『石油を読む(第3版)』 藤 和彦著

6月 2nd, 2017

この本は日経文庫で2005年に出版されたものを、今年の2月に10年ぶりに全面的に改訂したものだということです。

石油あるいは原油と天然ガスというのは、その流通と価格の変動が世界経済に大きな影響を与えるので、たとえば原油価格やOPECの会議など話題になることも多いにもかかわらず、何となく全体像がつかめないでもやもやしていたのですが、この本で一気に全体像がつかめました。

シェールオイル、ショールガスの位置づけとか、ロシアの原油・天然ガスの日本にとっての重要性、ロシアからウクライナへの天然ガスパイプラインを巡るウクライナとロシアとヨーロッパの関係とか、サウジアラビア・OPECの重要性(あるいは重要性の低下)とか、いろんな話がうまく整理されています。

原油の生産量というのは1日あたりの量で表し、だいたい1日あたり1億バレルだというのは分かりやすい話で、これを基準にすればそれぞれの地域の生産量・消費量の全体像がつかめそうです。

日本では原油は中東からタンカーで20日もかけて運んで来るのですが、その運賃は原油価格の2%でしかないので、原油価格の変動からすると殆ど無視できるとか、天然ガスは日本のようにLNGで運んでくるのはごく例外的なケースで、普通はパイプラインで運ばれていて、LNGはかなりコストがかかるけれどパイプラインは安く済むとか、原油にしろ天然ガスにしろ初期になかり高額の投資が必要になるけれど、一旦生産が開始され流通の設備が出来上がってしまうとランニングコストは非常に安くなるので、原油価格がかなり安くなっても生産は継続するとか、生産するまでに高いコストと長い時間がかかるので、原油価格が高くなったからといって生産量は急に増えないとか、仕組みが分かってくると原油価格はいわゆる需要と供給で値段が決まるという流通の経済学がなかなか成立せずに、高くなっても安くなっても生産量も消費量もあまり変わらず、高くなったら当分高くなり続ける、安くなったら当分安くなり続けるという性格のものだ、ということが良くわかります。

さらに実需による売買の何十倍もの投機による売買と、その先物取引の残の存在によって価格の変動(乱高下)が不可避だ、ということも良くわかります。

原油の埋蔵量がどのように計算されるか、全世界で大量に消費しているにもかかわらず、50年前にあと20年分と言われていた原油の埋蔵量が50年経ってあと50年分に増えるのは何故か、という仕組みも良くわかります。

世界的に経済が発展しつつあるにもかかわらず、原油の消費量はもしかするとピークを打って、今後は減少に転ずるかも知れないという話も新鮮でした。

この本も図書館の新しい本コーナーでみつけじっくり読んだのですが、読み終わって改めてこの本を買いました。今後書き込みをしながら、改めてじっくり読もうと思います。

ということで、このような話に興味のある人にお勧めです。

『長考力』 佐藤康光著

6月 2nd, 2017

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーで見つけたものです。将棋の世界では羽生さんがあまりにも有名なんですが、この佐藤さんもいくつものタイトルを取ったりして、トップクラスの人のようです。

で、この人は棋士の中でも長考派とよばれ、『1秒に一億と3手読む』と形容される人のようです。

で、この手の本はその長考はどのようにしてやっているのか、どうすればできるのかとか、一般の読者にも参考になるのではないかとかいう観点で書かれることが多いのですが、この本はそんなことは一切お構いなしです。確かに長考してはいるけれど、それは良いことだということでも良くないことだということでもなく、『自分はきちんと突き詰めて考えるのが性に合っているからそうしている』と言ってしまっています。長考するにはどうするかとか、役に立つか、なんてことはお構いなしで、むしろ長考して失敗しているエピソードがいくつも出てきます。

一般の人の参考に、などということはまるで眼中になく、ただひたすら一冊全部将棋の話しかしていません。もちろん、時々サッカーの話・野球の話・ゴルフの話なども出てきますが、それは将棋の話を分かりやすくたとえ話にするためだけのことです。

将棋の話といっても、この本を読んで将棋が分かるわけでも強くなるわけでもありません。そんな話はお構いなしに『自分はこうやっている』という話だけしか出てきません。

プロの勝負は持ち時間があって、それを使い切ると一手60秒以内で指さないといけないというのが一般的で、その60秒を秒読みして50秒のあと1, 2, 3・・・と読み上げ、それが10になったら時間切れ負けということになります。とはいえ、いきなり『10』と読んで即反則負けというのは可哀想なので、実際は読み上げ係が多少手心を加えて、10になる前に指すことができるようにしているようです。長考派はすぐに時間を使ってしまいますから、すぐに秒読みになります。

この佐藤さんは対局が終わってから相手に抗議され(もちろん自分では全く気付いていない)、10ぎりぎり(あるいは少し超えて)指していると指摘され、それ以降は気をつけて『8』を読まれる前に指すようにしているとか、あわてて駒を落としてしまい、拾っていたら時間切れになるので、仕方なく指でマス目を指して『6八玉』などと叫んだこともある(このようなやり方はルールとして認められているということですが、むしろそんな所までルールが決まっているということの方がビックリですね)というエピソードも紹介しています。

将棋の駒の配置は飛車と角行を除けば左右対称になっていて、駒の動きも左右対称となっているので、最初から飛車と角行を入れ替えて置いて、そのあとの駒の動きも左右逆の動きで指していけば左右逆転の一局ができるのですが、たとえば居飛車の一局は左右逆転すれば見た目相振り飛車のように見えます。これで途中まで進んだ所で形勢判断すると、左右置き換えただけなので形勢が変わるはずもないのに、元の盤面では先手が良さそうに見えたのが左右逆転すると後手が良さそうに見えたりする、なんて話もあります。

こんなことを考えても多分何の役にも立ちそうもないんですが、面白いことを考えるものです。

いずれにしても、一般に人には何の役にも立ちそうもないことを四六時中考え続けていている人がいて、それを何の遠慮もなしで本にしてしまうそのすがすがしさ(無神経さ)が何とも不思議に面白い本です。

何の役にも立たない本を読んでみたい人にお勧めです。

ライフネット生命の113条繰延資産の一括償却

4月 24th, 2017

4月19日にライフネット生命は、113条繰延資産の償却を、従来からの毎年一定額の償却をする方式を変更して、2017年3月期に一括して償却する(とはいっても2年分だけですが)、と発表しました。

この発表のニュースリリースによると、状況は次の通りのようです。

ライフネット生命は113条繰延資産の償却費負担のため、経常損益がなかなか黒字にならないので、『113条繰延資産償却費考慮前の経常損益』という独自の指標を使って決算の損益を評価しています。この評価によると2016年3月期は584百万円の黒字(実績)、2017年3月期は88百万円の黒字(見込)、2018年3月期は赤字(見込)。これから113条繰延資産償却費を控除すると、本来的な経常損益は2016年3月期は475百万円の赤字(実績)、2017年3月期は972百万円の赤字(見込)、2018年3月期は10億円超の赤字(見込)ということになります。

今回の『113条繰延資産の一括償却』により、経常損益は2016年3月期475百万円の赤字(実績)、2017年3月期は2,031百万円の赤字(見込)、2018年3月期も若干の赤字(見込)ということになります。

いずれにしてもライフネット生命は2019年3月期の経常損益の黒字、というのは、何としても実現したい目標のようです。そのためには2017年3月期、2018年3月期の経常損益は中途半端な黒字になるよりむしろ赤字にしておいて、その分2019年3月期の黒字を確実にした方が望ましいということでしょう。

『113条繰延資産の一括償却』をしない場合、経常損益は2016年3月期に5億円の赤字(実績)と、もうちょっとで黒字になる所まで来たのが2017年3月期に10億円の赤字(見込)、さらに2018年3月期にさらに赤字幅を広げて(見込)から、うまく行けば2019年3月期に黒字になります。当分赤字が続く、ということです。

『113条繰延資産の一括償却』をした場合、経常損益は2016年3月期の5億円の赤字(実績)のあと、2017年3月期に20億円の大幅赤字(見込)となって底を打ち、、2018年3月期には赤字(見込)ではあっても大幅に改善され、2019年3月期には黒字(見込)になる、という話になります。

この6月には出口さんが会長を辞めます。2017年3月期の大幅赤字を出口さんの置き土産にして、岩瀬体制になったら急激に業績が改善し、2年目には確実に黒字転換する、というストーリーはなかなか魅力的な話かもしれません。

ライフネット生命も株式を公開している会社ですから、株主に対して業績をお化粧したい気持は分かりますが、保険会社の会計について十分な知識のない一般の株主を惑わすようなやり方はいかがなものか、と思います。

『片倉参謀の証言 叛乱と鎮圧』 片倉衷

4月 21st, 2017

著者の片倉衷(カタクラ タダシ)というのは、2.26事件の時、陸軍大臣官邸に駆けつけ、反乱をやめさせようとして反乱軍のリーダーの一人の磯部浅一に拳銃で頭を打たれて病院に担ぎこまれた人です。

この人が昭和56年に出版した回想録がこの本ですが、この中に昭和8年~9年に作ったという3つの論文が納められています。
すなわち
 『筑水の片言』
 『瞑想余録』
 『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』
というものです。

『筑水の片言』は軍改革に向けての提言ですが、それが『瞑想余録』になると国の改革に向けての提言となり、 『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』では2.26事件のような叛乱が起きることを想定し、それを乗っ取る形でクーデターを起こし、日本を軍主導の国家に作り変えるという作戦計画になっています。

『筑水の片言』と『瞑想余録』は著者が自分の考えをまとめたものですが、それを元に周りの陸軍省あるいは参謀本部の青年将校達と勉強会を開き、その結果をまとめたものが『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』になっているということです。

勉強会の成果物ですから、これは参加した青年将校達にフィードバックされ、それはその青年将校達からそれぞれの上司の将校達にも報告され、結果的に陸軍省および参謀本部の殆どの将校達はこの内容を知っていたということです。

私は2.26事件というのは反乱軍の青年将校達によるクーデターを、真崎大将とその仲間達が乗っ取ろうとして失敗した事件だ、と思っていたのですが、この『片倉参謀の証言 叛乱と鎮圧』の存在を知り、『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』を読むことにより、真崎大将達の乗っ取り計画は失敗して、その代わりにこの「要綱」の線でのもう一つのクーデター乗っ取りが計画され、こっちはまんまと成功したという事件だ、と思うようになりました。

真崎大将達による乗っ取りは、東京警備司令官の香椎中将が戒厳司令官になったところで成功したかに見えたのですが、戒厳司令部ができた時、東京警備司令部の人間はそのまま戒厳司令部に移り、司令官も東京警備司令官がそのまま戒厳司令官になった所までは良かったのですが、同時に司令部のスタッフが大幅に増員され、参謀本部その他の人間が兼務の形で戒厳司令部に入ってきたことにより、第一の乗っ取りは破綻し、第二の乗っ取りが始まったということです。

反乱を起こした青年将校は士官学校を出てそのまま各地の軍の任務に就いた将校ですが、その後陸軍大学に入学し、将校の中でもエリートコースを歩む者もいました。そのような人達は陸軍大学のしるし(その形から『天保銭』といわれました)を付けていたので『天保銭組』とよばれていました。士官学校を出て陸軍大学に行かなかった人達はその『天保銭』を付けていないので、『無天』組と呼ばれていました。

2.26事件の反乱を起こした将校達は、その無天組です。
天保銭組の青年将校達は陸軍大学を出て、成績の良い者はそのまま陸軍省や参謀本部に配属され、自分達はエリート中のエリートだと自負して、陸軍大臣でも参謀総長でも、あるいは天皇でも自分達の言いなりだ、というくらいの気持ちでいたようです。

軍には統帥権というものがあり、たとえ軍人とはいえ軍隊を勝手に動かすことはできません。『軍を動かすことができるのは天皇だけ』という建前で、その天皇の代理という位置付けで参謀本部だけが軍を動かす命令を出すことができることになっていました。ただしこれにはいくつかの例外があり、たとえば自分の部下が命令に違反したような時は、他の部下に命令してその命令に従わない部下を捕まえたりすることはOKです。また東京警備司令官は東京で何か事件があった時は、その警備のために東京近辺の軍を動かして警備あるいは制圧に当たることができ、それには参謀本部の了解は不要でした。

このような状況ですから、2.26事件の反乱に対し、それが反乱だと分かっていても他の軍隊は勝手に制圧に動き出すことはできません。動くことができるのは反乱軍の上官が部下の反乱を鎮圧するために他の部下を動かすか、東京警備司令官が命令を出すか、参謀本部が命令を出すか、ということになります。

2.26事件の時、反乱軍は陸軍省も参謀本部も制圧してしまっていたのですが、どういうわけか道一つ隔てた東京警備司令部については警戒するだけで制圧はせず、反乱軍の将校と警備司令部の将校は道端で話をしたりしています。反乱軍も東京警備司令部をそれほど警戒していなかったということでもあり、東京警備司令部も反乱軍を捕まえたり攻撃しようとしなかった、ということでもあります。

で、2月26日に『陸軍大臣告示』なる文章が作られます。これは陸軍大臣の名前で、反乱軍の将校達に『2.26事件の行動は正しい』とお墨付きを与えるものです。

これは事後の辻褄合わせの結果、2月26日の午後3時過ぎに作られ反乱軍の将校達をおとなしくさせる説得のために使われたということになっていますが、この文章が実は2月26日の午前10時過ぎに作られ、東京警備司令官が陸軍大臣の代わりに、と言って方々に配布しています。反乱軍の将校に見せるだけのものが全国の陸軍の部隊に配布され、海軍にも渡されています。これによって反乱軍の行動は陸軍大臣が正当化していることを広く軍全体に通知しているわけです。

反乱軍が御輿に担ごうとした真崎大将は、この時すでに陸軍の中では軍事参議官というお飾り的な地位に置かれており、他の真崎派の将軍達も実質的な権力を持っていなかった中、この東京警備司令部の香椎中将だけは実際に兵隊を動かす力を持っていて、この『陸軍大臣告示』を全国にばら撒いたり、その前に反乱軍の団体である第一師団や近衛師団に命令を出して反乱軍を勝手に鎮圧しないようにしたり、あるいは東京近辺の部隊に命令を出して東京に集めたりしています。それが反乱軍を制圧するためだったのか、反乱軍に加わらせるためだったのかは不明ですが、そんなわけで反乱軍としては戒厳令が敷かれて香椎中将がそのまま戒厳司令官になれば、もうクーデターは成功したも同然、という風に考えていたと思われます。

一方参謀本部の若手将校もこの片倉さんの計画に従って2.26事件のクーデターの乗っ取りをしようと思っていますから、戒厳令の発令は計画通りということになります。東京警備司令部は10人ちょっとの小さな組織ですが、戒厳司令部となるとそんな少人数ではどうにもならないので、他の部署から応援を求めて倍位の規模になっています。そしてその中に参謀本部の将校が何人も入っているわけです。

東京警備司令部では司令官に反対の意見を言う者がいても、司令官の意向で香椎中将の思うとおりにできたのですが、戒厳司令部に新たに加わった参謀本部から来た将校達は東京警備司令官であれ戒厳司令官であれ、中将であれ、そんなものはへとも思っていませんから、片倉さんのシナリオ通りにクーデター乗っ取りを着々と進めます。この時点で2.26事件の首謀者の将校達の敗北は決まってしまったわけです。

戒厳司令部は反乱軍の占拠しているすぐ目の前の三宅坂の東京警備司令部から、一夜にして皇居を挟んで反対側の九段下の軍人会館(3.11の地震で被害を受けて閉館になってしまった九段会館がこの当時はこの名前でよばれていました)に移されたわけですが、反乱軍側の将校達は自分達の陣地を離れて何度もその戒厳司令部に香椎さんを訪ねて行って、いろいろ相談しています。

しかしどうにもならず、2月29日にはほとんどの青年将校達はあきらめておとなしく逮捕されることになります。その後2.26事件専用の軍法会議で裁判が行われ、主だった者が死刑の判決を受け死んでいったわけです。

青年将校達の純粋な気持ちを踏みにじって無残にも殺してしまった、という言い方もできますが、多分そうではないんだろうと思います。
青年将校達は自分たちのクーデターが失敗するとは思わず、ほぼ確実に成功し、救国の英雄として称賛されながら満州に進軍するんだ、と思っていたんだと思います。失敗して国賊の汚名を着せられて処刑されることも覚悟のうえで決起した、ということではなさそうです。

青年将校達は自分達を『昭和維新の志士』だと思っていたはずです。ですから吉田松陰の『志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず』(もともとは孟子か何かの言葉のようです)という言葉を知っていたはずです。これは志がうまく行かずに野たれ死にし、死体がどぶに捨てられるということを常に覚悟している、というような意味です。

彼らは死刑になりましたが、死体がどぶに捨てられたわけではなく、彼らのクーデターは天保銭組の青年将校達に乗っ取られたとはいえ、その結果財閥や政治家や官僚を排除した軍主導の国家にするという彼らの目的は見事に達成され、日本は太平洋戦争に突っ込んで行き悲惨な敗戦を迎えるに至ったわけです。すなわち彼らが願った維新革命は、太平洋戦争の敗戦という形で見事に成功したわけです。

もって瞑すべしというべきでしょうか。

この片倉さん達のクーデター乗っ取り計画、どこまで詳細なものか見てみるのも一興かと思います。見開きでA4サイズの比較的小さな本ではありますが、この『政治的非常事変勃発に処する対策要綱』だけで50頁もあります。

興味がある人にはお勧めです。

なおこの本、243頁の本ですが、その半分は上記3つの論文と片倉さんがいろんな人とやり取りした書簡集になっています。前半の回想録の部分、2.26事件に至る三月事件、十月事件、5.15事件、士官学校事件については触れていますが、2.26事件そのものについての直接のコメントはありません。

死亡率の改定

3月 27th, 2017

アクチュアリー会では、生命保険の保険料や責任準備金の計算の基礎となる標準生命表を改定することになったようです。
現行の標準生命表2007を改定し、標準生命表2018(仮称)として2018年度(平成30年度)から使用する予定だ、とのことです。
改訂するのは死亡保険用の分と、(医療保険などに使用する)第三分野用の分で、年金保険に使用する年金開始後の分については改訂しないで現行の2007の生命表をそのまま使うようです。

アクチュアリー会では、この生命表の改定を一般に公表するに先立ち、まずはアクチュアリー会の会員に公表し、意見公募(パブリックコメント)の手続きに入っています。

死亡率の改定の方向は、死亡保険用の分も第三分野用の分でもおおむね、死亡率の低下の方向ですから、死亡保険は保険料が安くなり、医療保険は保険料が高くなる方向で影響が出ることが見込まれます。

一般宛ての公表はこの意見公募の手続きが終わってから、ということになるんでしょうから、もうしばらく先の話になると思います。

生命保険会社のアクチュアリーさんたちは、保険料がどう変わるか、会社の収益がどう変わるだろうか、とかなり大変な大量の試算をさせられることになりそうです。

Google Apps

3月 17th, 2017

GoogleがGoogle driveというクラウドのサービスをしています(G-mailやGoogle+なんかもその一部です)が、その中でspreadsheetという表計算ソフトが使えるようになっています。

Excelと同じようなものなのですが、このspreadsheetではシートの中のデータを使ってクエリを実行するという機能が付いています。

もちろん本格的なデータベースではないので、いくつものテーブルを組み合わせて複雑なクエリを実行させる、というわけにはいきませんが、1つのシートの中の四角の領域を一つのテーブルとみなして、そのテーブルに対してSQL文を書くと、その結果を指定した領域に出力してくれるというものです。

私のやる計算では、データベースのいくつものテーブルを組み合わせた結果をCSV fileで受け取り、それにSQL文を適用すれば結果が得られる、なんて作業がかなりありますので、このGoogle AppsのSpreadsheetはもしかするととても便利なツールになるかも知れません。

作業はGoogle driveのクラウド上で行われるため、PCの負荷もなしで結果だけブラウザあるいはメールで受け取れるようになっています。

もし興味があったらGoogle Appsを検索してみて下さい。なかなか楽しめると思います。

企業用の有料のサービスもあるようですが、15GBまで無料のサービスがあるので、とりあえずはその方で十分楽しめます。

『粋な旋盤工』 小関智弘

3月 17th, 2017

またまた小関さんの本ですが、この本にまとめられているのは小関さんがNC旋盤の勉強を始める以前のもので、まだNC旋盤など何するものだ、というようなスタンスなんですが、むしろ著者が高校を卒業して旋盤工になり、見習いとしてこき使われながら社会正義のために頑張っている姿が書かれています。

高校生のうちから(朝鮮戦争の前のころのことです)社会正義に目覚めた文学少年として反戦・反米運動に参加して、ビラ配りのために町工場に潜り込み、そこで働く職工を見て、少年客気のあまり自分も職工になろうときめてこの世界に飛び込み、60年安保では職場の仲間と零細企業の未組織の労働者としてデモに参加したり、職場で労働組合を作って待遇改善の闘争をしたり、労使の合意がなされる条件として、職場の問題児の著者だけが職場をクビにされたり、そのような中、当初の自ら職工となって中から革命を起こそうという考えが非現実的な話だと理解するようになり、本物の職人となろうとするあたりを、自分自身と周りの様々な職工たちの姿を描くことで表現しています。

これまで私が読んだ、様々な職人の世界に関する話とは違い、むしろ著者本人に焦点を当てた、プロレタリア文学から職人のドキュメントに至る過程が非常に面白い本です。

お勧めします。

『鉄を削る-町工場の技術』小関 智弘

3月 12th, 2017

少し前に紹介した『機械加工の知識がやさしくわかる本』で参考図書として紹介されていた、小関智弘さんの『町工場巡礼の旅』と『町工場の磁界』を読み、あまりにも面白いので同じ著者の他の本を借りて読みました。

読んだのは、『春は鉄までが匂った』『ものつくりに生きる』『鉄を削る 町工場の技術』『町工場・スーパーなものづくり』という本です。まだ読めていないものも何冊もあります。

著者は高校を卒業して町工場で旋盤工になり、いくつもの工場を転々としながら旋盤工を続け、途中で従来からの旋盤だけでなく新しくできたNC制御の旋盤も使いこなすようになり、定年後も勤め先に頼まれて週に何回か工場に通って、旋盤・NC旋盤を使って鉄を削り続けていた人です。

その傍ら文筆活動をして何度も芥川賞・直木賞の候補となり、もうちょっとの所で受賞を逃した、ということです。

さらに各地の多数の町工場を訪ね、そのルポルタージュレポートを上にあげたいくつもの本にまとめています。

町工場のレポートといってもそれだけでは分量に不足する分を、自分の職人としての経験も話しています。

NC旋盤というのは、コンピュータ制御の旋盤でプログラムを組んで、それで自動運転させる旋盤ですが、多分今ではこんなやり方ではないと思いますが、小関さんが始めた頃はプログラムを紙テープに穿孔して、それを機械にかけて動かしていました。

で、『プログラムを組む』と言う所、小関さんは『紙テープを作る』と表現しています。

文学青年の旋盤工が四苦八苦しながら手探りで『紙テープ作り』に挑戦するくだりは、40年前私が手探りでコンピュータプログラミングを始めたころと良く似ていて、懐かしくなりました。

どの本を読んでも面白く、職人の世界の辛さと面白さを満喫させてくれます。

お勧めします。

『検察秘録 2.26事件(1~4)(匂坂資料5~8)』

3月 6th, 2017

先日友人とちょっとフェースブックでのやり取りで、2.26事件の事件関係の書籍について話をしました。その中で、この事件の軍法会議で検察官側のトップとして取り調べをリードした匂坂法務官が持っていた資料については、匂坂資料1巻~8巻として出版されていて、うち1巻~4巻が5.15事件関係、5巻~8巻が2.26事件だ、と書きながら、この資料についてはそういえばまだ見てなかったなと思い出しました。

この資料を元にして澤地久枝さんが書いた『雪は汚れていた』を読んで、この資料も何となく読んだようなつもりになっていたのですが、改めてその元資料を見てみようとして、図書館で借りてみました。

1頁がA5サイズ、見開きでA4サイズで1冊500~700頁位で、中心となる資料の部分は全部2段組みになっている、それが4冊もある、というとんでもない資料集ですから、これを読むのはかなりの覚悟が要ります。

ただしこの資料集を直接見てわかったのは、資料自体の他にいくつかの付録が付いていて、その分が面白そうだということです。
2.26事件.1では
 2.26事件と匂坂資料     澤地久枝
 父匂坂春平と資料について  匂坂哲郎
 付記                原秀男
2.26事件.2では
 戒厳と軍法会議         原秀男
 『電話傍受綴』について     中田整一
 補遺                 澤地久枝
2.26事件.3では
 父と2.26事件           匂坂哲郎
 軍法会議の検察と予審     原秀男
 補遺                澤地久枝
2.26事件.4では
 全集最終巻に際して       原秀男
 父と相沢事件           匂坂哲郎
 補遺ならびに解題        澤地久枝
 血盟団、5.15事件 2.26事件 関係文献目録    須崎慎一
というものが付いています。

澤地久枝さんというのは、この資料を分析し『雪は汚れていた』という本を書いた人です。匂坂哲郎さんというのはこの資料を残した匂坂春平法務官の息子で、この資料の公表を決めた人です。
原秀男さんというのは、昭和15年頃司法試験に合格し陸軍法務官になった人で、戦後弁護士をしながら2.26事件の軍法会議資料の発見に努め、また陸軍法務官だった経歴を活かして資料の読み方について澤地さんにアドバイスしたり、あるいはその後発見された軍法会議の資料を元に『2.26事件事件 軍法会議』という本を書いている人です。

私は2.26事件では、事件発生時東京警備司令官であり、その後戒厳司令官になった香椎浩平中将と、この事件で総理大臣になる予定だった真崎甚三郎大将の行動に関心があり、いわゆる青年将校達やこれに引きずられて事件に巻き込まれてしまった北一輝、西田税等についてはあまり興味がありません。

で、この中で匂坂さんが父親との思い出を語っているものの中に、匂坂春平法務官が真崎大将に殺されそうになったという話が入っていました。

相澤中佐が永田鉄山軍局長を殺害し、軍法会議にかけられることになったのですが、事件の後すぐのある日、匂坂法務官が陸軍大臣の秘書官からすぐ来てくれと言われて行ってみると、真崎大将が来ていて、陸軍大臣に会いたいと言ったのが大臣は不在で、では法務部長に会いたいと言ったのがそれも不在で、その代わりとして法務官のトップである匂坂さんが呼ばれたということで、真崎さんは相澤さんに対して、軍法会議をするな、という主張をした、ということです。で匂坂さんは丁寧に軍法会議の説明をし、それをやめることはできないと説明しようとしたら、問答無用、言う事を聞かなければタタキ切ってやるとばかりにいきなり軍刀を抜いて振りかぶった、という話です。外で様子をうかがっていた秘書官が真崎さんを止めに入って、匂坂さんは殺されずに済んだという話を、帰宅して息子の匂坂哲郎さんに話したということです。

相澤中佐による永田鉄山軍局長殺害事件で、2.26事件の後で相澤中佐は軍法会議で死刑になるのですが、その判決が決まるまで、他からの教唆については否定していました。刑の執行の直前になって暴れ出し、手がつけられなくなって匂坂法務官が面会に行きじっくり話を聞いた所、相澤中佐はようやく落ち着いて、永田鉄山を殺したのは自分の間違いだったと言って処刑されていったということですが、その際、実は永田鉄山殺害は真崎大将に言われてやったんだ、ということを初めて明らかにした、ということです。

相澤中佐が捕まって軍法会議の準備をしている時、真崎大将は相澤中佐がいつ自分に言われて永田鉄山を殺害したと言い出すか分からず、いてもたってもいられなくなって、軍法会議をやめさせようとして軍刀を抜いた、ということなのかなと思います。

2.26事件も、成功したら相澤中佐の裁判も終了して相澤中佐は無罪放免となり、真崎大将の殺人教唆も問題にならなくなります。

真崎大将としては2.26事件のクーデターを成功させて自分が総理大臣になるという野心もあったんでしょうが、むしろ相澤中佐の裁判をやめさせて自分の殺人教唆を表に出さないことの方が重大なことだったのかも知れません。

もしそうだったとしたら、一人の小心の大将の保身のために死刑になった青年将校や、それに巻き込まれてしまった人達は何とも情けない、可哀想な話ですね。

『公的年金の保険原理を考える』

3月 6th, 2017

日経新聞の『経済教室』のページに、しばらく前から『やさしい経済学』の連載として標記の『公的年金の保険原理を考える』というのが掲載されています。書いているのは、大妻女子大短大の教授の玉木さん、という人です。

この連載は年金問題を論じる、いわゆるコメンテーターや専門家などでも良く分かっていない基本的な所を非常に丁寧にやさしく説明してされているので、お勧めです。

しばらく前には同じ欄に慶応大学の権丈先生が『公的年金の誤解を解く』というタイトルで連載していました。この玉木先生は、この権丈先生の連載よりさらに基礎的な仕組みについて丁寧に説明しているので、権丈先生の連載を読むための準備運動として読むのも良いかも知れません。

公的年金の仕組みを理解するための標準的な資料として、教科書になると良いですね。