Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

『古代中国の日常生活』-荘奕傑

月曜日, 8月 15th, 2022

一連の孔子関係の本を読んで、その頃の中国というのは、人々はどういう生活をしていたんだろう、と思っていたら、お誂え向きに図書館の『新しく入った本』コーナーにこの本が入ってました。

元の題は『24 Hours in Ancient CHINA』 という本で、このCHINAの所が、Athens, Rome, Egyptになる本と合わせて4冊のシリーズ本のようです。CHINA以外の本も翻訳されているかどうかはわかりませんが、とりあえずはCHINAだけあればOKです。(ネット調べたらローマとエジプトについては訳があるようです。と思って図書館で借りてみたら、エジプトの方はこのシリーズの本の訳ですが、ローマの方は別の本の訳が似たような題になったもののようです。)

著者は荘奕傑(ソウエキケツ)という人で、ケンブリッジ大学で考古学の博士号を取り、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの考古学研究所で中国考古学の准教授をしている人で、中国・東南アジアの古代史の専門家のようです。

舞台にしているのは紀元17年、前漢と後漢の間にはさまれた新という、王莽(オウモウ)の時代ですから、孔子の時代よりはかなり後になりますが、まだ古代ではあります。司馬遷の時代より100年位後になります。

この年のある日の24時間に、様々な仕事をしている人々が何を考え何をしていたかを1時間単位に24人登場させて、その社会を表現しています。

登場人物は、医者・墓泥棒・産婆・馬丁・主婦・青銅器職人・運河労働者・教師・織り子・墓の彫刻師・製塩職人・祭官・烽火台長・穀物貯蔵庫の管理人・伝書使・農夫・労役刑徒・レンガ職人・料理長・后付きの女官・史官・舞人・王女付き女官・兵士と、普通なかなか歴史の本には出てこない人達です。
とはいえ山ほどの資料の中から少しずつ情報を集めれば、それなりに当時の様々な人々の日常生活を描き出すことができるようです。

これらの人々が何を心配し、何に不満を持ちながらそれぞれの役割を果たしていたかを、活き活きと書いてあります。

孔子の時代はこれより数百年前の時代ですが、それでも孔子の時代を思い浮かべるのがかなりやりやすくなります。

この時代、まだ基本的には農業の時代で殆どの人は農民だったわけですが、それでもこれだけ様々な役割の人がいたということは改めて大変なことです。

ということで、孔子や論語を読む参考資料としてお勧めします。

『孔子』-加地伸行 『孔子伝』-白川静 

火曜日, 7月 26th, 2022

この前書いた駒田さんの本が面白かったので、更に孔子の伝記の本を2冊読んでしまいました。
加地伸行さんの『孔子』と白川静さんの『孔子伝』です。

駒田さんの本が孔子の伝記というより、法家思想との関係・老壮思想との関係・エセ君子との関係というテーマ毎に書かれているので、全体を通じた孔子の生涯を読んでみたい、と思ったわけです。

加地さんの本は加地さんが大学を出る時に書いた卒業論文に対して、恩師の吉川幸次郎から与えられた3つの宿題の一つについて答案として書かれたものだということで、孔子が死についてどう考えていたが、ということがテーマになっています。

孔子の生涯を全て把握した上で、論語の言葉をどこで、どの時、どのような状況で、誰に対して語った言葉かを一つ一つ確認し、その上で孔子の生涯を描いています。若く血気盛んだった時の言葉と年老いてもう政治の第一線に立つことはないだろうと思ってからの言葉、自分の跡を託すつもりだった人々に次々に先立たれ、自らの生の終わりもすぐそこに見えるようになって語った言葉、それぞれに味わいがあります。

白川さんというのはあの『白川漢字学』の白川さんです。その白川さんの本は、その漢字の研究を通して中国の古代社会を明確に見すえ、その社会に生きた人物としての孔子の生涯を描いています。

この本、しょっぱなに次のような文章が出てきます。
『孔子の人格はその一生によって完結したものではない。それは死後も発展する。孔子像は次第に書き改められ、やがて聖人の像にふさわしい粉飾が加えられる。司馬遷がその仕上げ者であった。』
また『司馬遷は「史記」に「孔子世家」を書いている。孔子の最も古く、また詳しい伝記であり「史記」中の最大傑作と推奨してやまない人もあるが、この一篇は「史記」のうちで最も杜撰なもので、他の世家や列伝・年表などとも、年代記的なことや事実関係で一致しない所が非常に多い。』とも書いています。

孔子の生きた中国古代社会を明確に描くことにより、孔子の行動も語った言葉もまた味わいが違ってきます。周の封建制が終末に向かい、封建各国で下剋上で家臣が君主の権力を奪い取るいわゆる春秋の時代、国の枠をこえて集団で動いた盗(これは、『盗人』のことではなく、『政治亡命者』という意味のようです。)、あるいは群不逞の徒と呼ばれる集団、その例としての儒侠とか墨侠の集団の話(孔子軍団も墨子軍団もどちらもある意味大規模な任侠団体だった、ということ)。孔子の死後孔子の教えを継いだ荘子・孟子・荀子等の話。様々な流派の学者を斉の稷(ショク)門の近くに集め議論させた『稷下の学」の話。孔子の死後どのように論語ができたか、その過程で孔子の言葉がどのように広められ追加されたか、封建各国が互いに戦い合って国を大きくし合い、ついには秦による天下統一に至るいわゆる戦国の時代、韓非子の法家を指導原理とする秦帝国が亡びて前漢の武帝が儒教を国教としたことによって儒教の権威が確立されます。

孔子が周の周公を理想として立てたのに対して、墨家がその前に禹を立て、孟子がさらにその前に堯舜を立て、さらに道家がその前に黄帝を立てる、という『加上』の説の話も面白いものです。だとすると孔子にとって周公というのはいったい何だったんだろう、というのが今後論語を読むときの一つのテーマになります。

その後、辛亥革命による中華民国成立により儒教は過去の遺物のようなことになりますが、郭末若(カクマツジャク)により再評価され、それが中国共産党のいわゆる文革により自己批判をさせられ、その後いわゆる三人組の文革派が淘汰されて復活し、さらには天安門広場での共産党権による学生・市民の虐殺まで、この本はかなり幅広い時代を取り扱っています。

本文はさすがに学者の論文(純粋の論文ではないけれど、論文のような書き方です。)という形でなかなか歯ごたえがありますが、文庫本にはついている著者による『文庫本あとがき』(7ページ)、その後に付いている加地伸行さんによる『解説』(11頁)だけでも十分読む価値があります。

私は昔から悪い癖で、本を読み終わってから買うというのがあります。最近では本はもっぱら図書館で借りて読むことにして買う事は殆どないのですが、今回の一連の孔子関係の読書で結局4冊も買う事になってしまいました。と言っても全て文庫本の古本ですから大した費用ではありませんが。駒田さんの本、今回紹介した2冊は3つ共読み終わってから買う事になりました。加地さんの論語はまだ読み終わっていないで買った本です。いずれも再度再々度じっくり読んで楽しみたいと思います。

ということで、どちらもお勧めします。

『論語』 

火曜日, 7月 12th, 2022

前々回、孔子に関する駒田さんの本を紹介しましたが、この本を読んで、『論語』の読み方について専門の儒学者達がいかに好き勝手あるいはいい加減に論語を読んでいるか知り、これなら自分も自分勝手に読んでみようか、と思うようになりました。

『論語』については解説書や断片的な本はこれまでも色々読んでいますが、全体を読んだことはありません。で、『論語』全体を読んでみようか、と思い至りました。

となるとどの本を読むかですが、基本的に原文・読み下し文・現代語訳という3点構成になっているのは共通で、著名な中国語学者・中国文学者・中国哲学者による全訳はいくつも出ています。

この前の本の流れで、できれば駒田信二さんの本があれば良いのですが、どうもそのようなものはなさそうです。

となると次の候補は加地伸行さんの本です。
加地伸行さんというのは儒学者であり、仏教の専門家であり中国語学者であり、予備校で漢文の人気講師でもあった人で、儒教に関する解説書もいくつも書いている人です。

この人の『論語 - 全訳注』というのが講談社学術文庫から出ています。
文庫本542頁で、うち100頁弱が索引になっています。
漢字一字で検索できる『手がかり索引』26頁、良く引用される、例えば『朋(トモ)遠方より来たるあり』のような『語句索引』55頁、さらに『人名索引』5ページ。これだけ索引が付いていると有難いです。さらに本文中の注にはかなりの数の図が付いています。

で、この本を基本として読んでいこうと思うのですが、論語というのは孔子およびその弟子たちの断片的な言行録の寄せ集めですから、順番に読んでいく必要は全くありません。適当に開いてみて気にいった語句が出てきた所でその語句を紹介していこうと思います。もちろんその解釈にはいろいろ専門家の説もありますが、それはあくまで参考までということにして、自分勝手に解釈して自分勝手に気に入ったものを紹介していこうと思います。

で、その最初が『先行(まずおこなう)』という為政第二の第13節の言葉です。
節の全体は『子貢問君子。子曰、先行。其言而後従之。』で、読み下しは『子貢、君子を問う。子曰く、先ず行なう。その言や而(シカ)る後に之に従う、と。』となっています。
ここで『先行』で文を区切るのはどちらかというと少数派のようで、普通は『先行基言』で区切るようです。意味は言いたい事をまずやってみせて、その後で言葉で説明しろ、というような有言実行の主張のようですが、私の解釈は『まず動いてしまえ。説明は(言い訳は、理屈は、正当化は)後でどうにでもなる』です。こう読むことによって、聖人君子ではない行動の人、孔子の面目躍如となります。この言葉、なかなか気に入りました。

次は『無倦(うむなかれ)』です。
これは子路第十三の第1節の言葉です。節の全体は『子路問政。子曰、先之、労之。請益。曰、無倦。』で、読み下しは『子路、政を問う。子曰く、これに先んじ、これに労す、と。益さんことを請(コ)う。曰く、倦(ウ)むなかれ、と。』となります。子路が孔子に政について質問した。孔子の答は『先頭に立って行い、一生懸命やる事だ』。子路に、さらにもう一言、と言われて『あきずにやり続けろ。』と答えた、ということです。この『倦むなかれ』、なかなか味わい深い言葉です。

三つめに『父為子隠、子為父隠。(父は子のために隠し、子は父のために隠す)』という言葉で、子路第十三の第18節にあります。
葉公(ショウコウ)という殿様が孔子に向かって『自分の所には正直者がいて、父が羊を盗んだら子がそれを(父がやった、と)証言した』と自慢したのに対し、孔子は『自分の所では父が子のために隠し、子は父のために隠します。これが正直者です』と答えた、ということです。
この言葉、長い間イマイチ納得できなったのですが、最近の習近平やプーチンの行動を見ていて、ようやくなるほどそういうものか、孔子の生きていたのはそういう世界なんだ、と得心した次第です。

論語の言葉については今後とも気に入った言葉がみつかったら、随時少しずつ紹介していきたいと思います。

『太平記』

木曜日, 6月 30th, 2022

これは、私の読んだ新潮日本古典集成で、太平記第1巻から第40巻までが、太平記(一)から太平記(五)までの5冊にまとめられています。B6版で本文だけで2,000頁、各冊ごとについている目次・凡例・解説・付録(年表・系図・地図)を併せると2,500頁を超える大作で、とにかく大変でした。

『太平記』というと普通、いわゆる皇国史観のガチガチの物語で、後醍醐天皇という聖人君子の天皇と『七度生まれて朝敵を討つ』と言った忠臣の楠正成の物語だと思われていますが、この元々の太平記はまるで違います。

後醍醐天皇というのは確かに優秀で真面目で努力家だったのですが、一方、聖人君子気取りで実は現実がまるで見えていない人で、近くにいる人の言葉に簡単に振り回され、足利尊氏、新田義貞その他武士達のお蔭で鎌倉幕府を倒し天皇親政の体制を作った(第12巻)までは良いのですが、その体制作りに貢献した武士達に対する恩賞より、自分の近くにいる公家や女官達の縁者に対する恩賞ばかり優先させて、結局武士達の不満から足利尊氏がそのような武士を代表して後醍醐天皇と戦うことになる。これが『建武の乱』という、ということです。『建武の中興』というのは学校でも習う言葉ですが、『建武の乱』というのは初めて知りました。

楠正成というのも、湊川の戦いでいよいよ明日は討ち死にだという時に『本当はこんな事を言うのは罰当たりだけれどもそれを承知で、7回生まれ変わって朝敵の北朝方を滅ぼしたい』と言って(実はそれを言ったのは正成の弟の正季で、正成はそれに完全に同意した、ということになってますが)、念願かなって死んだあと、第六天の魔王の手下となって何度も足利尊氏の弟で、足利側のリーダーだった足利直義の夢に登場し、直義をもうちょっとで殺す所まで行ったけれど、残念ながら7回生まれ変わって・・の回数が終わってしまって念願を果たすことができなかった、ということになっています。

『第六天の魔王』というのは、比叡山の焼き討ちをしたり安土城を作って生きながら自分を神様にしてお賽銭を取ったりした織田信長の呼び名という位しか知らなかったのですが、この太平記では何度も登場し、例えば天照大神が自分の子孫を天皇にして日本を治めさせようとした時も、仏教が盛んになると日本が危うくなってしまう、と言ってそれに反抗し、結局天照大神が『自分は仏法僧の三宝には近づかないから』と約束し、それならということで第六天の魔王は天照大神の子孫をこの国の主として守っていく約束をした、なんて話もでてきます。(第16巻)

いつも武士同士の戦争の話ばかりではもたないので、間に中国の故事や日本の昔話、仏教経由のインドの説話なんかもふんだんに盛り込んでいて、日本では菅原道真が天満の天神様になる経緯なんかも詳しく解説しています。また恋物語もいくつも入っています。

話が戻りますが、後醍醐天皇というのは平気で嘘をつく人で、最初足利氏に京都を追い出された時に比叡山に逃げる振りをして、身代りを立て自分は吉野に逃げ、始めは本物だと思って熱烈に支持した比叡山の僧兵達を騙し、すぐにそれがばれて僧兵達をがっかりさせた、とか、また別の時、足利方に京を追い出されて比叡山に逃げ、味方する武士達も周りに集まっているのに、形勢不利だとなったら、味方をみんな置いてきぼりにして一人でこっそり抜け出して足利方に降参したり、という人のようです。その時も足利方のリーダーの足利直義に『まず三種の神器を渡せ』と言われて、前もって用意していた偽物を渡した、ということです。

南北朝の戦さでは南朝の天皇が北朝に降参したり、北朝の天皇が南朝に降参したりしています。その時、当然三種の神器を渡せということになるのですが、後醍醐天皇というのは頭が良いだけあってあらかじめそのような事態を想定して三種の神器の偽物をいくつも作っておいて、一組は自分の息子の一人に持たせて北陸の方に逃がし、場合によっては正当な天皇として即位させようとしたり、一組は自分が北朝に捕まった時に渡すように持っていて、さらにもう一組は捕まった後で逃げてもう一度南朝を立て直す時に自分自身の正当性の根拠として使う、なんてこともしたようで、こんな事をしたらどの三種の神器が本物かなんて誰にも分からなくなってしまいますから、結局天皇が『これこそ本物だ』と言って周りがそれを信じたらそれが本物だということになってしまいます。

三種の神器の話はやはり重大な話のようで、源平の戦いで安徳天皇と共に海に沈んだ三種の神器、鏡と玉はその後みつかったけれど見つからなかった剣が、何とこの南北朝の戦いの最中に壇ノ浦からはるばる海を渡って伊勢の海岸に流れ着いたなんて話も書いてあります。これについても本物かどうかという話になり、本物だと主張する公家と偽物だと主張する公家があり、どちらとも決められずに平野神社に預かって貰ったなんて話もあります。(第25巻)
あるいは、北朝の天皇が南朝に降参して三種の神器を渡したら、南朝の方は『こんなにせもの』と言ってそこらの家来用のものにしてしまった、なんて話もあります。

そんなこんなで最初は鎌倉幕府と後醍醐天皇の官軍との戦いだったのが、次に後醍醐天皇の官軍と足利将軍の戦いとなったわけですが、楠正成が死に(第16巻)、官軍方の代表である新田義貞が死に(第20巻)、後醍醐天皇が死に(第21巻)、足利尊氏の弟の足利直義が死に(第30巻)、足利尊氏が死(第31巻)んでしまうと、それでも全国各地で戦さは続いていくんですが、それはもはや南朝対北朝の戦いということではなく、地方の武士団同士の戦いで、その時相手が南朝方だとなったらこっちは北朝方になろう、相手が北朝方だったらこっちは南朝方だといった具合になっていき、もはや何のために南北朝が戦っているのか分からなっていきます。

最後に、後醍醐天皇の次の北朝の天皇である光厳院禅定法皇(光厳天皇)が、京を離れて伏見の奥の方に隠棲していたのですが、思い立ってお伴の僧を一人だけ連れて旅をします。
楠正成によって多数の北朝方の武士が殺された金剛山から高野山、そして南朝の天皇達が逼塞(ヒッソク)していた吉野まで訪ねて行きます。南朝の天皇方と涙の再会を果たした後、京の伏見の奥に帰りますが、そこでは宮中から使者が来たり他にも訪問して来る人も多かったのでめんどくさくなって丹波の山国という田舎に引っ込み、そこで亡くなります。遺体を京まで運ぶわけにもいかないので、天皇や上皇などがその田舎まで行って簡単に葬儀を済ませます。

これで太平記の世界は終わったようなものですが、戦はなかなか完全には終わらずもうしばらく続きます。しかしそれはもう付け足しのようなものです。

そして、二代目の足利義詮将軍も死んで三代目義満の時代になります。
南北朝の話もここで終わります。

何はともあれものすごく長い物語ですが、七五調の文語の文章はなかなかリズミカルで調子に乗ればスムースに読むことができます。

この本は『天皇ご謀反』という言葉がしょっぱなから出てきます。謀反を起こす方も、起こされる方も、これが謀反だ、天皇が時の鎌倉幕府に謀反を起こすんだ、ということを認識しているようです。
この言葉はなかなか新鮮です。

また、このような太平記がいつどのように皇国史観の話になったのか、これも興味のある話なのですが、今はまだ2000ページ読み切っておなか一杯、といったところですので、これについてはいずれ別の機会に、と思っています。

この新潮社の版は『注』の付け方も素晴らしく、楽しく読み進めることができます。

興味がある方は見てみて下さい。楽しめると思います。

『モーセと一神教』 フロイト著

月曜日, 5月 30th, 2022

この著者のフロイト、というのは、あの精神分析のフロイトです。フロイトがユダヤ人としてオーストリアのウィーンに住み、ナチスドイツがオーストリアを占領した年に書き始め、オーストリアを脱出してイギリスのロンドンに逃げ、その翌年癌で83歳で死亡する直前に出版した本です。

この本は
第一論文  『モーセ、一人のエジプト人』
第二論文  『もしモーセがエジプト人であったなら』
第三論文  『モーセ、その民族、一神教』
の三つの論文から成っています。

このモーセというのは旧約聖書の『出エジプト記』の、『十戒』の、あのモーセです。
ユダヤ教というのは『モーセの教え』と言われるほどのもので、ユダヤ民族のシンボルのような人ですが、この人が実はユダヤ人ではなくエジプト人で、その当時エジプトにいたユダヤ人たちを率いてエジプトを逃げ出し、文明的にまだ未開であった人々を指導し教育し、一神教を強制しユダヤ教を作り上げ、ユダヤ人を作り上げた、という話です。

ユダヤ人には『選民思想』といって、『自分達は神に選ばれた民族なんだ』という考えがあるのですが、これは実はモーセに選ばれたということで、ユダヤ教の神というのはモーセにより押し付けられた神で、実質モーセこそユダヤ教の神だったという話です。

第一論文は文庫本で約25頁、モーセが実はユダヤ人ではなくエジプト人だったんだ、という話をしているのですが、第二論文は約100ページ、さらにユダヤ教を作りユダヤ人を作ったのがこのモーセだったんだという話をし、第三論文は約200ページ、何故そのようになったのかということを、フロイト流の精神分析の考え方で解明しようとしています。

エジプトというのは多神教の世界なのですが、その歴史の中で一度、一神教だったことがあり、その時の王が死んだあとその一神教の痕跡は徹底的に抹消され、王の名前までツタンクアトン王がツタンクアメン(ツタンカーメン)王と変えてしまったくらいなのだけれど、その結果、その一神教の信者であったモーセはエジプトとにとどまることができず、自分の信じる一神教の教えを受け入れる民族を探し、まだ未開だったユダヤ人を引き連れてエジプトを出、シナイ半島に渡ったという話です。

このモーセの一神教はエジプトのものよりさらに厳格なものだったようで、さすがのユダヤ人も耐えきれなくなってついにはモーセを殺し、殺してしまってから自分たちをエジプトから連れ出し、今まで指導してくれた人を殺してしまった、というその罪に恐れおののいて、その痕跡を消し、その事実を民族の記憶からも消してしまいます。その後、残忍な火の神・火山の神であるヤハウェ神を神とする同族と一体化し、その力でカナンの地を征服しますが、その後何世代か経つ頃、忘れていたはずのモーセの記憶が預言者の言葉となってよみがえり、次第にヤハウェ神をモーセの神に変えていってユダヤ教・ユダヤ人が出来上がったという話です。

この『神殺し』の話には続きがあり、ナザレのイエスが殺された後、パウロがこのイエス殺しを『神殺し』と位置づけ、キリスト教徒はその神殺しの罪を認めたので宥されているけれど、ユダヤ人はこの神殺しの罪を認めていないので救われないんだという話、このイエスの死は実はアダムの原罪を贖うために必要だったんだということ、このイエスが殺された事により神の子イエスは父の神に代わって本当の神になった、ということ等が話されます。

この神殺し・父親殺しの話、また一旦完全に抹殺したはずのモーセ殺しがどのようにして復活したのかなどの話が、精神分析の立場から、個人の無意識が表面に出てくるプロセスを民族の集団的無意識に拡張していろいろ説明されています。

私は今まで聖書関係の本はいろいろ読んでいますが、聖書自体を全体通して読むということはしたことがなく、まとまった時間が取れるようになったら、と思って友人のお母さんの聖書をすでに譲って貰っています。これまでは単に全体を読んでみようというだけの事だったのですが、これで聖書を読むための方向性というか、一つの視点のようなものができたと思います。これでなおさら読むのが楽しみになります。

フロイトは、ユダヤ人としてナチスに殺されるのではないかという恐怖の中、この論文を発表することによりユダヤ人に殺されるかも知れないという恐怖が加わり、さらに自身の癌でいつ死ぬかも知れないということもあり、ある意味鬼気迫る書となっています。第1論文、第2論文は専門誌に寄稿したものですが、第3論文はあまりにも危険なので彼自身、発表しないでおこうかと思っていたのを、思いかけず、ナチスを逃れてロンドンに亡命してしまったので、がんで死亡する直前にこの第3論文を含めてロンドンで出版した、ということです。

とんでもない本にぶち当たってしまったな、と思います。でもこのような本に巡り合うことができて良かったなと思います。

ちょっと怖いような本なので、あえてお勧めはしませんが、紹介します。

『楽しい地層図鑑』 小白井亮一著

火曜日, 5月 17th, 2022

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーで見つけた、2021年11月4日に発行された本です。
本文200頁ちょっとですが、ふんだんに写真が入っていて、それが全て著者の撮った写真だというので驚きです。

私はNHKの『ブラタモリ』というテレビ番組が好きで大抵見ているのですが、この番組では地層や岩石の話題が良く出てきます。その内容は何とか理解できる程度のものですが、一度きちんとした本で私の理解を整理していたい、と思っていたのでお誂え向きの本です。

著者紹介では『1960年東京都生まれ 1986年3月千葉大学大学院理学研究科(地学専攻)修了 国土地理院にて測量・地図作製や災害対応の業務に携わり、2021年3月退職 趣味で関心を持ち続けてきた“石の世界(地層・化石・岩石・鉱物のこと)“について興味深く分かりやすく伝える執筆活動を始める。』とある、まさにその通りの本です。

第1章では地層がどこにどのようにあるか、地層の見つけ方と、様々な地層を紹介しています。
第2章ではその地層を作る岩石がどのようにでき、地層がどのようにできたか説明があり、第3章ではその地層で化石がどのようにできたかを説明しています。

本文の説明も丁寧で分かりやすいのですが、それに加えて付いている写真や図が非常に綺麗で、この写真を見ているだけでも飽きないで読むことができます。

基本的に自分で撮った写真ですから、ちょっと分かりにくい所は『この写真の左下の部分を拡大したのがこの写真で、ここの左下に○○が良く見えます』とか、『この写真をもっと範囲を拡大するとこの写真になって、全体が良く分かります』なんてことが自由にできます。

写真の大きさの基準として、地層を見に行くときに持って行くハンマーやカメラのレンズなどを写真に写しこんだりして、画面の大きさが分かるようにしています。

第3章では地層がどのようにできるのか、その地層のできた時代の新旧をどう判断するか、時代の前後関係だけでなく、具体的に何万年、何億年前の地層だ、というのをどのように判断するか、説明があります。この中で、話題のチバニアンについても説明があります。

また著者が化石や地層に興味を持ち、とはいえ高校生までは電車に揺られて銚子まで日帰りで行くのがやっとだったのが、大学に入ってもっと長距離長期間遠征ができるようになり、北海道から沖縄まで化石や地層を探して歩き回った時のエピソードも紹介しています。

付録にはプレートテクトニクスで地球の地殻がどのようにできたのか、特に日本ではプレート同士がぶつかり合って沈み込む時、プレートの上に乗っていた陸地が削り取られてグチャッと潰されて反対側のプレートの端に付加体として追加され、それが陸地の隆起地表に現れているのですが、その時に地層がどのように変化するかというあたりも説明しています。

日本はいくつものプレートがぶつかり合ってできていて、その上に乗っている陸地が隆起して浸食を受けたり、溝の中に沈んでいろんなものが積もったり、火山灰や火山礫(レキ)が降り積もったりというようなダイナミックな姿が丁寧に説明されています。

また第3章では地層とそれができた年代の名前と、それが何万年何億年前のものなのかという年代についても、まず地層があってそれに名前がつき、それができた年代もそれに合わせて名前が付いているということも丁寧に説明されています。

著者はもともとは化石から次第に地層に関心を持ち、日本国中の地層を尋ね歩いて写真を撮り、それを整理して本にしている、その過程を本当に楽しんでいることが良くわかる本です。

単なる写真集としても十分楽しめます。
お勧めします。

『論語 - 聖人の虚像と実像』 駒田信二著

火曜日, 5月 10th, 2022

『孔子』というとどうしても論語によって論じられることが多いのですが、孔子というのはとてつもない有名人だったため論語以外の書籍にもその言行録が書いてあります。

この本は論語以外の書籍もひっくるめて、孔子という人が何をして何を言ったかを明らかにしようとしています。

『論語』というのは何といっても儒教のバイブルで、孔子一派の人達が何人もその言行録を書き残し、それを一つの書物にまとめ上げて、不都合な部分を削除し、修正し、都合に合わせて新たに追加したりしたもので、どこまで信用できるものかという問題もありますが、いわゆる儒学者にとっては絶対的なバイブルです。
で、この論語が一応でき上がった後も、これをどう読むかということで、様々な人が様々に違った読み方を主張しています。

もともと漢文というのは単に漢字の羅列でしかないもので、個々の漢字は「読み」と「意味」はあるものの品詞の別はなく、同じ漢字が名詞になったり動詞になったり形容詞になったり、変幻自在なものです。文法もごく簡単なものがあるだけなので、意味を取るのが中々一筋縄にはいきません。

さらに漢文の世界はいわゆる『当て字あり』の世界なので、論語で使われている漢字は本当はどの漢字でどのような意味なのかを考える必要があります。漢文は基本的に句読点がないので、漢字の続きのどこで切るかで意味が違ってきます。

論語ができた時代は全て筆写の時代なので、誤字脱字は当然あり得る話で、誤字をどのように訂正するのか、脱字部分にどの文字を追加するかで話が変わってきます。さらに反語なんてものまでありますから、こじつけのしようでどのようにでも読むことができます。

それで論語というのはそのような儒学者連のコジツケ解釈のかたまりのようなものなんですが、孔子という人は有名人で、孔子の言行については論語以外にもいろんな本に記載されています。

この本では主には史記ですが、これ以外にも荀子・呂氏春秋・説苑・孟子・韓非子・礼記・荘子・易・春秋・公羊伝・漢書・論語の朱子の注、その他の文献からさまざまな文章を取り出して、孔子がどのような人で何を言い、何を考えていたのかを考えています。

この本は三章に分けて、第一章『徳治と法治―政治家としての孔子』では孔子の主張する徳治と韓非子を中心とする法家の思想『法治』がどのように違うか考察しています。聖人君主のおろし元としてあくまで徳治をめざす孔子が、実際に為政者になると平然として法治、あるいは恐怖政治をした、という話をします。

第二章は『道家的思想との接点―孔子と隠者』として道家的思想、隠者としての生き方に深い共感を覚えながらそのような道を取らずに、あくまで現実世界で為政者となることを目指した孔子の思いを考察します。

第三章『郷原と狂狷―「狂なる者」への期待』では孔子の目指す君子とそれをまねた郷原(エセ聖人君子)とを比較し、そんな偽物よりむしろ勢いはあっても欠点だらけの狂狷を良しとする孔子が、長い歴史の中で郷原的儒学者に乗っ取られ、彼らによって孔子は聖人に祭り上げられ、専制君主は郷原に利用され、郷原は専制君主に媚びへつらい、二千年来人民を苦しめてきたという言葉を紹介しています。

この本はもともと新人物往来社から『聖人の虚像と実像―論語』というタイトルで出版され、その20年後に岩波の同時代ライブラリーに『論語―聖人の虚像と実像』というタイトルで再版されたものですが、その岩波版には最後に『跋―補足的自著解説』というものが付いてます。

第二次大戦のちょっと前、著者は旧制高校の教授となり論語をテキストとして講義し、その内容を狂信的な軍国主義学生に批判され、軍から要注意人物とみなされるようになり、徴兵され中国にわたり捕虜になり、スパイと間違われ殺される寸前で助かったキッカケが書いてあります。

著者は漢学者として大御所の吉川幸次郎を批判したり自分の高校の生徒だった高橋和己が吉川幸次郎の弟子になってしまったりして、殆どの出版者が吉川幸次郎、高橋和己に忖度して著者の真面目な著作の出版を避けるようになり、結果中国の艶笑譚、小話のたぐいの紹介くらいしか出版させてもらえなかったり、面白いエピソードもたくさんある人ですが、その人が論語に書かれていること、書かれていないことを総合的に見渡して、孔子の、論語によるいわゆる聖人君子(著者はこれをデクノボーと呼んでいます)の枠に捕らわれないダイナミックな生き生きとした姿を描きます。

論語その他からの引用だらけの本で漢文の勉強になりますが、漢文にはほとんど現代日本語による訳・説明が付いていますので読みやすい本です。文庫本で200頁強位のボリュームですからすぐに読めます。
また、漢文というものが、読み方を変えるだけで(あるいはこじつけのしようで)、どこまで意味の違うものにしてしまうことができるか、という例示にもなっています。

孔子は、自分の理想の実現のために主君探しをしますが、なかなか雇い主をみつけることができませんでしたが、ようやく魯の国の摂政となりました。そうなって7日目に少正卯という男を殺しました。その理由を聞かれて『この少正卯という男は「物事に通じていて陰険である」「行為が偏っていて頑なである」「言うことは偽りであって雄弁である」「悪いことばかり良く覚えている」「良からぬことをしながら外面を繕っている」この5悪があるから「よからぬ徒党を集めて乱をなす群衆を集める事ができる」「弁舌は邪説を飾って民衆を惑わすことができる」「その勢力は非を行って独立することができる」要するに「民衆を惑わして乱をなす恐れがある」だから殺した。』と答えたということです。この少正卯を殺した結果として、『3ヵ月後には肉を不当に高く売る肉屋はなくなり、男女が道を歩く時には別々に歩き、道に落とし物があってもそれを拾って自分の物にしようとする者もいなくなった。』と話は続きます。少正卯の話は5つの悪い性格・能力があるから次の3つの悪事をするかもしれない、だから殺すということで、徳治どころか法治でもない専制恐怖政治そのものです。

このような話は儒学者達にしてみれば、聖人孔子がそんな事をするわけがないということで、論語には全く出てきませんが、「史記」「荀子」「呂氏春秋」「説苑」に出てくるくらいなので有名な話だったようです。

この少正卯を殺したという話がなければ、孔子は魯の国の摂政となり数ヵ月で悪い事をする民はなくなった。孔子ほどの人が徳をもって政治をすればこのようにあっという間に平和な良い国になる。メデタシメデタシという話になるわけです。

論語は聖人君子である孔子を描こうとして、それと違う事を除外してしまっているけれど、著者の駒田さんはこの話の中にこそ孔子の偉大さがあるんだと言っています。政治批評家・道徳家・教育者としての孔子は終始一貫、徳治、『上に立つ者が徳をもって治めれば下の者たちはそれになびくように自然に悪いことをしなくなり、平和で豊かな生活ができるようになる』と言いながら、実際に行政官となったらこのような恐怖政治でもなんでも必要なことは断固として実行する。そうしておいて行政官の地位を離れたらまた教育者に戻って徳治を主張・教育する。道学者流の『言ってる事とやってる事が違うじゃないか』なんて批評は歯牙にもかけない、そんなダイナミックな姿こそ孔子の本当の魅力なんだと言っているようです。

第二章の『道家的思想との接点―孔子と隠者』では、孔子が主君を求めて中国各地をさまよっていると、道士というより隠者という、道教を体して世を捨てた人に何度も遭遇します。そんな時孔子の方はその隠者と会って話をしたいと思うのですが、隠者の方は、もう世を捨てているのであえて孔子と会おうとしないで逃げてしまい、『そんなせせこましい世界に生きていないでこっちに来て同類になれば良いのに』というアドバイスを残すというエピソードを紹介し、心情的には孔子は隠者達に非常に近いのだけれど、孔子はあくまで世を捨てるという道を選ばす、困難に遭遇しながら現実世界にとどまり、そこで理想の徳治の国を作ろうとしたその姿を描きます。

最後の第三章『郷原と狂狷―「狂なる者」への期待』では、いかにも君子であるかのように誰からも評価され尊敬されるような郷原という生き方を偽物と決めつけ、「徳の賊」あるいは「徳を損なう者」と呼んで否定し、そんな人達よりむしろ狂狷という、ある意味過激でやり過ぎで欠点も多い人達の方を良しとする孔子の考えを紹介します。皮肉なことに孔子教団が大きくなり、政治的に大勢力になるとこの郷原的な人々が孔子教団を乗っ取ってしまい、自分流に論語を解釈し、講釈するようになる。儒者の中にも折に触れ、『それは孔子の言っている事とは違う』という意見も出て来るのだけれど、大勢は郷原的儒者の世界で、これらの人達は専制君主と結託し孔子を聖人君子(というデクノボー)に祭り上げてしまい、郷原は専制君主に媚びへつらい、専制君主は郷原に利用され、共に二千年来人民を苦しめてきた、ということです。

論語だけを読んで聖人君子としての孔子の姿しか知らないのと、論語以外の文献も併せて読んで”聖人君子”の枠には入りきらない、行動と言動の食い違いなど何も問題しないダイナミックな孔子の姿を見てみるのとで、孔子の姿がまるで違ってきます。

孔子はもともと弟子たちには、『家臣でありながら主君の権力を横取りしているような人には交わってはいけない、そんな人の家臣になってはいけない』と言っていながら、実際孔子に家来にならないかと声をかけてくるのはそんな人ばかりで、孔子の方はそれに対して積極的にそのような人の家臣になろうとします。心配する弟子たちには『私はどんなにすり減らそうとしてもすり減ることはないので大丈夫だよ』、とか『私ならどんなに黒く染めようとしても決して黒くならないから大丈夫だよ』とか、まるっきり屁理屈のような事を言って言い訳にしている、というのも面白い話です。

孔子、というと何となくいつも弟子たちに教え諭している『訓たれ』のイメージですが、本当はむしろ実行の人で、『先行(まず行う、理屈はその後だ)』なんて言葉のあることも知りました。また、孔子といえば『中庸』とふつうに思っているけれど、この言葉は孔子の孫にあたる子思が書いたといわれる『中庸』という本で宣伝されている言葉で、論語の中では1か所に出てくるだけだ、なんて話もありました。(この話は、アダムスミスの国富論の中に『(神の)見えざる手』という言葉は1か所にしか出てこない、という関係と似ているかもしれません。)

とまれ、漢文の自由な読み方を味わってみたい人、聖人君子でない孔子の姿を見てみたい人にはお勧めです。

『帳合之法』のついでにー『日本地図草紙』

火曜日, 4月 12th, 2022

『帳合之法』は今では出版されている本ではないので、図書館で福沢諭吉全集を借りて読むしかありません。
で、私が図書館で借りた本は岩波の全集の第3巻ですが、そこにはいくつもの著作が入っていました。

その一つは『学問のすすめ』で、「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずと言えり」で有名な本です。この言葉は読んだことがあるのですが、実は続編・続々編と次々に出ていて、全体ではかなりのページ数になっています。その全体を読んだ覚えはないので、これは改めて読んでみるしかないな、と思いました。

で、この『学問のすすめ』の最初の編に、学問は、勉強するに際し何でも好きな学問をいくつか選んで勉強すれば良いんだけれど、その前提となる基礎科目として「読み書きソロバン」と並んで『帳合の法』が挙げられています。もちろん読み書きソロバンと帳合の法が同一のレベルにあるものであるはずもないので、この基礎科目以外はいわば選択科目であり、どの科目を選択するのも構わないけれど、前提として読み書きそろばんに並んで帳合の法は必修科目だ、という位置づけということになるようです。

で、『学問のすすめ』については、ちゃんと読んでからまた別に書こうと思うのですが、これとは別に、実はこの全集には『帳合之法』の次のページに『日本地図草紙』というものが入っています。『草紙』といっても実は単に1枚の地図が折り畳まれて入れてあるだけですが。

この地図がA3よりちょっとだけ大きいので、私のオフィスのコピー機でコピーするのがやっかいなのですが、なかなか面白い地図です。

これが出版されたのは明治6年7月なので、明治4年7月の廃藩置県より2年後なのですが、この地図は都道府県の地図ではなく、その前の日本が律令制の六十余国に分かれていたその分国の地図です。

これが白地図になっていて、福沢諭吉が説明を付けているのですが、『印刷技術が進歩してどんなことも地図に記載することができるようになって、地図に記載される情報が多くなり過ぎ、勉強するのにかえって逆効果になっている。むしろ白地図に自分でいろんな情報を書き込むようにした方が勉強には便利』だということで、この白地図にも国の名前と国の境の線は入っているけれど、都市の名前は箱館(函館)・新潟・東京・横浜・西京(京都)・大坂(大阪)・長崎だけしか入ってないし、山は富士山のみ。湖は琵琶湖が湖水、諏訪湖が諏訪の湖水という名前で、この2つだけしか書いてありません。

都道府県の白地図は見慣れていますが、この律令制の国の白地図は、新鮮でなかなか見どころがあります。九州は今は7県ですが、この律令制では9国だったから九州だ、とか、関東は今は1都6県だけれど律令制では8国で関8州だったとか確認できます。

なおこの白地図は基本的に日本地図ですが、上の方の余白に附録として世界地図も付いています。と言ってもほとんど大陸の名前と大きな海の名前だけで、国の境までは入っておらず、国名としては合衆国・イギリス・フランス・ロシア・印度・支那・日本だけが書いてあります。

メルカトル図法のようで、ロシアがとてつもなく大きく、アジアとヨーロッパのほとんどを占めています。
グリーンランドも北米大陸やアフリカ大陸と同じくらいの大きさになっています。
海は大平洋(太平洋ではなく)・阿多羅洋(大西洋ではなく)・印度洋と北極洋(北極海ではなく)・南極洋(南極海・南氷洋ではなく)と、あと地中海・黒海・カスピ海・日本海だけが書いてあります。

大西洋が中心となる欧米中心の地図で、経度が0度を中心に左右180度までになっているんですが、今では経度0度の線が『無度』と書いてあるのも面白いです。
地名としては喜望峰だけが書いてあります。

で、これは『学習用の地図』だということで、標題の『日本地図草紙』の上に『子供必用』と書いてあります。

こういうのを見ると、福沢諭吉という人は本当に面倒見のいい、真面目な教育者だったんだなと思います。と同時にあの時代、こんな所まで自分でやるしかなかったんだろうなとも思います。

今テレビでは大河ドラマで平家物語の世界をやっていますが、同時に個人的には太平記を読んでいて、どちらも日本中を舞台にした戦記物ですから、全体像を把握するのにこの白地図はなかなか役に立ちます。

ということで、地図の好きな人にはお勧めです。

『毛』稲葉一男

金曜日, 3月 4th, 2022

この本は光文社新書で、去年の11月に出たばかりの本です。
例によって図書館の新しく出た本のコーナーで見つけて、借りて読みました。

『毛』といっても動物の体に生えている毛のことではなく、もっと小さい、細胞に生えている毛のことで、鞭毛(べんもう)とか繊毛(せんもう)とか呼ばれる『毛』のことです。

これが細胞の膜から飛び出していろいろな働きをするのですが、それ自体周辺に9本、中心に2本の小さな管からできていて、その毛を動かすためのモーターのような仕組みもあるということで、小さな世界の話です。

この毛は精子の尻尾として卵子まで泳いでいくのに使われるというイメージが強いのですが、その他にもその小さな毛が身体のいろんな所にあって、気管で異物を排出する毛とか、耳の中で平衡感覚や音の高低を感じる働きをしたり、目で光の明るさや色を感じとる働きをするだけでなく、脳の中でも脳脊髄液を循環させる流れを作る働きをしているという具合で、かなり幅広く働いているようです。

昔は一本のものを鞭毛、たくさん生えているのを繊毛と区別していたけれど、仕組みは同じなので、最近は両方とも繊毛という言葉を使うようになっているという事です。

この繊毛の働きがうまく行かないと内臓の左右が逆になったり、様々な病気を引き起こし『繊毛病』と呼ばれるなんて話もありました。
この繊毛の、周辺に9本、中央に2本の管の構造を『9+2』(日本語では通常「きゅープラスに」と読むようです)と言いますが、これがいろいろな生物のいろいろな所に登場し様々な働きをしていること、その様々な働きをする仕組みについて丁寧に解説しています。

普通細胞の中のいろいろな器官(細胞小器官)やその働きについては読むことがありますが、細胞の膜から突き出している毛について詳しく説明しているものはあまりないかも知れません。

このような小さな話だけでなく、生物の進化の話、地球の環境の保全にこの毛が果たしている大きな役割など大きな話も説明されています。

細かい仕組みの所では付いて行くのがちょっと難しいですが、著者や仲間の研究者は楽しいんだろうな、と思います。この毛に関連するタンパク質は数百種類だという事ですが、これは数が多いというより、この程度の数なら全て細かく理解し尽くすことができるかも知れない、ということのようです。

生命が誕生し、単細胞生物が生まれ、ミトコンドリアや葉緑体の元となる細胞が生まれ、その細胞同士が融合して真核生物が生まれ、それがまとまって多細胞生物が生まれ、脊椎動物である魚類が生まれ・・・という生命進化のあらすじがうまく整理されて説明されています。

地球の誕生 46億年前
海の誕生 40億年前
生命の誕生 38億年前
シアノバクテリヤの誕生 30億年前
真核生物の誕生 21億年前
多細胞生物の誕生 10億年前
魚類の誕生 5億年前

という具合です。

また繊毛が運動に使われる時の『毛』の波打つ仕組みについても、丁寧に説明されています。

環境問題に関する章ではワンオーシャン(海は基本的に一つにつながっていて、それは南極を中心とする地図で良く分かります)の海流の流れ(表面の流れと深層海流のそれぞれ)について説明があり、また生物の運動が細胞の毛によるものから筋肉によるものになった経緯についても説明があります。

2枚貝を濁った水の中に入れておくとアッと言いう間に綺麗な水になってしまうけれど、これもエラに生えている繊毛の働きだ、という説明もあります。

というわけでとりとめのない話になってしまいましたが、とにかく面白い本です。何より著者が一番楽しんで研究していることが伝わってくる本です。

様々な人にお勧めです。

福沢諭吉『帳合之法』 その4

火曜日, 2月 15th, 2022

前回まででの福沢諭吉『帳合之法』の紹介は終わりですが、ここから私の個人的な感想を書こうと思います。

私がこの本を読んでみようと思ったのは、結構有名な本であるにも拘らず、その正体が良く分からないということからです。日本に西洋流の簿記を紹介した本だという説明はいくらでもあるのですが、その本で紹介されているのは簿記がどのようなものか、については殆ど紹介されていません。それどころか『この本は複式簿記でなく単式簿記を説明してるもので、単式簿記というのは小遣い帳のようもので、ちゃんとした簿記の本では全くない』などというような誤ったコメントもいくらでもあります。
そんなことを言われてしまうと、そのコメントが本当かどうか、確かめてみようという気になってしまいます。

また単式簿記というのも『複式簿記でない』というだけで、その具体的な姿がもうひとつ良くわからないので、この本を読めば何かわかるかなという気持で読んでみました。

結果は期待をはるかに超えるもので、本式の簿記会計の解説書でありながら、この本で言う所の単式簿記の説明書ともなっており、その単式簿記は複式簿記と比べてもひけを取らないちゃんとした簿記会計のシステムだということがわかりました。

またこの本をも読み始めてすぐに『日記帳』が登場するのですが、日記帳が現在の実務あるいは簿記の教科書で説明されているものとまるで違っていて、複式簿記が始まった頃の日記帳の名残を残しているというのも、この本を読むことができて良かったなと思う点です。

本来的な洋式簿記の体系では、日記帳―仕訳帳―元帳という体系で記帳をしていくのですが、現在の日本の簿記実務では日記帳から仕訳帳に転記するのを省力化して、日記帳と仕訳帳を一体化して『日記仕訳帳』とし、これを簡略化して日記帳と呼んでいるんですが、その実体は日記帳抜きにいきなり仕訳帳に記入し、日記帳の部分は『摘要』あるいは『備考』の欄にほんのおまけのように付いているだけという存在です。しかし本来的にはこの日記帳こそが簿記の最重要な帳簿で、その後の仕訳帳あるいは元帳の作成はある意味機械的な作業だ、ということが良く理解できました。

とは言え、複式簿記の草創期と違って、商売の売買をやる人と帳簿をつける人が分業で別々の人がやるようになってしまえば、こうなるのはやむを得ないことなのかも知れません。

日記帳が日記仕訳帳となり、ほとんど仕訳帳であっても日記帳の部分がほとんど消えてしまった現在、日記帳とは元々どのようなものだったのか、多少でも分からせてくれる貴重な本がこの本です。

『単式簿記』という言葉も非常に理解が難しい言葉です。複式簿記ができて、多分それができる前はもっと単純な単式簿記だったんだろうというような話もありますが、そのあたりは良くわかりません。

わかっているのは、複式簿記がほぼ完成されたような形で登場し、それが活字印刷の普及と相まって西洋各国に一気に流布し、その後あまりに厳格で手間のかかる複式簿記の手続きを何とかして簡略化できないかという様々な工夫が試みられ、そのいくつかは複式簿記に対する言葉として単式簿記と名付けられたという事もあり、『何が単式簿記なのか』というのも私にとっては大きな問題でした。

こうなった一つの理由は、私が簿記・会計を学んだのは社会人になって生命保険会社に入って実務的に色々な伝票を見たり決算書を見たりするようになっての事で、その会社の会計システムはいわゆる銀行簿記・現金式仕訳(これはいわゆる現金主義会計とは全く別の話です)というもので、仕訳帳の代りに入金伝票・出金伝票とごく例外的に振替伝票を使い、その伝票も現金口座を媒介させる形で作られているものだっということです。それだけを教わった分にはそんなものかと思っただけですが、一般の商業簿記をちょっと勉強したら貸方・借方の書き方も逆だし、これはいったい何なんだろうと思いました。入金伝票と出金伝票で基本的な仕訳を済ます(振替伝票は入金伝票と出金伝票がセットになったものだと位置づける)ということで、これが世に言う単式簿記なんだろうかと考えたりもしました。(もちろん単式簿記ではなくれっきとした複式簿記だということは今ではもうわかっています)

またアクチュアリーになって生命保険会社の決算を勉強するようになって、アクチュアリーの本場のイギリスの生命保険会社の実務を勉強する中で、第二次大戦の少し後まではイギリスの生命保険会社のBalance Sheetは貸方・借方の左右が逆になっていて(現金その他資産が借方なのはそのままですが、それがBalance Sheetの右側に書いてある、貸方は左側)、丁寧なことに(ヨーロッパ)大陸ではBalance Sheetの左右が逆だなんて説明も付いていて、Balance Sheetの左右というのはいったい何なんだろう、などと考えた事も簿記の勉強をしてみようと思った一因です。(多分今ではイギリスの生命保険会社でも資産・負債の左右は大陸と同じになっていると思います。)

とは言え簿記の試験や税理士・会計士の試験を受けるのは計算が大変そうなのでやめておきました(世間的にアクチュアリーは計算が得意だという誤解があるようですが、中には計算が得意でないアクチュアリーも大勢います)。

普通、簿記会計の実務では、仕訳―元帳―試算表―決算書類(P/L・B/S)という流れで決算をするのですが、私のやっていた生命保険会社の決算では様々の決算整理が終わった所で、最終の責任準備金・支払備金・配当準備金等の計算をし、その振替伝票を作成し、それを入力して決算書類(P/L・B/S)を作るということになります。私が作業をしていた日本橋の本社で振替伝票を作成し、それを経理部に持って行って確認してもらって四谷の事務センターに(社有車の)社内便で送り、それをコンピュータ入力してP/L・B/Sを印刷し、それをまた社内便で日本橋の本社に送り返してもらい、経理部が確認してから数理部に持ってきてもらう、というのはとてつもなく時間がかかります。(勿論当時コンピュータといえば大型コンピュータのことで、パソコンもなければExcelのような表計算のソフトもありません。)

そのため最終の振替伝票を入れる前のP/L・B/Sから振替伝票を入れたら、入れた後のP/L・B/Sがどうなるかを手計算で作成し(計算の合計等の検算はもちろん算盤です)、コンピュータ出力のP/L・B/Sが届いたらそれを手計算で作成したものと照合して確認するというのが決算作業のルーチンになっていました。すなわち振替伝票から元帳記入・試算表をすっ飛ばしていきなりP/L・B/Sに修正を加えるというやり方です。

もちろん正確な記録をし、様々な検証作業も行うためには正規の手続きを踏む必要がありますが、手っ取り早く最後のP/L・B/Sの数字を確認するためには仕訳⇒P/L・B/Sの直接修正方法の方が手っ取り早いという事です。

私の簿記・会計の理解はこの経験に基づいているので、様々なルールに基づく簿記実務とはちょっと違っていますが、このような経験ができて本当にラッキーだったなと思っています。

以来私にとっては会計取引は、全てその取引の仕訳をして、その結果P/L・B/Sがどのように変化するかという見方から理解するようになっています。

実はケインズの一般理論を理解するにもこの見方が役立ちました。即ち、社会全体の経済活動全体に対し、企業の投資(設備投資)・生産・販売と消費者の労働・消費活動の全てを複式簿記の方式で仕訳し、一つ一つの経済活動において所得=貯蓄+消費=消費+投資が成り立つことを確認し、その合計である社会全体の経済活動でも同じ式が成り立つことを確認したという事です。一つ一つの取引で等式が成り立っていればその合計でも同じ等式が成り立つ、というのは複式簿記の基本的な考え方です。

日本の経済学者や経済学を勉強している学生さん達は簿記・会計の勉強を殆どしていないようなので、このようなアプローチは理解できないかも知れません。

この福沢諭吉の『帳合之法』は簿記のルールを暗記させるのでなく、様々なやり方の中から自分に合ったやり方を考えさせようとするもので、その意味で非常に面白く読むことができました。また福沢諭吉のこれでもか、というくらいの教育者としての親切心も理解することができました。

簿記を知っている人も、それを一旦忘れたつもりでこの本を読んでみると面白いと思います。
簿記を知らない人にはちょっととっつきにくいかも知れませんが、この本で簿記の勉強をするつもりで読むと、また新しい世界が広がっていくのではないかと思います。