『植物はなぜ動かないのか』-稲垣 栄洋

12月 27th, 2022

この本は図書館のおすすめのコーナーにあったもので、テーマは『人間と植物』というようなものでした。

ちくまプライマリー新書の中の一冊で、主として中高生を対象として書いてあるので読みやすい本です。

名前の最初の「稲」に関係があるのか、著者は農学博士で、専門は雑草生態学ということです。とはいえ植物・動物全般について良く知っていて、わかりやすく説明してくれています。

植物は動かないということで、その前提で様々な進化をし、動物は動くという事で様々な進化をし、動物は植物をエサとしそれに合わせて進化し、植物は動物に食べられるという事を前提にそれを妨害したり利用したりする形で進化したという物語が面白く語られています。

地球が生まれて46億年、生命が生まれて38億年ですが、その後4億7千年前に植物が上陸し、魚類が上陸してその後両生類・爬虫類・恐竜・鳥類・哺乳類に進化していったのが3億6千年前、その植物・動物の上陸後お互いに影響を与えながら進化し、植物はコケ類からシダ類・裸子植物・被子植物、そして草に至り、その草の代表がイネおよびイネ科の植物だ、というような話です。

今まで生物の歴史とか動物の歴史については何度も読んでいますが、『上陸』というきっかけで『上陸後』という視点で見たことがなかったので面白かったです。

この人は多くの本を書いている人で、同じちくまプライマリー新書の中でも『雑草はなぜそこに生えているのか』『イネという不思議な植物』という本も書いています。『イネという不思議な植物』という本ではいわゆる穀物といわれる米・麦・トウモロコシがすべてイネ科の植物で、それ以来でもササ・竹・ヤシなどもイネ科の植物なんだ、馬や牛が野原で食べている草もほとんどがイネ科の植物なんだ、なんて話も書いてありました。

またファーブル昆虫記というのは有名だけれど、実はファーブル植物記というのもあって面白いというようなことも知りました。

イモヅル式読書はいつまで行っても終わりそうもありません。

『国家安全保障戦略』

12月 27th, 2022

いわゆる安保3文書というのは『国家安全保障戦略』『国家防衛戦略』『防衛力整備計画』の3つですが、これに『国家安全保障戦略(概略)』と『国家防衛戦略(概略)』という2つのプレゼン資料が付いています。

何かと話題なので読んでみました。プレゼン資料は、分かっている人が誰かに説明するための資料のようで、これから先に読もうとしても良くわかりません。また3つの文書はそれぞれA4で30頁くらいあるので、まずは『国家安全保障戦略』から読んでみました。この『国家安全保障戦略』のもとで『国家防衛戦略』があり、それに従って『防衛力整備計画』があるというたてつけなので、まずは総論の『国家安全保障戦略』から、ということです。

読んでみて驚くような記述が多数あり、これは私が今まで知らなかっただけの事なのか、今回変わったのか確かめるため、今回の『国家安全保障戦略』の前の平成25年(2013年)の『国家安全保障戦略』も読み、また日本語の意味を明確にするために今回の『国家安全保障戦略』の英字版(National Security Strategy of Japan)も見る事になってしまいました。

で、今回の『国家安全保障戦略』ですが、明確になっているのは、従来の国連中心主義、国連の下で優等生であろうという姿勢をやめて、その代わりに二国間、多国間の協力により世界平和を進めていく方向性をはっきり打ち出して、覚悟と責任感を持って世界をリードしていこうとしている姿勢になっている、という事です。

この段階で、それじゃあ今までの『国家安全保障戦略』はどうだったんだろうと見てみると、ここでは国連中心主義が明確に書かれています。すなわち今回の文書で明確に国連を見限ったということです。

もちろん今回の文書でも国連改革を進める、という方針も書かれていますが、もはや国連だけに頼り切っているわけにはいかない、ということです。安保理の常任理事国であるロシアがウクライナに侵攻し、明確に国連憲章に違反しているというのもちょうどタイミングが良かったのかも知れません。

従来の文書では北朝鮮だけが明確に非難されていたのが、今回の文書では北朝鮮・中国・ロシアが明確に非難されています。

前回の文書ではアラブ原理主義勢力を念頭に、『非国家主体によるテロや犯罪(5~6頁)』というのが大きなリスクとされていますが、今回の文書では『他国の国益を減ずる形で自国の国益を増大させることも排除しない一部国家が、軍事的・非軍事的な力を通じて自国の勢力を拡大し、一方的な現状変更を試み国際秩序に挑戦する動きを加速させている(6頁)』と記載し、ロシア・中国がリスクだとしています。具体的に『他国の債務持続性を無視した形での借款の供与等を行うことで他国に経済的な威圧を加え、自国の勢力拡大を図っている(7頁)』とか『一部の国家が他国の民間企業や大学等が開発した先端技術に関する情報を不法に窃取した上で自国の軍事目的に活用している。(7頁)』など、国名は明記していなくても誰が読んでも中国のことだと分かるような書き方をしています。

インド太平洋地域について『核兵器を含む大規模な軍事力を有し、普遍的価値やそれに基づく政治・経済体制を共有しない国家や地域が複数存在する(8頁)』とか『中国はロシアとの戦略的な連携を強化し、国際秩序への挑戦を試みている(8~9頁)』とまであからさまに記述しています。

日本が協力する国々を表現する『同盟国・同志国等』という、多分今まで聞いたことのない言葉が出てきたので、英文の方で見てみると『 ally, like-minded countries and others』 となっていました。

もう国連中心ではなく同盟国・同志国たちと一緒にやっていくのだ、という意思を表現したものです。

従来ともすれば曖昧なままにされていた『国益(5頁)』とか『国力(11頁)』という言葉を正面から使っているのもびっくりです。

安全保障に関する基本的な原則の中で『我が国を守る一義的な責任は我が国にある(5~6頁)』という言わば当たり前のことを当たり前に明記しているのも新鮮です。

『国力』の主な要素として『第一に外交力である。(中略)大幅に強化される外交の実施体制の下、・・・(11頁)』『第二に防衛力である。(中略)抜本的に強化される防衛力は、・・・(11頁)』として外交力と防衛力を大幅に強化する方針が示されています。

具体的な防衛力強化策としては『現存装備品を最大限有効に活用するため、稼働率向上や弾薬・燃料の確保、主要防衛施設の強靭化により防衛力の実効性を一層高めていくことを最優先課題として取組む(17頁)』としています。

またこの防衛力強化の中に『反撃能力を保有する(18頁)』と書かれ、これは『(憲法上、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるものだが)これまで政策判断として保有することとしてこなかった能力に当たるものである。(18頁)』として、今までとは違うぞと明らかにしています。とは言えこれは『専守防衛の考え方を変更するものではなく、(18頁)』として専守防衛の中で相手が攻撃しようとする場合にはしっかりと反撃するんだという姿勢を示しています。それも、もはや敵基地だけ攻撃しても相手の攻撃を防ぐことにはならないので、『反撃能力』として、より広い目標に対して攻撃する意思を明らかにしています。

この防衛力の強化に関しては『我が国の防衛力の抜本的強化は速やかに実現していく必要がある。具体的には本戦略策定から5年後の2027年までに我が国への侵攻が生起する場合には、我が国が主たる責任をもって対処し、同盟国の支援を受けつつこれを阻止・排除できるように防衛力を強化する。さらにおおむね10年後までにより早期かつ遠方で我が国への侵攻を阻止・排除できるように防衛力を強化する(19頁)』と覚悟のほどを語っています。

そしてそのような『自衛隊の体制整備や防衛に関する施策はかつてない規模と内容を伴うものである。(19頁)』と明らかにしています。

そして『我が国の防衛生産・技術基盤はいわば防衛力そのものと位置づけられるものであることから、その強化は必要不可欠である。(19頁)』『力強く持続的な防衛産業を構築する(19頁)』『官民の先端技術研究の成果の防衛装備品の研究等への積極的な活用、新たな防衛装備品の研究開発のための態勢の強化等を進める。(20頁)』としています。

『サイバー安全保障分野での対応能力の向上』では、『国、重要インフラ等に対する安全保障上の懸念を生じさせる重大なサイバー攻撃について、可能な限り未然に攻撃者のサーバー等への侵入・無害化ができるように政府に対し必要な権限が付与されるようにする。(21-22頁)』とあり、ここでも、守るだけでなく、攻撃こそ最大の防御なりとの考え方が表明されています。積極的に攻撃する能力こそ積極的な防御であり、積極的な平和に向けての行動だ、ということでしょうか。

そして『技術力の向上と研究開発成果の安全保障分野での積極的な活用のための官民の連携の強化(23頁)』として『民間のイノベーションを推進し、その成果を安全保障分野において積極的に活用するために、関係者の理解と協力を得つつ、広くアカデミアを含む最先端の研究者の参画促進等に取り組む。(23-24頁)』として、日本学術会議等の、大学における軍事転用の可能性のある研究を排除する方針を、さらっと明確に否定しています。これで学術会議は国の方針に反する組織ということになるんでしょうか。

今回のこの文書で目立つのが、従来「参加する」・「協力する」と言っていた国際的な課題について、「主導する」、「主導的な役割を果たし続けていく」、という言葉が目立つことです。はりぼての中国のGDP2位をあからさまに否定するわけではないけれど、実質的にアメリカに続くGDP大国の自覚と責任から今までより積極的に諸問題に立ち向かっていく覚悟の表明であり、中国・ロシア・北朝鮮・韓国にとっては戸惑いを覚える文書でしょうね。

ここまであからさまに書いた文書を発表してしまった以上、中国としても今さら林外相を呼びつけて文句を言ってみても懐柔してみても何の効果もない、ということでしょうか。林外相の訪中が急遽中止となってしまいましたね(表向きの理由はコロナの爆発のようですが)。

ここまでの覚悟と自信を持って堂々と主張を明確にしている文書は日本では初めての事じゃないでしょうか。今は亡き安倍さんが構想し岸田さんが継承すると言ったのがこの事だったのか、と思うと、日本もここまで来たか、と頼もしい限りです。

これは『国家防衛戦略』の9頁に書いてある『我が国の意思と能力を相手にしっかりと認識させ、我が国を過少評価させず、相手方にその能力を過大評価させないことにより我が国への侵攻を抑止する。(9頁)』というFDOという戦略の一つのようです。習近平がこれをどのように評価するか、コケ脅しだと思って日米を相手に挑発を続けるのか、日本の姿勢にビビッてしまっておとなしくなり国内での権力基盤を失ってしまうか、見ものですね。

『エジプトの空の下』飯山陽

10月 26th, 2022

飯山さんの本、5冊目が届いたので早速借りて読みました。予想にたがわず素晴らしい本でした。

これまで読んだ4冊はどちらかというと今、世界各国で起きていることの報告やイスラム教理論の紹介だったので、著者の個人的な事々は極力切り捨てて書いたものを、この本では実体験のレポートのエッセイということで、思いきり個人的な体験や感想が盛り込まれています。

著者は2011年から4年間ダンナさんの転勤の都合でエジプトのカイロに行き、一人娘が1歳から5歳になるまでを一緒にカイロ暮らしをしています。時あたかもアラブの春で、エジプトでも革命が起きムバラク政権が倒され、その後しばらくして選挙でイスラム同胞団のモルシが大統領になって、イスラム教による政治を次々に実行し、こんなはずじゃなかったというエジプト人の不満から1年後に再革命でモルシ政権が倒され、軍政が敷かれ同胞団が倒されたというところを現地エジプトで直接体験しています。

飯山さんひとりだったら始終好奇の目・セクハラの目で見られる所、娘を露払いに立てると、周り中の目が娘に集中し、我勝ちに可愛がろうとする、娘の方はちょうど言葉を覚える時にアラビア語エジプト方言(エジプト語)と英語をシャワーのように浴びて一気にトリリンガルになってしまい、著者がさんざん苦労したエジプト語特有の特殊な発音もなんなくこなし著者を悔しがらせるとか、エジプト人の運転手の友達になり一人でお泊りに行き、一杯お土産を貰って帰ってくるとか、楽しい話もたっぷり入っています。

またエジプトで比較的新鮮な野菜と魚をどうやって手にいれるか、基本的にキロ単位でしか買えない食材をどうやって保存したり分けっこしたりするとか、駐在日本人達でソフトボール大会を開き、著者の入っていたメディア関係者チームが何年かかっても一度も勝てなかったのが、著者がエジプトを去ったらその年に念願の初勝利が実現し『ファラオの呪いだ』なんて話が出ています。

一方マスコミの仕事で、武装闘争派のイスラム教の有名な指導者のテレビインタビューを行い『お前は全身が恥部だ』、『お前はカメラマンの後ろに隠れて下を向いていろ、直接私を見てはいけない』なんて言われたりしています。

アパートの目の前の木が倒れ、それを片付けるためにチェーンソーで切ったら、別の人がその下敷きになって死んだとか、道を歩いていてミシミシ音がするので走って逃げたら、今までいた所に3階のベランダが落ちてきたとか、日本では滅多にないような体験もいくつもあります。

イスラム教では聖戦(ジハード)で死んだ人だけでなく災害で死んだ人も最後の審判を待たずに即時に天国に行けるということで、災害による死というのはそれ程深刻に受け取られないというのも初めて知りました。

著者は滅多に入れないスラムにも入って住人と仲良くなり、スラムの暮らしについても報告してくれます。人口の20%がスラム暮らしで、そこから抜け出す方法がない、というのも大変なことですね。

著者のエジプト滞在は第二革命でモルシ政権が倒れる所までですが、日本では一般に『軍事クーデター』という事になっているものが、実は国民の反政府運動で政権を倒したもので、最後に軍がその革命を完成させた、という事のようです。その意味で本当に国民による革命だったようです。

我々には『イスラム過激派のテロ』というのはヨーロッパ・アメリカで多く起きているというような印象がありますが、実はそれを遥かに上回る頻度でイスラム過激派と世俗的イスラム政府との間で、アラブ・イスラム諸国で起きているんだという事も、言われてみればすぐに納得なんですが、言われるまで気が付かないということも良く分かりました。

とまれ、こんな国に1歳児の娘とダンナさんと一緒に乗り込み、何度も生命の危険にさらされ、またケチョンケチョンに貶められるという経験をした人ですから、日本でノホホンとして暮らしていた人達(ひろゆき氏や日本のイスラム教学者の先生方)が逆立ちしたって敵うわけがありません。

ということで、今まで読んだ飯山さんの本の中で一番面白い本でした。

お勧めします。

『武玉川 とくとく清水』田辺聖子

10月 26th, 2022

開架式の図書館の良い所は思いもかけない本が目に飛び込んでくることで、この本はオクさんのために軽い読み物を借りていってやろうと見ていてたまたま見つけたものです。

武玉川(ムタマガワ)というのは江戸時代、川柳の柳多留(ヤナギダル)が出版される15年ほど前に、俳諧の連句の中から、前句と切り離してその句だけで味があるものを取り出した句集です。

連句というのは五七五の発句から始まって、五七五には七七の句を、七七には五七五の句を付けていき、20句とか100句とかいろいろな数の句を並べた所で、最後のあげ句に至るという言葉遊びですが、その中から面白い句を選び出しているため、五七五の句も七七の句も入っています。

その中からさらに面白そうな句を取り出し、著者の田辺聖子がコメントをつけるというか解説をしているものです。もともとの武玉川は数百の句がずらっと並んでいるだけのものなので、一つ一つじっくり読んでいくならそれも面白いんでしょうが、この田辺聖子の本はそれをされに選りすぐり、好き勝手な感想を述べているもので、読むほうも好き勝手に面白がることができます。

川柳というのはこの俳諧の連句の練習のため、選者が七七の句をお題として出し、それに付ける五七五の句を募集し、その中から面白いものを集めたものです。

武玉川は連句の中から句を抜き取っているので、それぞれの句にはそれを付ける前句があります。もともとはその前句とそれに付ける付け句の付け方の面白さを楽しむものだったのが、付け方より付けた結果の、付け句自体の面白さを楽しむということで、武玉川の句集ができたようです。そのため本来は付け句集としてそれぞれ前句も明らかにして、この前句にこの付け句、とする所、思い切って前句を端折ってしまい、付け句だけを集めて出版したということです。

五七五の世界はそれなりに面白いのですが、さらに短い七七だけでこんな句もありか、という面白さがあります。七七の句はなかなか目にしないので楽しめました。

川柳というのはそれなりにかっしりしているのに対し、この武玉川の方は七七の句も五七五の句もどちらもゆったりと余裕のある面白さでした。

新書で気軽に読めるのでお勧めです。

『イスラームの論理と倫理』中田考・飯山陽

10月 20th, 2022

前回の『イスラム教の論理』に続いて飯山さんの本をさらに3冊読みました。
2冊目は『イスラム2.0』という本、次に『イスラム教再考』、4冊目がこの『イスラームの論理と倫理』という本で、この本だけ飯山さんと中田さんの共著という形になっています。

出版の順番は4番目に読んだ『イスラームの論理と倫理』が3番目で、その後『イスラム教再考』が出版されています。

『イスラム2.0』というのは『イスラム教の論理』でも書いてあった、インターネットの世界になって誰でもコーランやハディース等の原典に直接アクセスできるようになり、またいろんなイスラム法学者の発言にも簡単にアクセスでき、信者どうしもSNSで交流することができるようになった状況をコンピュータのOSになぞらえて、『それ以前のバージョン1.0がバージョン2.0にアップグレードされたんだ』と表現し、その結果世界各地のイスラーム教国家がどのように変化しているのかという報告です。

これに引き続く『イスラームの論理と倫理』では飯山さんと日本のイスラム学界の権威とされる中田考さんの対話という形になっています。

最後の『イスラム教再考』ではこれに引き続き飯山さんが日本のイスラム学界の人々を次々にヤリ玉に上げていきます。イスラム学界の人でなくても、池上彰さんや『現代の知の巨人』の前ライフネット生命の社長・会長の出口さんまで何度も登場してヤリ玉に上がっているのもご愛敬です。

で、この『イスラームの論理と倫理』ですが、本の扉には『妥協を排した書簡による対話』となっていますが、実際のところまるで対話になっていません。

飯山さんがそれぞれのテーマについて真面目に考察し、日本として日本人としてどのように考えたら良いのか検討するのに対し、中田さんは業界の権威であるという立場から飯山さんを徹底的に見下すように自分勝手な議論を展開し、殆ど誰も知らないようなことを書き散らしていかに自分が何でも知っているかみせびらかし、飯山さんのことはあくまで『飯山さん』と言って素人扱いしています。

飯山さんはさすがに中田さんを常に『中田先生』と言ってはいますが、その代わり最後の書簡では『「往復書簡」における中田先生の文章は晦渋さと曖昧さに満ち、冗長で要を得ません』と明確に言ってのけています。念押しに『この中田さんの文章を分かったふりをする必要はありません。・・・曖昧な文章はどこまでいっても曖昧であり、それを分かることなどできないのです。』とまで言っています。

中田さんの方は最後の書簡でもその前の続きのコロナウィルスに関する話を延々と繰り返し、何とかしてそれを反日・反米に結び付けようとしています。

ということで、他に例を見ないような『対話』ですが、中田さんがいかに議論をずらし、捻じ曲げて自分を偉く見せようとしているか、イスラム世界の話をいかに反日・反米につなげるか見てみようと思う人には楽しめると思います。

飯山さんはこの本と、続く『イスラム教再考』でイスラム学界のほとんどの人をヤリ玉にあげるというとんでもない喧嘩をしている人ですから、いろんな人にからんで人気を博しているひろゆき氏がちょっとちょっかいを出したくらいじゃ相手にならないのは当たり前ですね。

あくまで論理的な飯山さんの議論と、山ほど知識はあるものの論理的な思考ができず、その知識をひけらかしながら駄弁を弄し、情緒的に反日・反米をたくらむ中田さんの対比を楽しみたい人にお勧めします。

これで飯山さんの本を4冊読み、残りは2冊。
アラブの春の下でエジプトのカイロで暮らした体験記の『エジプトの空の下』と最新刊の『中東問題再考』です。最新刊の方は順番が回ってくるのに半年以上かかりそうな塩梅ですが、『エジプトの空の下』の方はもうすぐ借りられると思います。楽しみです。

『イスラム教の論理』飯山陽

10月 12th, 2022

この本の著者の飯山陽(イイヤマアカリ)さんは、ツイッターの投稿や虎ノ門ニュースでの発言を見ていてなかなか面白いなと思っていたのですが、あの2チャンネルを作ったひろゆき氏がネット上でこの飯山さんにいちゃもんをつけ話題になっていたので、この際飯山さんの書いた本を読んでみました。

図書館で在庫のあった6冊に予約を入れ、すぐに借りられた3冊のうち最も早く出版されたのがこの本で、まずはこの本から読んでみました。

読んですぐ『こんなことを書いてしまったのか』とびっくりしました。多分イスラム教を真面目に勉強したらすぐに分かることだけれど、従来、絶対に言ってはいけないとされていたことを平然とあからさまに書いてしまった、ということです。

案の定、飯山さんはイスラム教学者や中東問題の専門家たちからはコテンパンに非難・攻撃されたようです。

専門家たちに総スカンにされて平然と反論し続けてきた人ですから、聞きかじりの知識でいちゃもんをつけてきたひろゆき氏がかなうわけがありません。簡単に反撃され、目隠しにひろゆき氏はさっさと沖縄にわたって反基地運動の座り込みと称している場所に行ってネットを炎上させ、飯山さんに負けたことから見事に逃げおおせています。

で、飯山さんの言っているのは何かというと、イスラム教の前提となるのは『人はすべて神の奴隷であり、すべて神の命じるままに行動しろ』ということで、この神の命令には『人は正否の判断をすることができないので、無条件で従うのみだ』ということです。これまで一般のイスラム教徒にははっきりと示されなかったことがインターネットの発展により、イスラム教徒がコーランやその他の情報に直接アクセスできるようになり、またアラビア語で書かれ多国語に翻訳することが禁止されているコーランを、ネット上で好きなように自国語に翻訳して読むことができ、SNS等で自分の近くにいるイスラム法学者だけでなく他の人の意見も見聞きすることができるようになり、『イスラム国』などはその状況をフルに活用して様々な情報を動画で世界中にバラ撒いているということです。

この本の題名の『イスラム教の論理』に使われている『論理』という言葉も重要です。イスラム教というのは非常に論理的な宗教で、根拠となるのはコーランとムハンマド(マホメット)の言行録であるハディースのみで、あとはすべてこれから論理的に引き出してくるものです。キリスト教のカトリックでは法皇という神の代理人がいて、判断に迷ったときは正しく判断してくれる、ということになっているんですが、イスラム教ではムハンマドが最後の預言者だということになってますから、何が正しくて何が正しくないか判定してくれる人はもはやいないということです。

もちろん『イスラム国』がやっている戦争や自爆テロや女性虐待や異教徒の虐殺など一般的にとんでもないと思われていることも、論理的には正しい、ということになります。すなわち上記の前提となる考え方から論理的に引き出されてくるものだ、ということです。

これは確かに論理的に正しいのですが、感覚的に受け入れられないことを論理的に認めることができる人があまり多くない、ということかもしれません、論理の前提となる考え方が違うだけなんですが、論理だけで考える、というのはなかなか難しいのかもしれません。

例えばこの本には『働く女性は同僚男性に5口の母乳を飲ませよ』という話があります。職場でセクハラを防ぐために擬制的に自分が同僚男性の乳母であるかのようにしてしまうことにより、コーランに従ってセクハラができないようにしてしまう、という話です。こんなところまで論理的に説明してしまうのか、とあきれてしまいます。キリスト教にも『針の上で天使は何人踊れるか』という話があります。こちらは単なる絵空事の議論ですが、イスラム教のほうは現実的な議論です。

この飯山さんの本を読みながら思い出したのが、キリスト教のプロテスタントの宗教改革と新教・旧教の宗教戦争です。

西洋のルネサンスでグーテンベルグの活版印刷の技術が普及・発展し、まず大量に出版されたのが聖書で、それまで教会に独占されていて教会で神父の説教の時に断片的に読み聞かされるだけだった聖書が、ちょっとした金持ちなら自分で買って自宅で自由に読むことができるようになったということ、それによって信者が直接神と結びつくことが可能になったこと、また宗教戦争の時はアジビラを印刷して大量にバラ撒くことが可能になり、もちろんそれほど識字率は高くなかったとしても、居酒屋で字の読める者がそのアジビラを読み上げて他の人が聞くという形で情報が急速に拡散していくことが可能になったという状況、これらは上記の、ネットの発達でイスラム教の原理主義が急速に発展した事と何やら良く似ていると思います。

キリスト教の新教・旧教の戦争ではヨーロッパ中でお互いに殺し合いが何百年か続き、お互いにくたびれ果てて殺し合いは少なくなったようですが、今回のイスラム教とそれ以外の宗教あるいは無宗教との戦いも何百年か殺し合いが続くんでしょうか。やっかいな話ですね。

ということで、イスラム教に関するきちんとした説明です。とはいえ、とことん論理的な思考、というのはなかなか抵抗があるかもしれませんね。

お薦めします。

「詐欺メール」

9月 28th, 2022

私の使っているメールアドレスには毎日100通くらいのメールが来ます。とはいえ実質的に必要なメールは数通くらいで、残りは念のための連絡メール、DM等の不要メール、そして詐欺メールです。

不要メールについては即座に削除するのですが、詐欺メールについてはそれ用のフォルダーを用意し、そこに放り込むことにしています。

ひと頃大はやりだったものは、『オマエのPCを数か月前から乗っ取っている。オマエのPCのすべてを乗っ取っている証拠にこのメールの送信者を見ろ。オマエの名前とオマエのメールアドレスになっているだろう。オマエがネットでいかがわしいサイトを見ながらいかがわしい事をしている所を画面とPCのカメラで撮影して記録を取っている。これをばらまかれたくなければ〇〇ドルをビットコインで送金しろ。何しろオマエのメールソフトも乗っ取っているから、オマエの普段メールのやり取りをしている人達のメールアドレスもこっちはちゃんと抑えてあるんだぞ。オマエが48時間以内にそれだけ送金すればすべての記録を削除し、今後迷惑をかけない。今後はPCを乗っ取られないように注意しろ。』というような内容のものです。

このタイプの詐欺メールもメール文面の日本語も今ではかなり洗練され、違和感のない日本語になっています。この送信者名や送信者のメールアドレスというのは結構簡単に好きなように書くことができるものです。このタイプの詐欺メールは、文面の日本語のおかしな所と要求している金額の変化を見ながら楽しんでいました。

このタイプのメールは近頃では殆ど来なくなり、代わりに来ているのがクレジットカードの登録内容の確認を求めるメールや、インターネットの各種サービスの登録内容の確認を求めるメールです。登録内容がおかしいとか、不正に使われた形跡があるとか、このままではサービスが使えなくなるとかいろいろ言って、文中に埋め込んであるリンクを押して相手のサイトに誘導しようとするものです。特にしつこいのが『Amazon』と『えきねっと』です。

手を変え品を変え、このままではサービスが停止されるので確認しろという文面のものがいろいろ来ます。差出人の所には『Amazon』とか『えきねっと』とか尤もらしい名前が入っています。でもそのメールアドレスを見るとたいていが最後が『.cn』になっていて、中国のアドレスになっています。どうせやるならもっとちゃんとやれよな、と思うのですが、たぶん差出人名は見てもメールアドレスを見る人はあまりいないという事でしょうか。そこまできちんと対応しているものはあまりありません。

一つ面白かったのは『えきねっと』というのは『eki-net.com』というアドレスが本物のアドレスのようなんですが、これを真似て『eki-net.com.jp』などというアドレスも使ってありました。まあ殆どは『.cn』のアドレスですが。

こちらとしては毎日100通近いメールを削除したり別フォルダーに移したり手間をかけているんだから、詐欺メールを送りつける方ももう少し真面目にちゃんとやってもらいたいと思ったりもするんですが、先方はそんな所には手間をかけてもしようがない、そんな所を気にするようなヤツはほとんどいない、という事でしょうか。

「古代ローマ人の24時間」―アルベルト・アンジェラ

9月 16th, 2022

以前紹介した「古代中国の日常生活(原題は古代中国の24時間)」の続きで、図書館で検索したら古代中国の他にエジプトとローマがヒットしました。

エジプトの「古代エジプト人の24時間」は中国の「古代中国の日常生活」と同じ24時間シリーズの中の1冊で、時代は3500年前ということなので、年代的にはかなりさかのぼりますが、「古代中国の日常生活」と同様、1日24時間の1時間ごとに別々の人物を登場させ、その人が何を考え・何を悩みながらどんな仕事をしているか、紹介しています。「古代中国の日常生活」と違って、このエジプト編では前の方の話で登場した人物が後の方で主人公として登場したり、あるいは前の方の話で主人公だった人物が後の方で登場人物となったりしています。

同じ古代といってもかなり年代が違っているはずなのに、墓盗人が登場したり、墓作りが登場したり、また王妃やその使用人が登場したりして、エジプトと中国は良く似ています。

これに対してこのローマの方の話はこの24時間シリーズの本ではなく、「古代ローマの一日―その日常生活、謎、魅力」という原題の翻訳のようで、とはいえ時代設定が西暦115年ということで、24時間シリーズの中国の分とほぼ同じです。

本の内容は24時間シリーズと同様、ある1日の朝から夜までの1日を描写しているのですが、24時間シリーズでは1時間ごとに様々な仕事・立場の別々の人を主人公として、その人が何を考え・何を悩みながら仕事をしているかを書いているのですが、この「ローマ人、、、」の方はむしろローマという都市の様々な場所に注目し、その場所でその時何が行われているかを描写しています。

著者はタイムトラベラーとなって西暦115年のローマに行き、そこで丸1日街のいろんな所に行き、いろんな生活を見物します。

夜明け前ローマの街中を歩き、防火隊の夜回りを見たあと、次に金持ちの大邸宅を見て奴隷たちが働き始めるのを見、主人達家族が朝の身支度をするのを見物します。ローマ式の服の着方や女性のヘアスタイルなども説明してくれます。朝食のあと、朝の表敬訪問で多くの人々が邸宅を訪ねてくる様子を見せてくれます。ここで著者は急に上空に舞い上がり、空の上から明けていくローマを見渡します。雲の中から七つの丘が浮かび上がり、次第に光が届き始め、大きな建物が現れ、街が見えてきます。ローマという街の地理的成り立ちが説明され、その後また街に降り立ち街歩きを始めます。著者は多くのテレビ番組の制作をしていた人のようで、視点の取り方がいかにもテレビのドキュメントのようです。

大邸宅のあと、著者は理髪店を通り過ぎて集合住宅に移ります。一階は商店、二階は邸宅を構えるほどではないとしても金持ちが住んでいますが、三階以上は違法建築のような好き勝手に建て増し増築を繰り返し、また貸しにまた貸しを繰り返した、文字通りスラムになっていて、一階には汚物入れの桶が置いてあり、上の階から毎朝トイレ用の桶をそこまで運んで中身を捨てるようになっているにも関わらず、そこまで運ぶのが面倒くさくなると上の階の窓から中身を通りにブチまけるという、花の都パリと同じようなことをやっていたようです。

次に著者は市場に行き、家畜市場から奴隷市場、路上の学校・神殿・書店・裁判所・元老院、コロッセウムでの公開処刑・剣闘士の対決などなどを見た後、夜になって大邸宅の宴会に紛れ込みます。ここで皆で寝そべって飲食をするローマ流の宴会のやり方の説明があります。最後は真夜中、人通りのなくなった通りを歩きながら、人々がどこでどのように寝ているかという所で1日が終わります。公衆トイレ・公衆浴場・商店・飲食店(バール)にも立ち寄り、人々が何をしているのか説明があります。

商店の所ではローマでは両手の指で4桁の数字をすべて表すことができたということで、図入りの説明があります。いくら何でもそんな事無理だろうと思っていたのですが、図を見て納得です。左手の中指・薬指・小指で1の桁の9個の数字を表し、親指と人差し指で十の桁の9個の数字を表し、右手の中指・薬指・小指で百の桁の9個の数字を表し、親指と人差し指で千の桁の9個の数字を表す。このようにして両手の10本の指で4桁9999までの数字を表すことができるというあんばいです。

公衆トイレの構造や用を足したあとの始末の仕方(ある意味、実質的に水洗トイレになっています)、公衆浴場の構造や入り方、コロセウムでの競技の様子など、さすがにテレビに携わる人ですから非常に具体的に説明してくれます。

前のエジプトや中国の24時間シリーズの本と違うのは、ローマはやはり世界的帝国で帝国の外や周辺の多くの国・地域から人や物を集めることによって成り立っている国で、道を歩く人も人種・民族、その他多種多様で、それがローマという大して広くもない都市に集中してごった返しているという姿です。

このような姿は塩野七海さんの「ローマ人の物語」や他のローマの解説書ではなかなかお目にかかれないものです。

それほど多くはないのですが、所々にいくつもの絵も付いていて、なかなか楽しめます。

文庫本で、本文だけで540頁とちょっと大部な本ですが、興味のある人にはお勧めです。

PC移行

8月 23rd, 2022

私が今メインで使っているPCはWindows8.3のPCなんですが、近頃『Windows8.3のサポート期間終了のお知らせ』というメッセージが出るようになりました。とはいえ終了は来年の1月ですからまだ十分時間的余裕があるというか、そろそろ準備を始めなければというか、微妙なタイミングです。

今の所お金を貰ってコンサルティングをしている以上新しいPCを買うかな、としたらどんなものにしようかな、と思ってフト気が付いたら、2年前、会社を閉めるとき、こんなこともあろうかと思って、新しいPCを会社のお金で買って用意していたことを思い出しました。

その新しいPCはMacのPCでその上でWindowsを走らせる事ができるようにしてあるもので、これを使ってMacPCの経験もすることができるしWindowsの移行もできると思っていました。

その後会社を閉める作業と大宮にオフィスを用意して引っ越しをする作業に予想以上に手間取り、それが一段落した1年前から、ようやく暇を持て余すようになったので新しいPCで遊んでみようかと思っていたら、足の骨折と個人事業の確定申告・修正申告・経理システム作りに手間がかかって、新しいPCはe-Taxの申告書作りと虎ノ門ニュース視聴専用のようになってしまい、それ以外はこれまで使っていたWindows8.3のPCをもっぱら使っていました。

で、Windows8.3が使えなくなるということになると、ほぼ自動的に新しいPCを用意してそこにWindowsの10あるいは11を入れて、その他のソフトも新しいPCに移行して、と考えていたのですが、新しいPCが既にあるということになると、じゃあそのPCに今のPCから必要なものを全て移行しようかと思って、その作業のリストアップを始めました。

インターネットのブラウザとメールは当然移さなければならないんですが、他にもファイル転送のffftpとかdelphiの開発環境や、今いろいろいじくって遊んでいるPython関係などいろいろあるな、まあ時間がかかるけど1つ1つ移していけば何とかなるか、と思っていました。

ブラウザは、以前はFirefoxを使っていたのですが、いつのまにか試しに使ってみたgoogle chromeの方で殆ど作業しているのでそれを移そうかと思ったのですが、移行に必要な設定ファイルを見てみたらとてつもないボリュームのファイルとなっていて、chromeは一体何をやっているんだろうと思い、この際昔使っていたFirefoxに戻すことにしました。

メールは以前からThunderbirdを使っていて、新しいPCにも試しにいくつかのアカウントを設定してのですが、これに今使っている他のメールアドレスのアカウントを追加することにしました。この機会に今は殆ど使っていないアカウントは新しいPCには入れないことにしました。

ffftpは新しいPCには同じソフトの最新のバージョンをインストールして使うことにしたんですが、新しいPCでアカウントを設定する所でそれぞれのアカウントのパスワードを再確認して改めて入力しなければなりません。と思ったら、こちらも設定ファイルをコピーするだけで一発で移行作業が終わりました。

ブログの更新はブラウザ上で行っているので、特に移行作業は不要です。

で、他のソフト等ですが、良く考えてみたら別に新しいPCに移さなくても今までのPCで作業ができないわけじゃないし、入出力で必要な場合は新しいPCと今のPCでUSBメモリーでファイルをコピーして受け渡しすれば良いじゃあないかと思いついて、これで行くことにしました。これで今まで溜め込んでた有象無象のデータはそのまま今のPCとその外付けハードディスクに残して、必要に応じて新しいPCにコピーすれば良いし、最後に仕事を辞める時が来たらPCごと全て消去すれば良いと思いつきました。PCを使ったいろんな作業でdelphiを使っているものは今まで通り今のPCでやれば良いし、これでかなり気が楽になりました。

勿論このやり方は一時しのぎの時間稼ぎの先延しでしかないのは分かっていますが、私自身いつまで今のまま仕事を続けるか、続けることができるのかも分かりませんので、ここはこれが正解かなと思っています。一時しのぎでしのぎきれなくなったらその時はその時です。

まあその時にはPCの移行なんてしんどい作業をする気力はもう残っていないでしょうから、その時は全て捨てるということになるんでしょうね。そう思ったら何やらその日が待ち遠しいような気になりますね。

『孔子画伝』加地伸行

8月 16th, 2022

孔子が死に、司馬遷が史記を書いて孔子の伝記を記述し、それを元にその伝記の様々な場面を絵にするということが始まり、断片的な絵ではなく、孔子の生涯を通した絵による伝記、すなわち『絵伝』が作られるようになり、それが『聖蹟図』と呼ばれるようになったようです。種々様々な聖蹟図が作られたようですが、その一つに何延瑞(カテイズイ)という人の作ったものがその後マネされて流布したようです。絹の布にカラーで描かれたものですが、それを元に1500年代に薩摩の島津家久が日本の画家にカラーで描かせたものもあるようです。

これは現物は見つかっていないけれど、それの白黒写真を日本で出版した物が残っているようです。また、なくなったと思われた『何延瑞本』を元にした絹本が孔府で見つかったということです。

で、この本ではこのカラー版の何延瑞本と白黒の家久本の図像に加地さんが解説を加え、適宜その他の聖蹟図からの画像も加えています。

2ページ見開きでカラーの何延瑞本の画を写し、次の2ページで家久本の画とその他の画、そして加地さんの解説という4頁1単位の構成です。

この本は加地さんの『孔子』でも文庫版あとがきで、『この「孔子画伝」を本書と併せて読んで頂ければ幸いである。』と紹介しています。

画伝は基本的に史記の孔子伝によっていて、他に様々なものから題材を取っていて、ほとんどが今までの孔子関係の本で既に読んだものですが、初めて見るものに一つ、『丘陵の歌』というものがありました。流浪の果て、最後に魯国に帰る時に、孔子が生涯を顧みてこの歌を作ったという事ですが、孔子が作った歌というものは初めて見ました。

4字×16句(あるいは(4字+4字)×8句)といった形のもので、孔叢子(クゾウシ)という本に載っているもののようです。長年がんばってきたけれど、なかなかうまく行かなかったなあ、というようななかなか味わい深い歌です。

全体の構成は
 第1画 孔子の母親が尼山に向かって子供ができるよう祈る
 第2画 母親のところに麒麟がやってきて、生まれて来る子は王になる、と
     お告げを告げる
 第3画 誕生日には5人の神仙と2匹の龍が現れる

から始まって

 第35画 孔子の死後、弟子達は墓の近くで3年(実質2年)の喪に服し、子
      貢だけはその倍の6年(実質4年)の喪に服した。
 第36画 その後、戦国時代を経て秦が天下を統一し、始皇帝の死後、項羽と
      劉邦が秦を倒し、最終的に劉邦が勝って漢帝国をつくり、その初
      代皇帝高祖(劉邦)が旅の途中孔子の廟に立ち寄って羊・牛・豚
      を一頭ずつ捧げて盛大に祀った、
という場面で終わっています。

第2画、第3画はキリスト教の、マリアへの受胎告知・イエスの誕生日に東方から三人の博士がやって来て礼拝した、という話と何やら似た話ですね。

何延瑞本のカラーの絵と家久本と、基本的に同じ構図の絵なんですが、日本で日本の画家、等林が描いたというだけで、微妙に違っているのも見所です。この等林という画家がどのような人なのか、というも良くわかっていない人のようです。

私は基本的に絵(がたくさん入っている)本が好きで、国富論の訳を選ぶ時も挿し絵がたくさんあるものを選んだり、一遍上人の絵伝『一遍聖絵(イッペンヒジリエ)』を読んだり(見たり)しているんですが、この『孔子画伝』も面白く読めました。

絵がたくさん入っている本が好きな人にお勧めです。