがわかり、それがオリンパスのトップのポケットに入っていたら厄介だなとか、それを騙されて持ち逃げされたんだとしたら厄介だなと思っていたんですが、今日のニュースによると、そのお金は過去から積み重ねてきた隠し赤字の穴埋めに充てたということのようです。

もちろん赤字を隠していたというのも、その赤字を内緒で穴埋めしてしまうというのも問題ではありますが、とはいえ、いつの間にか赤字が溜まっていて今さら表に出すわけにも行かず、何とか内緒で処理してしまおうという気持はわかるような気がします。

事の解明の進展が楽しみです。

ギリシャの問題

11月 8th, 2011

ギリシャのパパンドレウ首相、国会で信認され、その後辞任してギリシャは連立内閣を作るということになって、マーケットは喜んでいるようですね。何とも不思議なことです。

国民投票が回避されたと言っても、その代りに総選挙をするということになりそうですし、首相がやめた後の連立内閣が何をするかもわからないのに、単に首相がやめたということで目の前が明るくなったと感じる理由がわかりません。

今まで以上の混乱が起きる可能性もありますし、国民が国会にそっぽを向くことも考えられますね。

すでに世間の注目はギリシャからイタリアの方に移ってしまっています。今後は「イタリアの問題」ということになりますが、図体がでかいだけになおさらやっかいですね。

イタリアの次のフランスの問題もそろそろニュースを賑わせつつありますし、目が離せないですね。

ユーロ危機・・・その6

11月 3rd, 2011

ギリシャの国民投票、ほんとに大騒ぎですね。

まず真っ青になったのがドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領です。
この大騒ぎを見るだけで、ギリシャ救済策、と言われているものが実は、メルケル首相にとってはドイツの銀行救済策であり、サルコジ大統領にとってはフランスの銀行救済策だ、ということがよくわかります。

メルケル首相とサルコジ大統領にとっては、ギリシャの民主主義なんかよりも、まずは自分の国の金融システムを守ることが大事です。
ギリシャのパパンドレウ首相にとってはよその国の金融システムよりまずは自分の国の民主主義が最優先です。

と考えれば、別に当たり前の話でしかないのですが、これが世界経済に大きな影響を与えることを考えると、それこそ『この世の終わり』みたいな気になってしまうのかもしれません。

このようにそれぞれがまず最初に自分の国のことを考える、というのは、フランス革命とナポレオンの作り上げた『国民国家』という枠組みのせいです。

メルケル首相とサルコジ大統領はG20の参加者でもないパパンドレウ首相をカンヌに呼びつけて話をしてます。パパンドレウ首相はどんなに脅されても国民投票は引っ込めません。

こんな命がけの丁々発止の対決の場に出て行って、野田さんはちゃんと話ができるのでしょうか。

まあ、自分勝手に効果の期待できない円売りの為替介入をするくらいしかできない日本政府のことは向こうも相手にしないでしょうから、せいぜい『ユーロ危機の対応策に金を出せ』と言われるくらいでしょうけれど。

ユーロ危機・・・その5

11月 2nd, 2011

ユーロ危機、またまた大騒ぎですね。

EU全体の救済策、ようやくまとまったと思ったら、今度はギリシャがそれを受け入れるかどうか国民投票をすると言い出して、ドイツもフランスも大慌てです。

民主主義の本家のような顔をしている国のトップが、民主主義の元祖の国の、民主主義のシンボルのような国民投票について「そんなことをされちゃたまらん」と言って大騒ぎするというのは何ともおかしな話ですね。

で、支払不能を避けるために「銀行が自主的に債権の削減に合意する」という形にしたのに、格付会社のフィッチは、「その場合でも支払不能と認定する」と言い出して、こっちも面倒です。

また銀行の自己資本比率を9%に引上げるという方針も、いくつかの大銀行は「うちの銀行は自前で自己資本比率を引上げることができるから、公的資金の投入は要らない」などと言い出して、昔の日本を見るようです。

そんなことを言ってると、どこが大丈夫でどこが危ないか、なんて話になるので、結局は無理矢理に全ての銀行に強制的に公的資金を投入して騒ぎを抑えるしかないというのは、日本の経験で学んでいるはずなのに、やはり個別に自分達のこととなると、なかなか冷静には考えられないのかも知れません。

まずは資産を主にヨーロッパの国債で運用していたアメリカの資産運用会社がこけて、ここでも資金の一部が行方不明などと、わけのわからないことになっているようです。

こんな中、政府は円売りの為替介入をして、殆ど効果は期待できないと思うのですがどこまでやるんでしょう。

その昔「外為特会に埋蔵金がたっぷりある」なんて話もありましたが、多分今では埋蔵金は埋蔵負債になってしまっているんじゃないでしょうか。

埋蔵金は引き出して使おうという話はありましたが、埋蔵負債の方はどうするんでしょう。すぐに穴埋めするんでしょうか。塩漬けにして知らん顔するんでしょうか。

民主党政権、無駄遣いをやめればお金はいくらでも出てくると言って事業仕分けをやってみたり、沖縄の基地の問題にしても高速道路の料金のことも、後から振り返ってみると費用対効果という面から見ると、今までで一番無駄使いの多い政権ということになるのかも知れません。
困ったものですね。

北朝鮮

10月 31st, 2011

小さな記事が小出しに出てくるだけなのであまり大騒ぎにはなってませんが、北朝鮮の状況はかなり深刻のような気がします。

北朝鮮は何とかして6カ国協議を再開しようとして日本以外の各国と話をしているんですが、ちっとも前に進まないようです。

従来基本的に中国依存・中国優先でロシアは二の次だったのが、ロシアにも援助を求めたものの、大して相手にされていないようです。中国も従来の北朝鮮支持に疲れたのか、あまり積極的ではありません。

そのような中での北朝鮮の各国に対するアプローチは今までにないほど積極的なのに、ほとんど何の結果にもつながっていません。

アメリカと韓国は、北朝鮮有事の際の在日米軍の参加について話していることを、あからさまに発表しています。

カダフィ大佐が殺されたニュースは、北朝鮮にどこまで伝わっているかわかりませんが、いずれは伝わるはずです。

今年の大雨は日本を含め世界各国で大きな被害を出していますが、北朝鮮も同様に大きな被害を蒙っています。

ということで、毎年のことながら北朝鮮、今年の冬は越せるのかなあと思います。

北朝鮮が崩壊したらその復興に大きなコストはかかりますが、とりあえずモヤモヤした鬱陶しさからは開放されそうです。

ユーロ危機の不安感は当分消えそうもありませんが。

ユーロ危機・・・その4

10月 28th, 2011

どういうわけか、昨日の首脳会議の結果、マーケットはかなり好感しているようですね。

日本の報道では「EU首脳会議」と言っていますが、英語の記事を見てみたらEuro Crisis Summitというんですね。「ユーロ危機首脳会議」です。大分感じが違いますね。

昨日の報道では、【首脳会議で、銀行が自発的に元本を50%削減することで合意した】などとあり、一体誰が何を合意したのか、さっぱりわかりませんでした。銀行が何かを自発的にやる、ということを国のトップが合意した、というのは意味がありませんから。

今朝の日経新聞を見て、ようやくわかりました。首脳会議といっても首脳が集まっていただけでなく、銀行の代表者も来ていたんですね。
国際金融協会の専務理事のダラーラさんという人が民間の銀行の代表として、EUの首脳、ドイツのメルケル首相たちと話をしたということのようです。
そして「50%削減で合意した」というのも首脳だけでなく、銀行の代表も「この線で合意した」ということのようです。

もちろん、この合意がそれぞれの銀行に対してどれだけの強制力を持つものなのかはわかりませんが。

普通、借りたお金が返せない時は、借りた方が「すいません。返せません」と言ってから、貸した方が「仕方ない。半分にまけてやるから」ということになるのですが、この「自発的に」というのは借りた方(ギリシャ)が「返せません」と言う前に、貸した方から「半分返せば良いから」と言う、ということです。そうすることによりギリシャは「返せません」と言わなくて済むということです。

「返せません」と言うと、これはデフォルト(支払不能)ということになるので、何とかしてそうならないよう【(強制的に)自発的に元本の返済を負けてあげる】ということのようです。

で、借金が半分になればそれで払えるのか・・・となると、それでも払えそうもないので、足りない分はユーロ参加国・EU参加国・その他の国が協力してギリシャに資金援助して、何とかして形の上だけでも支払不能にならないようにしよう、という涙ぐましい努力のようです。

銀行にとってみれば、貸した金が半分しか返ってこなければ、その分赤字です。その赤字で銀行が資本不足になってしまっては困るので、不足する分はそれぞれの国が公的資金をそれぞれの国の銀行に投入することにより、銀行が潰れることを防ぐ。それが「首脳が合意した」という中味のようです。

もちろんこの借金の半分棒引きは「銀行が自発的に」ということですから、銀行以外でギリシャの国債を持っている人は元本まるまる返して貰うということになるので、不公平といえば不公平な取決めなのですが、どうせ返って来ないなら半分棒引きしても良いかとか、銀行以外が持っているギリシャ国債は大した額じゃない、とかいうことなのかも知れません。
しかしこんな決め方だと頭の良い銀行は、いつの間にか国債を投信その他に移しておいて、借金の棒引きをできるだけ小さくしようと動いているのかも知れません。

もちろんマーケットが好感しているほど、これで安心できるわけではありません。またしばらくしたら、もっと皆で負担しないと間に合わないということになりそうです。
日本のバブル崩壊の時も、何度も「これでもか」「これでもか」という具合に負担が膨らんでいったことを思えば、覚悟しておく必要がありそうです。

円高はこのような状態を反映しているわけですから、日本がいくら円売り介入したとしても、日本がEU全体を救済するなんてわけにはいかないので、効果は見込めません。
財務大臣が「この円高は日本経済の実体を反映していない」などと言っているようですが、これはむしろ「EUやアメリカの経済の実体を反映している」わけですから、小手先でどうにかなるものじゃないでしょう。

ユーロ危機・・・その3

10月 27th, 2011

ギリシャの国債をきっかけとする「ユーロ危機」、いよいよ切羽詰まったようですね。

問題は、ギリシャの財政破綻に起因するこの問題を、誰がどれだけ負担するかということです。

もちろんきっかけはギリシャの国債の問題ですから、ギリシャの国とその国債の持ち主は負担を免れません。ギリシャの国の負担というのは、ギリシャの国民の負担ということになります。

さらにこれは通貨ユーロの問題に直結しているので、ユーロに参加しているいわゆるユーロ圏の国も負担を免れません。

さらにこれは通貨ユーロにとどまらず、欧州連合EUの問題でもありますから、ユーロに参加していないEU加盟国も負担を免れません。

さらにギリシャ国債を持っている銀行の負担が資本を脅かすようなことになると、その銀行のある国も、その銀行救済のための負担を免れません。

さらに、ユーロ参加国、EU参加国だけでは十分な資金負担ができないとなると、他の国にも資金負担を依頼しなければならなくなります。

またギリシャ国債を持っている銀行の資本不足の問題となると、その銀行のある国の銀行システムの問題となりますから、その銀行と同じ国の銀行は、ギリシャ国債を持っていないとしても資本増強のための負担を強いられます。

このように負担する方は際限もなく広がるのですが、問題は誰がどれだけ負担するかという「負担額の分担」の話になります。

誰でもできるだけ自分の負担を小さくしようと考えますので、その段階で折り合いをつけるのが非常に難しくなります。直接的な負担者が多ければ多い程、折り合いをつけるのが難しくなります。そして別々の国がからむと、それぞれの国民が利害関係者になりますので、なおさら話が厄介です。

それぞれの国の負担は、ユーロ参加国、EU参加国としての負担と、ユーロ危機で資本増強が必要な銀行を抱えた国としての負担の両方です。

イギリスではもうEUからさっさと脱退すべきだという議論が出てきているようだし、ドイツでは危なっかしい国はさっさとユーロ圏からもEUからも追い出してしまえという議論が出てきています。

今まで参加国を増やすのを急ぐあまり危なっかしい国もどんどん参加させ、危なっかしい国を追い出すルールをあまり厳密に適用してこなかったツケがまわってきたということでしょうから、そう簡単には決着がつきそうにありません。

1兆ユーロなどという金額が平然と取りざたされるようになり、しばらく前のリーマンショックよりはるかに大きな問題だということが明らかになりつつあります。
当分目が離せないですね。

渡鬼(わたおに)

10月 21st, 2011

『渡る世間は鬼ばかり』、略して「渡鬼(わたおに)」がまた終わったようですね。

この国民的テレビドラマ、私はそれほど熱心なファンというわけではないのですが、それでも所々見る機会がありました。

改めて「お金がかからなそうなドラマだな」と思いました。何しろいくつかの毎回おなじみのセットで、登場人物が立ったり座ったりしたまま、ひたすら長広舌の台詞を言い続けるだけのドラマですから、俳優さんの出演料以外はあまりお金がかからなそうです。

このドラマ、何がそんなに人気なんだろうと昔質問されたことがありました。二、三日くらいかけて私なりの結論を出した時には、改めて「あの時の質問に答えます」なんて程のこともないのでそのままになっていたんですが、思い出したのでここに書いてみます。

このドラマは台詞がとてつもなく長いのが一つの特徴となっているのですが、私が気がついたのは、この長い台詞、どの登場人物も全て自信たっぷりに自分勝手なんです。

その自分勝手な登場人物が自信たっぷりに自分の正しさを長々と主張するわけです。よっぽど頭の良い人じゃないと、そんなに長々と自己主張することはできませんし、普通はしゃべり始めてしばらくすると、あっちからもこっちからも他の人がしゃべり始めて、それほど長々しい台詞をしゃべることはできません。

その点このドラマではまわりの人が邪魔をしないので、心行くばかり長広舌を繰り広げることができるというわけです。

自分と同じ立場の登場人物が、普段自分が思っていてもなかなか言えないことを、自分の代わりに正々堂々と筋道立てて主張してくれるというのは、たまらない快感なのかも知れません。

と同時に、自分としては許せないような他の登場人物の自分勝手な長広舌を、さえぎることもできず延々と聞かされると、とてつもなくフラストレーションがたまってしまいます。

この両方、いずれにしても「もう一度」「もう一度」と、テレビから離れられなくなってしまうのかも知れません。

その昔このドラマが最初に始まった頃には、あまり自分勝手な自己主張というのは「はしたない」とか、「みっともない」とか思われていたと思いますが、今ではテレビをつけてもインターネットの書き込みでも、自分勝手は自己主張のオンパレードです。

その意味でこのドラマは時代をちょっと先取りしたドラマで、これが人気の秘密ではないか、と思います。

世の中自体がこのように自分勝手な自己主張だらけになってしまって、このドラマがもう一度再開するなんてことはあるんでしょうか。

カダフィ大佐の死

10月 21st, 2011

カダフィ大佐がとうとう死んだ(殺された)ようですね。

まだ情報がいろいろ交錯していて不確かですが、私が報道で知る限り、排水管の中に隠れていたカダフィ大佐が発見され、引きずり出された所で逃げようとして殺されたということのようです。
これでアラブ革命はなお一層激しくなりますね。

独裁者に対する反抗、革命はその独裁者が逃げ出したり捕まったりして終わることが多いのですが、独裁者が血まみれで殺されたとなると、影響力が違います。

やはり我々は偉そうなことを言っても動物ですから、血を見るとそれこそ「血が騒ぐ」ということになりそうです。

シリアその他のアラブ諸国の反政府活動がさらに過激になって、方々で血を見るようなことにならなければ良いのですが。

こんな感想も、命をかけた戦いの外にいる人間の気楽なコメンでしかないですね。

ニ一天作の五(にいちてんさくのご)

10月 21st, 2011

この「ニ一天作の五(にいちてんさくのご)」というのは、時代小説などを読んでいると時々出てくる台詞です。

昔、ソロバンの計算では、掛け算の九九ともう一つ、割算の九九というのがあって、このニ一天作の五がその最初の言葉です。その意味で、掛け算の場合のニニが四(にんがし)と同じような意味で、ソロバンの割算を示す言葉です。

で、このソロバンの割算の九九ですが、九九というと掛け算の九九になってしまうので、九九の代わりに割り声(わりごえ)とか八算(はっさん)とかいう呼ばれ方をしていたようです。

この九九を使う割算は、1桁の数で割る割り算(たとえば123,456,789÷7など)で使うのですが、割る数の方が2桁以上になると、この「ニ一天作の五」のほかに「見一無頭作九一(けんいちむとうさくきゅうのいち)」等という呪文がもう一組必要になります。

これは「見一」から「見九」まで、割る数の頭の数字ごとに9種類あるんですが。

で、これらの割り算は時代小説では時々みかけることはあるものの、私が学校や会社で習ったソロバンの割算は筆算(紙の上に手書きでやる普通の計算)と同じやり方の割算で、掛け算九九は使いますが、割算九九は使いません。

それでこの「ニ一天作」方式の割算は江戸時代までのもので、明治になって西洋式の数学が入ってきた段階で変わってしまったものかと思っていたのですが、何と昭和30年・31年にソロバンの割り算のやり方が今の方式に統一されることになり、それまでは「ニ一天作」方式が標準的だったということがわかりました。

で、この「ニ一天作」方式をやってみたのですが、これがまた素晴らしく良くできています。通常筆算で割算する時は商(割り算の答)を一桁ずつ決めていくんですが、これが大き過ぎたり小さ過ぎたりでなかなか決めるのが厄介です。ところがこの「ニ一天作」「見一無頭」方式だと、ほとんど頭を使わずに自動的に決まっていきます。これは私にとって新鮮な感激でした。

こんな素晴らしい計算方式を昭和30年代に捨ててしまったのは、本当に勿体ないと思います。

「ニ一天作」を使う、割る数1桁の方はいろいろ解説があって、すぐにわかったのですが、「見一無頭」の方はネットで調べてもいろいろ書いてはあるもののきちんとした説明がなく、結局江戸時代のベストセラーの数学の教科書の「塵劫記(じんこうき)」まで行ってしまったのですが、そこまで行って計算例を確かめてみて、十分納得がいきました。

基本的にはソロバンを使う計算ですが、筆算に置き換えることもできます。
いまやケータイにも電卓がセットされていて、筆算で割算するというのも滅多にないかも知れませんが、興味があったら試してみて下さい。十分楽しめると思います。

必要だったら、いくらでも説明します。